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周防正行『「Shall we dance?」アメリカを行く』(太田出版)

・『Shall we dance』を見たが、僕はおもしろいと思わなかった。竹中直人のわざとらしい演技は昔から嫌いだし、ダンス教師役の草刈民代はお人形さんみたいで気に入らなかった。日本アカデミー賞の独占は、裏を返せば、日本映画の貧困さを証明するものでしかないじゃないか。と、理由はいくつも上げられるが、実は、僕は社交ダンスが好きではないのだ。
・けれども、『「Shall we dance?」アメリカを行く』はおもしろかった。自分の作った映画を持ってアメリカ中を飛び回り、そこで上映会をして観客とディスカッションをする。あるいはその土地のメディアや著名なジャーナリストのインタビューを受ける。この本は、その中でこの著者が感じたこと、つまりアメリカ人にとっての日本、日本文化、そして日本映画についての知識や情報の少なさ、そのために持たれる偏見や誤解との格闘を主な内容にしている。
・現在、世界の映画をリードし、支配するのはアメリカである。だから日本の外に映画を持ち出そうとすれば、まず、アメリカで好評を得なければならない。実際アカデミー賞には「外国映画賞」という部門もある。さぞかしアメリカ人は世界中の映画に見慣れていてのだろうと思いたくなるが、実際には、状況はまるで違う。
・アメリカではずっと外国映画は英語に吹き替えられて上映されてきた。つまり、アメリカ人の観客は登場人物や舞台が日本だろうと、中国だろうとロシアだろうとアフリカだろうと、誰もがどこでも英語を話すのが普通だと考えてきた。だから、字幕を読むのはアメリカ人の多くにはいまだに面倒なことである。周防正行はそんな世界に、日本人による日本語の映画を持ち込んで、見せようとした。
・野茂がメジャー・リーグ4年目にもなって、いまだにインタビューを日本語でやっている。アメリカ人はそのことにかなり批判的である。アメリカで認められるためには、何より英語でのコミュニケーションをマスターしなければならない、というわけだ。もっともらしく聞こえるが、しかしアメリカ人は日本に来ると、英語が話せるというだけですぐに、英会話の職に就けたりする。何年も日本に住んで日本の大学に勤めながら、ほとんど日本語をしゃべらない、なんていう人も結構多い。要するにアメリカ人にとっては、アメリカだけが「世界」なのだと思わざるを得ない。
・周防正行は次はハリウッドで映画を撮るのか、という質問をくりかえし受ける。それは質問者にとっては、「Shall we dance」に対する評価の意思表示なのだが、周防には、アメリカ人の偏狭さとしか感じられない。映画はハリウッドで作られる。ハリウッドだけが映画を作る場所だというわけだ。メジャー・リーグのチャンピオンを決めるのはワールド・シリーズだが、そこには日本や韓国のチャンピオン・チームは出られない。野球やバスケット・ボールのワールド・カップをやって、アメリカが勝てない状況が生まれない限り、アメリカ人の偏狭さは、とても直りそうにない。 (1998-07-01)

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1998年07月01日 11:00に投稿されたエントリーのページです。

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