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「メディア・イベント」の極み

・日本と韓国で開催されているWカップは、世界最大のメディア・イベントだといっていい。オリンピックはすでに何度か経験してきたが、Wカップはサッカー一種目だけでオリンピック以上の関心を集めている。しかも、あれで負けてもこれで勝てばという多様性がないから、一つの勝敗、というより1点をめぐって世界中が一喜一憂することになる。こんなイベントを目の当たりにするのは、ぼくにとってはじめてのことだ。テレビの世界同時中継が可能にした大騒ぎで、まさにメディア・イベントの時代であることを実感させられた。

・もちろん、メディア・イベントの歴史は長い。それは、新聞の創生期から、読者の関心を集めるものとして認識されてきたし、ラジオやテレビの時代になって、いっそう際だつようになったものである。たとえば、日本の新聞が一挙に購読者を増やしたのは「日露戦争」の報道だったし、甲子園の高校野球は朝日新聞が作りだしたものだ。戦争とスポーツを一緒にはできないかもしれないが、事実の報道にも、出来事を脚色し、物語を作りだして人びとの関心を惹きつけ、夢中にさせるといったやり方が強調されるから、メディア自体が作りだしたイベントと、そうではない出来事とのあいだには、実際、それほどの違いはないのである。

・今回紹介する一つは、そのメディア・イベントについて書かれたものである。『戦後日本のメディア・イベント』(津金沢聡広編著、世界思想社)はその前作『戦時期日本のメディア・イベント』の続編で、範囲は戦後から1960年まで。そのなかでスポーツに関係するのは2編。「戦後甲子園野球大会の『復活』」(有山輝雄)と「創刊期のスポーツ紙と野球イベント」(土屋礼子)。その他にテレビの普及とあわせてよく話題になる「メディア・イベントとしての御成婚」(吉見俊哉)や、もっと地味な話題、たとえば「復興期の子供向けメディア・イベント」(富田英典)など多様な話題が取り上げられている。

・有山さんは今年から東京経済大学に来られて学部の同僚になった人だが、彼は、甲子園を、日本に輸入された野球を「正しく模範的」な「武士道野球」に作りかえた「道徳劇」の舞台としてとらえている。また一方で、甲子園は朝日新聞の宣伝イベントとしてはじめられたものだから、そこには「見世物興行」としての側面が強くあり、娯楽性や有名性といった要素がつきまとう、きわめて矛盾の多い形にならざるをえなかったというわけだ。

・甲子園野球は戦争の中断の後に復活する。その際に、軍国主義的な色彩の強い「武士道野球」という特徴は影に隠れるが、実体は、「スポーツマン精神」ということばに置き換えられてそのまま継続する。「戦時の野球を隠し、しかも隠していることを復活、再生の言説によって隠し………戦時中を脇に片づけてしまえば、野球はスポーツ化され、復活した大会は『平和の熱戦』となりえた」(44頁)。このイベントは、そのメッキがかなり剥げてしまっているとはいえ、相変わらず「汗と涙の青春のドラマ」として春と夏に甲子園をにぎわしている。前にも書いたが、ぼくはこの甲子園野球が生理的に嫌いだ。


・Wカップのテレビ中継や新聞記事を見ているかぎり、そこには甲子園のような「道徳劇」の要素は目立たない。むしろ、なじみの選手を応援して興奮したり、感動したり、格好いい、話題の選手に熱を上げたりといった話題が多い。また韓国での様子には感じられる強烈な「ナショナリズム」も、日本ではそれほどでもなかった。そのクールさが両国の成績の差になっているのかもしれないが、ぼくは、興奮もこの程度でちょうどよかったのではないかとおもっている。優勝候補だったイタリアやスペインが審判の判定を公に批判している。負けるはずのないチームが弱いはずの国に負けた。その現実を認めたくなくて、責任を他に転化させようとしているところがみっともない。ベスト4に残ったヨーロッパ勢はドイツだけ。これは、Wカップが本当に世界的な「メディアイベント」になった証拠だと言えるかもしれない。

・「メディア・イベント」として気になる点をもう一つ。競技場のフィールドの周囲はいくつもの広告ボードで囲われている。目新しい光景ではないが、Wカップでは、それを一枚置くのに数億円の費用がかかるという。テレビ中継でも、民放の場合には試合の前後や前後半のあいだの休みにたくさんの CMが流された。放映権料は前回のフランス大会にくらべて桁違いに高騰している。世界大のメディア・イベントがまた格好の広告の場になり、巨額の金が動く機会になっている。

・『スポーツイベントの経済学』(原田宗彦、平凡社新書)によれば、今回のWカップでFIFAにはいる金は、1500億円を超えるそうである。チケットの売れ残り騒ぎは、放映権料の高騰で入場料収入に無頓着になったせいかもしれない。いずれにしても、FIFAは濡れ手に粟。しかし、ホテルの予約キャンセルが多数出た韓国では、チームの盛り上がりとは裏腹に、Wカップ不況が心配されているようだ。いくつも作った巨大なスタジアムは、これから何に使って維持していくのか。韓国の諸会場はもちろん、新潟、大分、宮城、神戸、静岡……。ぼくは、祭りの後始末が心配になってしまう。 (2002.06.24)

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2002年06月24日 21:58に投稿されたエントリーのページです。

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