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八杉佳穂『チョコレートの文化誌』世界思想社

chocola.jpeg・チョコレートはお菓子の代表だが、日本での消費量は世界第十八位にすぎない。バレンタインデーが普及してチョコレートをもらう男たちが増えたとはいえ、まだまだ、食べているのは子どもと若い女性たちにかぎられているのかもしれない。
・そのチョコレートはいったいどこからやってきて、現在のような味になったのか。『チョコレートの文化誌』はそれを中米の歴史文献から掘りおこしている。著者の八杉佳穂はマヤ文明やマヤ文字の研究者だ。
・チョコレートの原料はカカオで、アマゾンを原産にして中米に広まった植物だ。貴重な豆で、長い期間、貨幣の役割も果たしてきた。カカオの豆粒十個で兎一匹、奴隷なら百粒、売春婦を買うなら八から十粒といった具合だったらしい。カカオの学名はテオプロマで、ギリシャ語で「神の植物」という意味である。
・その神の植物は貨幣の他に薬として用いられ、また飲み物として愛好されてきた。利尿作用があり、筋肉を弛緩させ、疲労の回復や精力の増強にも効き目があるとされてきた。高貴な人や豊かな人だけに使用が許された食物だが、その食し方は現在とはずいぶん異なっていた。
・乾燥した豆は炒って粉にされる。それをトウモロコシの粉と一緒に水に溶いて飲む。中米を侵略したスペイン人たちにはまずくて飲めない代物だったが、マヤでは儀式や儀礼の際には欠かせない飲み物でもあった。子供の誕生、洗礼、結婚、そして葬式。カカオ豆を大量に詰めた実は心臓の形に似ている。水に溶いたカカオは食紅で赤く色づけされたから、血を飲む代わりだったのではないか、と著者は言う。生け贄の儀式に心臓を取り出して神に捧げる。その代用としてのカカオというわけだ。
・中米を征服したスペインはカカオをカリブ海諸島、フィリピン、そしてアフリカのガーナで栽培するようになる。砂糖や香辛料で味つけされ、熱い湯で飲む食し方が、ヨーロッパで大きな需要を生んだからだ。カカオの苗木が金のなる木になった。
・映画の「ショコラ」は諍いの絶えない村を訪れた母娘がチョコレート菓子の店を開き、村人の間にあるわだかまりを解消させる話である。抑圧から解放、禁欲から快楽、諍いから融和。チョコレートはヨーロッパで大きく姿を変えてもてはやされるようになったが、不思議な力を感じさせる要素はずっと残されていたのかもしれない。『チョコレートの文化誌』を読みながら、あらためてそんなことを考えた。
・カカオにかぎらず、中南米原産の食物で、現在では世界中に広まっているものは少なくない。トウモロコシ、ジャガイモ、さまざまな香辛料………。コロンブスが大西洋に船出したのも、もともとはインドの香辛料を求めたためだった。そういう意味で言えば、ヨーロッパの近代とそれにつづく現代の社会の豊かさは、中南米からもたらされたものだということができるかもしれない。
・その象徴としての「チョコレート」。通説とは違って、成分は肥満やコレステロールの原因にはならないというから、カカオの長い歴史と世界に及ぼした影響に思いをはせながら、一粒口にして、この本を読むことをお勧めしたい。

(この書評は『賃金実務』5月号に掲載したものです)

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2004年06月02日 11:22に投稿されたエントリーのページです。

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