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かわいいとクール

四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま文庫),D.パウンテン、D.ロビンズ『クール・ルールズ』(研究社)

・はやりことばはその都度気になる。けれども消えていくスピードが速いから、なぜと考える機会を逃すことも少なくない。そんな中で「かわいい」は、例外的に長生きしていることばである。ただし、ぼくは「かわいい」におもしろさは感じなかった。使われ方に「なぜ」と疑問を持つものがない気がしたし、ことば以前に「かわいいもの」自体が氾濫していて、ことば以上にうんざりしていたからだ。
・四方田犬彦の『かわいい論』には大学生にしたアンケートの分析がある。「かわいいの反対語は何ですか?」という質問に対する回答には、1)同義反復(かわいくない)、2)肯定的形容詞(美しい、など)、3)否定的形容詞(醜い、など)、4)希薄さの形容詞(ふつう、など)があって、「かわいい」もなかなか含蓄のある使い方をされているのだ、ということに気づかされた。
・この結果によれば、「かわいい」は単に不細工なものや醜いものの反対というだけでなく、「美しい」や「きれい」、あるいは「賢い」といった肯定的な意味をもつはずのことばとも対照される。さらには、それは良くも悪くもない「普通」の状態とも区別されている。このような傾向をまとめて四方田は「かわいい」の輪郭を次のようにまとめている。
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それは神聖さや完全さ、永遠と対立し、どこまでも表層的ではかなげに移ろいやすく、世俗的で不完全、未成熟な何物かである。だがそうした一見欠点と思われる要素を逆方向から眺めてみると、親しげでわかりやすく、容易に手に取ることのできる心理的近さが構造化されている。P.76

・「かわいい」と感じる対象は「保護を必要とする、無防備で無力な存在」であり、そこには「対象を自分より下の劣等な存在と見なして支配したい欲求」が認められる。さらには、支配できないものを無力化させることで「かわいい」ものに変形させてしまうといった工夫もある。それは、著者によれば、「ノスタルジア」と「ミニュアチュール」で、それを仲立ちするのは「スーヴニール」だということになる。

われわれの消費社会を形成しているのは、ノスタルジア、スーヴニール、ミニアチュールという三位一体である。「かわいさ」とは、こうした三点を連結させ、その地政学に入りきれない美学的雑音を排除するために、社会が戦略的に用いることになる美学である。p.120

・「かわいい」は「ノスタルジア」として「歴史」を隠蔽し、「ミニュアチュール」として「実物」を歪曲させる。それは現代の消費文化のエネルギー源であり、また日本人の感覚に古くから根づいてきたものでもある。それはきわめて日本的なものでありながら、同時に「文化的無臭性」を特徴とする新しい文化商品としてグローバルに輸出されている。こんな指摘に納得したら、欧米で盛んに使われている「クール」が気になりはじめた。

・「クール」も「かわいい」同様、例外的に長続きしている流行語だ。『クール・ルール』によれば、それは、表紙になっているジェームズ・ディーンがヒーローになった50年代から目立って使われるようになったが、その源流はアフリカ系アメリカ人が身につけた処世術としての態度や心持ちにあるということだ。
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<クール>は、奴隷や囚人や政治的反体制派など、反抗心を露わにすると罰せられる反逆者や敗北者によって培われた態度だった。そのため<クール>はその大胆な反抗を、皮肉な無関心という壁の裏に隠し、権力の中枢に真正面から立ち向かうのではなく、むしろそこから距離を置いた。50年代以降、この態度が芸術家や知識人に広く取り入れられ、それによって<クール>が大衆文化に浸透していった。p.31

・「クール」は50年代のビート族やジャズ・ミュージシャンからはじまって、60年代のヒッピー・フェスティバルでも、70年代のパンク・パーティでも、あたかもはじめてうまれたことばのようにして使われてきた。そして、80年代以降になると広告産業のコピーとして派手に利用されるようになる。著者はその理由を、「クール」ということばにある「社会のしきたりに対する反抗的な態度」と「強い仲間意識」、さらには自己満足的な「個人主義」という意味合いにみつけている。
・彼らによれば、「クール」を支えるのは「ナルシシズム」「皮肉な無関心」、そして「快楽主義」の三本の柱である。それは、時に時代に反抗する精神の表象になり、また時には、消費文化を個性的にリードする鍵になってきた。対抗文化が反社会的で反物質的な主張と態度を取ったにもかかわらず、それが70年代以降の消費社会を生みだす源泉や原動力になった理由が「クール」ということばにこめられているといわけである。
・この意味では「かわいい」と「クール」は。現代の消費文化を扇動する二本の柱ということになる。日本的なものとアメリカ的なもの、女的なものと男的なもの、無力なものと、力をちらつかせるもの………………。このように違いのあるものが、二頭立ての馬車になっている。改めて、現代の文化状況にそんな図をかぶせると、なるほどと思い当たる部分がたくさん見えてくる。

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2006年04月24日 00:01に投稿されたエントリーのページです。

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