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60年代を語り継ぐ方法

小坂修平『思想としての全共闘世代』(ちくま新書),山口文憲『団塊ひとりぼっち』(文春新書),ティム・オブライエン『世界のすべての七月』(文藝春秋)

・大学の市民講座で60年代の話をした。聴き手はぼくと同世代かそれ以上の人たちだから、当然、60年代については、それぞれの思い、思い出がある。だから、むしろ、最近語られる60年代の特徴について、その記憶、あるいは記録とのずれ、というよりは後から強調され、無視され、忘れられ、繰り返し再現されて歪められた言説について話すことにした。
・そうすると、話題はまず、「団塊の世代」ということになる。以前にも書いたが、このことばは堺屋太一の小説に由来するものである。発表されたのは1976年で、当の世代はすでに30歳間近という年齢になっていた。こんな歳になってじぶんの世代に名をつけられるのは、きわめて不愉快で、ぼくはけっして使わなかったが、いつの間にか定着して、最近はやたらに目につくようになった。逆にノスタルジーで固めた美化された60年代にまつわる伝説もふくめて、そのいい加減さを指摘したいと思った。

journal1-106-3.jpg・小阪修平の『思想としての全共闘世代』は自らの体験の問い直しである。全共闘運動は、大学の個別の問題に対する異議申し立てから始まったもので、それ以前の学生運動とは異質な性格を持っていた。だから、一時期大勢の学生の支持を得たのだが、メンバーが固定していたわけではなく、全国的な組織をもっていたわけでもなかった。テーマはバラバラ、出入り自由。著者自身も、集会やデモに出たり出なかったり、芝居をやっていて大学から遠ざかることもあったと書いている。
・そういう特徴は既存の学生運動組織からは軟弱さとして批判されたが、それは活動の趣旨からいって、あたりまえの違いだった。全共闘は何より「社会関係のなかでのじぶんの具体的なあり方を問題にした」思想を基本にする個人の集まりとしての運動であったのである。何より、じぶんを探すために行動する。学生運動は単にその一つに過ぎない。全共闘もその他の学生運動も一緒に語られてしまうから、そんな意識は無視されて、連合赤軍でおしまいということになる。
・小阪は大学を中退している。バイト生活をしながら映画を作り、写真を撮るといった道筋を歩いて、塾や予備校で教えながら評論活動をするという道を選んだ。それは学生運動をして卒業すれば一流会社の猛烈サラリーマンといったステレオタイプ的な団塊世代像とはずいぶん異なるが、ぼくじしんや当時の仲間を見ても、むしろ、著者のような道筋を歩いた人は少なくないはずだ。以前にも書いたが団塊世代の大学進学率は16%で、その中で学生運動に関わった人は、数回のデモ参加などを入れても、そのまた1,2割といったところだったろう。

journal1-106-4.jpg・そのことは、『団塊ひとりぼっち』を書いた山口文憲も同様である。かれは高校生の時にベ平連に入り、ベトナム戦争に反対する運動に加わり、新宿西口のフォークゲリラでは中心にいて歌う経験もしている。で、その後はやっぱり、いろいろなバイト仕事をやって、小阪よりはやわらかい文化的な評論活動をするようになった。海外を放浪した経験などから、旅の本を何冊も書いている。
・ぼくは、京都ベ平連の近くにいて(入ったわけではない)、関西フォークのミュージシャンたちとよくつきあっていたから、その周囲にいた人たちもふくめて、かれやかのじょたちが、大学をやめ、あるいは行かずに、いろんなバイト仕事をしたり、さまざまな試みをして、それなりに生きてきたことを知っている。だから、この『団塊ひとりぼっち』に書いてあることには、ものすごく距離の近さを感じた。実際ぼくじしんも、就職しない生き方はないものかと考え、大学にずるずる残り、出た後も、塾で教え、大学の非常勤講師をやり、雑文を書いたりして過ごした長い時間があった。
・団塊世代がもらう退職金は総額で10兆円だそうである。このお金を狙って、さまざまな業種が新商品を考えている。すごい金額だと思うが、仮にひとり1000万円だとすると、10万人に過ぎない。500万円にしても20万人だ。団塊世代は1947年から49年がその核だといわれていて、総数は700万人以上になる。ということは、話題の定年問題は「世代」の70分の1にしかあたらない話だということになる。それでも、ほかの世代にくらべたら数が多いという程度のことに過ぎないのである。

journal1-106-1.jpg・とはいえ、60年代に青春時代を過ごした世代には、ほかとは違う特殊な経験が共有されていて、そのことをずっと引きずって生きてきた人が少なくないはずだ。ぼくはそのことは、きちっと表現しておくべきことだと思う。そして、それをテーマに書いている人は日本人にはあまりいない。
・ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』は、ある大学の同窓会に集まったアメリカのベビーブーマー世代が、旧交を温めながら、当時から現在までの道筋をふり返る話だ。ティム・オブライエンはヴェトナム戦争を題材にした作品が多いが、ここでも、柱になっているのは、ヴェトナムに従軍して足を切断した男と、徴兵を逃れてカナダに移り住んだ男で、そこに同窓の女たちとの関係が絡みあってくる。
・ヴェトナム戦争に従軍したベビーブーマーは50万人で、5万人が戦死したといわれている。団塊世代との違いは何よりここが一番大きいことを今さらながらに実感するが、共感できるところも少なくない。たとえば、次のような台詞。


私たちは世界を変革しようとしていた。でも、それがどうなったと思う?世界が私たちを変革しちゃったのよ。

・けれども、じぶんの問題としては、それを認めたくない気持ちの人たちが少なからずいる。

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2006年11月27日 23:37に投稿されたエントリーのページです。

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