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森についての本

只木良也『新版森と人間の文化史』NHKBooks
石城謙吉『森林と人間』岩波新書
佐々木幹郎『田舎の日曜日』みすず書房

・森らしき場所に住んで10年以上になる。別荘地で隣地に家が建っていないから、松林が残っていたのだが、最近、格安の値段で買った人が、一区画の木をばっさりと切ってしまった。空き地の向こうに御坂山塊の山並みが見えるようになって、妙に明るく、見通しのよい景色になった。そんな変貌にかなり戸惑っている自分がいる。
・とは言え、その松林を気に入っていたわけではない。ひょろひょろと伸びた幹の見栄えはけっしてよくなかったし、強風に大きく揺れると、今にも倒れそうで怖い気もしていた。伐採して広葉樹にした方がもっときれいな森になるのに。そんなふうに感じても、他人の土地だからどうしようもないと思ってきたのである。
・今年も付近の山をせっせと歩いた。手入れの行き届いたみずならやブナの森もあったが、立ち枯れの幹が林立していたり、伐採して放置されたままの木がごろごろとして、山の森は元気でないという印章の方が強かった。で、森や木の本をちょっと読んでみようかという気になった。

woods1.jpg ・日本人にとって一番なじみのある木は松だろう。白砂青松というように海岸線にはお馴染みだし、山にも赤松や唐松が密生した森は少なくない。けれども、『新版森と人間の文化史』によれば、そんな風景は、飛鳥時代以降に見られるようになったようだ。つまり、雨が多く暖かい日本の気象条件では常緑の広葉樹、ちょっと寒いところでは落葉広葉樹が茂っていたのだが、それを乱伐し、土地を痩せさせたために、松が勢力を伸ばしてきたというのである。痩せた土地に適応力のある松は防風林や防砂林として植樹され、それがなじみの風景になったというのが実態らしい。
・森は古くから、人間の手によって守られ、変貌し、また枯れ果ててきた。この本を読むと、そんな歴史と日本人の森や木に対する関わり方の変容がよくわかる。里山は薪を取り、枯れ葉や枯れ草を集める場として維持されてきた森だ。それは一種の収奪で、森は痩せるが、それ故にこそ生き延びる木々もある。放置された森は富栄養化するが、だからといって自然にまかせて、豊かな森になるわけではない。

woods2.jpg ・森は保護するだけの場所ではなく、生産の場であり、そこで楽しむ場でもある。しかし、そのバランスをうまく保つためには、長期的なビジョンに基づいた地道な努力が必要になる。『森林と人間』は北海道の苫小牧にある北大演習林の再生の物語だ。大学所有の演習林は研究のための場だから、収益をあげることや人びとが森で遊び、動植物に触れる場である必要はない。だから、木が商品として大事にされることはないし、周囲の人からも近寄りがたい場所と思われる存在でしかない。
・苫小牧にある北大演習林を市民が憩う場にし、成長した木を順繰りに伐採して売り、植生を工夫し、森を豊かにする。池や湿原をつくると鳥や魚、そして昆虫などが増え、子どもたちのにぎやかな声が響くようになった。そして、本来の目的である研究活動も活性化したという。しかも、そういった改良のほとんどは、職員や教員、そして学生たちのボランティアでおこなわれたのである。北海道に行ったのは、もう20年も前のことで、苫小牧は素通りだったが、今度言ったら是非、出かけてみたいと思った。

woods3.jpg ・森の太い木を見ると、高所恐怖症気味の僕でも登って見たい気になる。だから庭にツリー・ハウスを作れたらいいな、という思いをずっと持ちつづけている。『田舎の日曜日』は浅間山近くでのツリー・ハウス作成の話である。著者の佐々木幹郎は詩人だから、その描写の巧みさに引きこまれて想像力をかき立てられてしまった。よし、僕も、と言いたいところだが、彼の山小屋には別荘として時折行くだけにもかかわらず、土地の人たちが大人も子どももよく集まってくるし、東京から出かけてくる人たちも多いようだ。だから、ツリー・ハウスは、大勢の人たちによって作られている。
・田舎の人はよそ者には冷たいくせに、有名人となると、手のひらを返したように優しくなるし、親しくもなりたがる。そんな苦言をはきたくなるが、それはもちろん、積極的に関わろうとしない、僕自身のせいでもある。ツリー・ハウスは大勢で作って、大勢で楽しんでこそ意味がある。そんなことも感じさせられた。

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2010年12月27日 07:30に投稿されたエントリーのページです。

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