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上野千鶴子『ケアの社会学』太田出版

journal1-150.jpg・ケアということばが介護の意味に使われるようになったのはそれほど昔のことではない。英語としては「気遣う」「気をつける」といった意味で日常的に使われることばだし、「世話をする」という場合でも、老人に限らず乳幼児や障害者に対しても使われている。もちろん、このことばは他者に対してだけでなく、自分にも向けられるものである。この本は、そんな多義的なことばが老人の介護だけに限定して使われるようになった傾向に異議を唱えるところから書き始められている。ここで使われる「ケア」の定義は、次のようなものである。


依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それが担われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係。(p.39)

・この簡潔な定義はメアリ・デイリーのものだが、著者はそこに込められた意味が重要だという。つまり、「成人または子ども」としたことで「介護、介助、看護、そして育児までの範囲」が含まれるし、「身体的かつ情緒的」としたことで「ケアの持つ「世話と配慮の両面」がカバーされる。「規範的・経済的・社会的枠組みのもと」で満たされる「ケア」という行為には「ジェンダー」「人種」そして「階級」の問題が入りこむし、「ケア」の規範それ自体を「社会的文脈」の変数にして「規範」を脱構築することができる。そして何より「ケア」は相互作用的な「関係」である。この本は2段組で500頁を超える大著だが、著者の主張は、このケアの定義とその解釈のなかにほとんどすべて込められていると言っていい。

・高齢者を基本にした介護保険制度が日本で施工されたのは2000年だった。「高齢者人口比7%以上の社会を『高齢化社会』、14%以上の社会を『高齢社会』と呼ぶが、それにしたがえば、日本は1970年に『高齢化社会』に突入し、1994年に『高齢社会』の段階に入った。」(p.106)恍惚の人、寝たきり老人、痴呆性老人といったことばが流行し、高齢社会の問題が現実化してからすでに20年もたつとも言えるし、わずか20年ばかりしかたっていないとも言える。いずれにしても、僕にとっては社会問題としては大きいとは感じられても、個人的にはほとんど他人事の異世界の話だった。

・『ケアの社会学』は、その前半が「ケアとは何か」「ケアとは何であるべきか」「当事者とは誰か」「ケアに根拠はあるか」「家族介護は『自然』か」「ケアとはどんな労働か」「ケアされるとはどんな経験か」「『よいケア』とは何か」といった章が続き、後半は官民協私の福祉の歴史を詳細にたどり、現状のフィールドワークを生協の取り組みを評価的に扱いながらおこなっている。

・僕は一昨年の夏に、80代の後半になって体調を急に悪化させた父親のことで、ケアの問題に唐突に直面させられることになった。介護保険の仕組みを勉強し、介護施設を訪ね、ショート・ステイを手配などしたのだが、介護される父、介護する母、そして弟や妹を含めて、子どもとしてどのように、どこまで対応する必要があるのかなど、いろいろ話し合い、時には怒鳴りあいの喧嘩にまでなることを何度か経験した。

・僕はこんな事態になるまで、そうなったらどうするかと言うことについて、ほとんど考えたこともなかったが、それは当の両親も同じだった。母に全面的に頼ることを自明視する父と、子どもの支えを当てにする母という構図は、家族介護を自然とする規範そのものだが、高齢者の母一人でできることでないこと、それぞれに家を離れて自立している子どもたちにとっても、できることには限度があることは明らかだった。だからこその「介護保険」を十分に活用すること、必要なら介護施設に入ってもらうことなどを説明し説得をしたのだが、それを理解し納得してもらうことはきわめて難しかった。

・介護責任は家族が担うべきであるという「規範」に対して、他人による「労働」としての「ケア」をどう組み込んでいくか。「ケアされる抵抗感」は本人だけでなく、家族にとってもあるものだが、その意識とどう対処していくか。施設を利用するとしたら、それは当人にとって、家族にとって、どのようなものが好ましいのか。そんなことに実際に悩まされる経験をしている者にとって、この本は全体から細部にわたって示唆的な記述に溢れている。もちろん、それだけでなく、福祉社会の現状と未来を考える上で的確なモデルを提供してくれてもいる。

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2012年02月20日 07:59に投稿されたエントリーのページです。

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