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六車由実『驚きの介護民俗学』医学書院

・介護民俗学などという分野があるのか。この本についての情報を目にしたときに感じたのは、そんな半信半疑の気持ちだった。しかしまた同時に、どんな本なのかという強い興味も湧いた。要介護となった両親とのつきあい方でいろいろ考えたり、迷ったりすることが多かったからだ。

・ホームでケアされる老人には痴呆症の人が多い。だから、常識的な意味での会話は成り立ちにくいと考えるのが普通だろう。患っていなくても、年寄りの話はくり返しが多いから、何度か聞けば「またか」と思って、まともに聞く気はなくなってしまう。それはここ数年、両親と話をして自ら経験してきたことでもある。

・老人ホームでの仕事はその大半が食事と排泄、そして風呂の介助などで占められている。だから入居者の話を聞くという作業は、それほど重視されていない。もちろん、介護には痴呆症の進行を遅らせたり、改善させたりするための方策も工夫されている。しかしそれはあくまで対症療法であって、老人たちの話自体に価値を見つけ出そうとするものではない。

・「介護民俗学」とは著者によれば、介護を通して聞く話の中から、その人の生きた歴史を積極的に読み取ろうとする手法である。もちろん、そこから老人たちが生きた時代、地域、職業などについての話を通して、当時の生活の仕方を見つけ出すといった民俗学本来の目的も可能になる。ちなみに「介護民俗学」は著者みずからが見つけ出して提唱している研究分野である

journal1-153.jpg・著者によれば老人ホームはそんな話の宝庫のようだ。同じことばをくり返したり、つじつまの合わないことを言う老人たちの話が、聞き方次第でとんでもなく魅力な物語に変身していく。題名についた「驚きの」は、決して大げさなものではなく、著者みずからが体験した素直な気持ちの表現だということだ。

・確かに、この本に登場する老人たちの話はおもしろい。しかし、長い人生の中で経験したことを聞くのにわざわざ老人ホームという場所で介護の仕事につく必要があるのだろうか。昔のことをもっとしっかり記憶していて、調査者が聞きたいことをうまく話してくれる人は、むしろ年取っても自立した生活ができている人の方に多いのではないだろうか。僕はこの本を読みながら、まずそんな疑問を持ち続けたが、読み進めるうちに納得するようになった。

・著者は大学に籍を置いていたが、その職を辞して介護職員になった。その理由ははっきり書かれていないからわからないが、介護をしながらの聞き書きが、話をする者と聞く者の関係を強く自覚させたことは確かなようだ。

・どんな専門分野、どんな研究テーマであれ、人から話を聞く必要が生じたときに考えるのは、最も有効な話が聞けるのは誰かということだろう。しかし老人ホームでの聞き書きでは、話者を選ぶことも話のテーマをあらかじめ決めることもしない。ホームの職員には、誰であれ老人の話に耳を傾けること自体が対症療法として求められているからだ。

・著者が模索する介護人類学は、そこから一歩進んで、老人の話の中身に関心を向けようとする。だからこそ「驚き」が生まれるのだが、その姿勢はまた、介護をする人とされる人という関係が必然的に持つ立ち位置の違いも消すことになる。老人が語る昔話に目を輝かせて聞く子どものようにして向き合うことが、物語を一層豊かにし、また話をする老人を生き生きさせることになる。

・老人ホームを何カ所か訪れて強く感じたのは、そこに入居している人たちの無気力な顔だった。そういう意味で、介護の中に入居者の話を聞く仕事を入れることは、ものすごく大事なことだという読後感をもった。

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2012年08月06日 07:32に投稿されたエントリーのページです。

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