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何ともお粗末なデジタル化

・コロナ禍で露呈した日本の現状には、驚くものが少なくない。その一つにデジタル化の遅れがある。小中高から大学が休校になってわかったのは、多くの生徒や学生がPCはもちろん、タブレットさえもっていないことや、家にWiFi環境が整っていないことだった。スマホがあればPCはいらない。こんな傾向は大学で学生に接していたときから感じていたが、リモートでの勉強が避けられなくなって、そんな問題が改めて露呈した。PCを使った教育をせめて中学生から徹底していれば、こんなことにはならなかったはずである。

・我が家にも「マイナンバーカード」を申請する書類が来た。しかし、うさんくさいと思っているから、すぐに捨てた。国民についての情報を一元化しようという政策は、過去に何度も試みて失敗している。「住基ネット」がいい例だが、「マイナンバー」も、面倒なことをやらされた割に、何の役になっているのかわからないと感じてきた。それどころか、カードにすることによって、郵便局や銀行の預金までも管理するなどというから、不信感ばかりをもたされることになった。政府はカードの普及に力を注ぐようだが、使い方に納得がいかなければ、国民の抵抗はなくならないだろうと思う。

・そんなデジタル化の遅れを改善するために、国は「デジタル庁」を新設するようだ。情報システムを整備して縦割り行政を改めること、あらゆるデータのデジタル化とオンライン化することなどが謳われているが、あまりに遅いし、果たしてうまくいくのか、ほんとうの目的は何かなど、疑わしいこと満載の制度である。確かに、コロナに対する台湾の対応を見れば、データや情報のデジタル化が必要なことはよくわかる。それに比べて、感染者の集計や、給付金の支給を手作業でやっている日本のお粗末さが目立つばかりだった。

・デジタル化については、日本はすでに周回遅れになっている。だから急いでと言うのだが、政府の政策には一貫性がないし、国民の意識も低いままであるような気がする。たとえば日本人の多くはまだ、カードではなく現金を利用している。買い物に行けばそれはよくわかるし、カードが使えない所も多い。しかし世界的に見れば、現金を持ち歩くことをしなくなった国が増えているのである。そんな傾向にあるのに、渋沢栄一で新紙幣などとやっていること自体にデジタル化についての意識の薄さを感じてしまう。相変わらずカードではなく紙幣を使えと国が勧めているのである。

・この国の政策は、やっていることがちぐはぐだから、結局何をやってもうまくいかない、デジタル化はその典型例だろう。結局役に立たなかったCOCOAに、一体いくら注ぎ込んだのか。やれる見込みのないオリンピックになぜ、観客向けのアプリを開発しようとしているのか。発注業者の中抜きをなぜ見逃しているのかなどなど、うさんくさい話は山のようにある。何しろ政府のトップがデジタル音痴で私腹を肥やすことばかりに熱心な老人ばかりだから、何をやっても結局は無駄遣いに終わるのは明白なのである。

・GAFAの波はもう十分日本に押し寄せていて、僕もPCとスマホはApple、買い物の大半はAmazon、そしてGoogleでメールや検索やYouTubeや写真の管理などを行っている。コロナ禍でわかったデジタル化の遅れは、日本の将来をいっそう暗くするものだが、そんな危機意識の薄さが、その暗さをさらに増してしまっている。

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2021年03月08日 07:23に投稿されたエントリーのページです。

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