Book Review

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●最近読んだ本

デビット・ゾペティの作品

  • デビット・ゾペティは日本語で小説を書くスイス人だ。名前からもわかるようにイタリア系だが、京都に来て、同志社大学で日本文学を学んでいる。彼が学生の頃、ぼくは同志社で非常勤講師をしていたから、ひょっとしたらキャンパスですれ違っていたかもしれない。確かに同志社にはさまざまな国からの留学生がいて、ヨーロッパからの留学生も珍しくはなかった。
  • ぼくが彼の存在に興味をもったのは「ニュース・ステーション」のレポーターとしてだった。世界中に出かけていってさまざまな取材レポートをする。その報告が日本人のものとはちがって新鮮な印象を受けた。ところがいつの間にか見かけなくなって、しばらくしたら『いちげんさん』という小説の著者として再登場してきた。「すばる文学賞」をとった作品で、外国人が日本語で書いたことが評判になった。ぼくは読もうかと思ったが、何となくその機を逸してして、忘れてしまっていた。
  • ところが、今年の春先に西湖から毛無山に登ったときに、偶然彼とすれ違った。立ち止まって、なにやらメモを書いている。それが日本語だったから、おや?と思い、どこかで見た顔だと思って、ちょっと考えて、すぐに思い出した。一緒に登ったパートナーに彼のことを話すと、彼女は興味津々で話しかけた。
  • 彼の話では、つぎの小説の取材のために何度か周辺を訪れているということだった。富士山とその周囲の自然や景観にひかれて、ここを題材にした小説を書きたいと何年か前に思い立ったのだという。家族を失った主人公の中年の男が、ここで再生する話。ぼくは面白そうだと感じたが、彼の作品を読もうと思って、まだ買ってもいないことに気がついた。これは読まねばとさっそく買ったのだが、またしばらく、時間がなくて積んだままにしてしまった。いいわけがましいが、本当に忙しい気がして、小説を読む気にならなかった。ところがまた彼のことが話題になった。『旅日記』がまた賞を取ったのだ。もうこれはどうしても読まねば、という気になった。
  • 『いちげんさん』は題名の通り、京都を舞台にしている。同志社大学に留学した主人公が盲目の女性を好きになる。淡い恋愛小説だが、小説に描かれる京都に妙な懐かしさを覚えた。出てくる地名はもちろんだし、大学の中の建物について、あるいは学生がよく行く食堂や飲み屋など、読んでいて「あー、あそこかな」と連想させるような描写が楽しかった。
  • 面白かった点がもう一つ。これはこの小説の主題といってもいいのだが、京都の排他性に対する憎しみにも似た感情だ。主人公は食事をしてもカラオケを歌っても、「外国人が和食を食べてはる」「白人が日本語で歌ってはる」と感心されたり、奇異に思われたりする。中にはそのことをしつこく問いかけて来る者がいて、そのことに強く反発する。
  • あるいは、知らん顔をしているふりをして、こちらをじっとなめるように観察する京都人特有の視線に対する違和感………。これは、何も外国人に限るものではない。よそから京都に入った者が誰でも感じる思いである。「いちげんさん」ということばには、たしかに、よそからきた奇妙なやつ、信用のできないやつという蔑視がこめられている。
  • ぼくも、この主人公と同じような経験を何度もしている。そして、京都には30年住んだが、結局「いちげんさん」のままだった。だから何の未練もなく、また関東に移り住む気にもなった。あと何年かたったら、ちょっと長い旅をしていたような感じで、京都のことを考えるのかもしれない。読みながらそんな気にもなった。
  • 『旅日記』は題名の通り、彼が旅をした記録である。テレビ番組での取材もあるが、不意に思い立ってという旅の話もある。アラスカやノルウェイといった極地への旅が好きなようだ。それはそれで面白かったが、ぼくが興味をもったのは、彼が生まれ育った土地を離れて旅立つきっかけと、日本にたどりつくまでの過程だった。
  • 高校を卒業し、徴兵の義務も果たした後、ゾペティはアメリカを旅し、日本にもやってきた。その日本体験が気に入って、ジュネーブ大学の日本語科に入学。ところが、また日本にやってきて、今度は日本の大学に入ることにする。一年間の語学と受験勉強。そのスタンスの軽さと自分に対する自信に感心してしまった。
  • 『旅日記』の受賞にさいして、彼は、外国人なのにこれだけの文章を書くという評価がいまだについてまわることにもつ違和感を口にしたようだ。確かに、『旅日記』を読むと、彼にとって、自分がどこに住んで、何語を話して、どんな仕事をするかということが、自分の自由な選択の結果であることがよくわかる。
  • おおかたの日本人は、こういう自由さにうまく対処できないから、抵抗なく受けいれることができない。ゾペティは「いちげんさん」の作家で終わらずに、2作目の『アレグリア』を書き、そして、その次の準備もしている。もうそろそろ日本語で小説を書く外国人というレッテルが剥がれてもいいのに、と思う。もちろんこれは、ゾペティではなく、私たちの問題なのである。


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