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「アメイジング・グレイス」はどこから来たのか?


  • 「アメイジング・グレイス」はアメリカ人、とりわけ黒人たちの心の歌として歌いつがれてきた。おそらく、一番多くレコードやCDになった歌でもある。NHKのBSで、その歌の由来をたどる番組を見た。今までいろいろな人の歌う「アメイジング・グレイス」を聴いてきたが、はじめて知ることが多くておもしろかった。
    Amazing grace, how sweet the sound
    That saved a wretch like me
    I once was lost but now I'm found
    We blind but now I see
  • この歌の作者はジョン・ニュートン。1725年生まれ。英国国教会の牧師で自作の賛美歌を集めた歌集を出版している。曲はアイルランド民謡から採られたようだ。イギリスの白人がつくった歌がなぜアメリカの黒人たちに歌いつがれるようになったか。それはニュートンの経歴に関連している。
  • ニュートンは若い頃、奴隷船の船長としてアフリカでつかまえた多くの黒人を、船に積んで運ぶ仕事をしていた。奴隷は人間ではなく家畜だったから、排泄物は垂れ流しのままの船底に押しこまれた。病気や飢えで死ぬものが多かった。
  • そんな仕事のなか、彼の船は嵐に遭い難破しかかる。沈没しかかる船のなかで神にすがってお祈りをする。九死に一生を得た彼は、その経験をきっかけに信仰心に芽生え、今までの自分を懺悔する気持をおぼえる。「神は私のような卑劣な者(wretch)を救ってくれた」という「アメイジング・グレイス」の歌詞のゆえんである。
  • 番組はそこから別の話に移るのだが、実際にはニュートンはそのあとも16年間、奴隷船の仕事をつづけている。彼が牧師になったのは39歳で、「アメイジング・グレイス」がつくられたのは、さらにその数年後のことのようだ。改心というのは物語のように劇的におこるわけではないということなのか、あるいはことばに表すのにはそれだけの時間がかかるということなのか。そのあたりにかえって新たな興味をもった。
  • こうしてできた「アメイジング・グレイス」はアメリカに移住したアイルランド人たちのなかで歌いつがれる。アパラチア山脈のあたりで、カントリー音楽の発祥の地でもある。その歌がミシシッピー川に届き、南下してニューオリンズに行き着く。運んだのは綿摘みや農作業をするために南部の農場に買われた奴隷たち。キリスト教を信仰する彼らの心をとらえたのは、何よりこの「神は私のような卑劣な者(wretch)を救ってくれた」だったという。wretchには卑劣の他に哀れな者という意味もある。
  • 不意に拉致され、船に乗せられ知らない土地に連行された。そこで牛や馬と一緒に生き物の商品として売られ、牛や馬と同じように働かされ、生活させられた。「アメイジング・グレイス」は、そんな絶望的な境遇に希望を感じさせてくれる歌として歌いつがれてきたのだという。
  • 米国南部に住む黒人たちは20世紀になると北部に移動をしはじめる。メンフィス、セントルイス、シカゴ、そしてニューヨーク。ブルースとジャズがたどった軌跡だが、それはまた、「アメイジング・グレイス」が広まっていった道筋でもある。
  • アメリカはさまざまな理由で生まれた土地から離れてきた人たちによってできた国である。夢を求めてきた人、追われてきた人、そしてむりやり連れてこられた人。そのさまざまに異なる境遇や思いをもった人たちの間で、またさまざまな種類の歌や音楽が人びとの心の支えや、楽しみのもとになってきた。
  • 「アメイジング・グレイス」はその多様な人びとや音楽の間を、垣根を越えて口ずさまれた。ジャンルを越え、立場や境遇を越える歌。素晴らしい歌だが、これが必要とされたのは社会が悪夢のようだったからだ。いい歌が引きずる暗い歴史。もちろん、「アメイジング・グレイス」は今でも歌いつがれているから、これはけっして、昔を懐かしむ歌ではない。


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