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テロと音楽の力




  • 9月22日の朝に新聞を見たら、テロ事件の追悼番組があることに気がついた。午前10時から2時間。大物スターが出演としか書いていないから、大した期待もしないでテレビをつけた。そうしたら、ブルース・スプリングスティーンからはじまって、U2、スティービー・ワンダー、スティング、ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、シェリル・クロウ、パール・ジャム、トム・ペティとつぎつぎ出てきてびっくりした。何より驚いたのはニールヤングが「イマジン」を歌ったこと。不意にだったこともあるが、ジーンとしてしまった。
  • 僕はジョン・レノンは好きだが、それは彼の声やメロディにであって、歌詞に感心したことはなかった。彼の発想は少年の心のままで、それがいいとされるのだが、もうちょっと世の中も人間も複雑だよ、といいたくなってしまうものが多い。しかし、追悼番組ではそのことばが群を抜いて説得力があるように感じられた。
    国がないと想像してみる
    難しいことじゃない
    そのために殺すことも死ぬこともなくなるじゃないか
    それから宗教もないとしたら
    みんなが平和に生活できると思わないか "Imagine"
  • 僕はこの歌詞を聞いて、ブッシュ大統領のことばを連想した。「悪」を許さない正義の戦いをする。自由と民主主義を守るために。まるで「スター・トレック」のカーク船長のようで、その単純さにあきれるが、アメリカ人の90%が支持しているとなると、底知れない恐ろしさを感じてしまう。だからこそ、一見もっともらしい単純な発想には、それとは対照的な子どものナイーブな発想が力をもつ。ニール・ヤングの歌う「イマジン」には強いメッセージがこもっていたように思う。
  • 番組には、映画俳優たちがたくさん出ていて、その人たちが短いメッセージをしたり、カンパの電話に応対したりしていた。それはそれで華やかだが、やっぱりこういうときには歌の力にはかなわないと思った。
  • しかし、いずれにせよ、こういう番組がすぐにつくられ、四大ネットで同時放送されるのを目の当たりにすると、アメリカの強大さを、政治や経済や軍事ばかりでなく文化の面においても痛感させられてしまう。テロ事件の後でくりかえし聞かされるのは、アメリカ人の不屈の精神、力の確認、自尊心の自覚等々で、そのたびに彼らの傲慢さにうんざりするけれども、実は、共感できるところも同じ気質に起因しているから、僕の態度はいつでも両義的になってしまう。
  • 同じ日の朝日新聞で坂本龍一がテロ事件について書いている。彼はニューヨークに住んでいて、当日の様子を実際に見たそうだが、そこから訴える、報復の無意味さ、あるいはさらに起こる悲惨さへの警告には説得力があると思った。彼はまた最後に、次のように書いている。
    生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎたころ、街に歌が聞こえ出した。ダウンタウンのユニオンスクエアで若者たちが「イエスタデイ」を歌っているのを聞いて、なぜかほんの少し心が緩んだ。しかし、ぼくの中で大きな葛藤が渦巻いていた。歌は諦めとともにやってきたからだ。
  • 坂本はこの経験から、傷ついた者を前にして、音楽が何もできないのではという疑問をもったようだ。そうなのかもしれないと思う。けれどもまた、そうでもないだろうとも思う。追悼番組の「イマジン」にジーンとしたぼくは、この番組が呼びかけた、被害者へのカンパに協力しようかと思った。今度の事件でぼくはもちろん、全然傷ついてはいない。そうすると歌にできるのは、無関係な者に苦しみや悲しみを想像させることぐらいだということになる。歌や音楽の力にははるかにおよばない文章などを書いている者にとっては、それでも相当なものだと思う。坂本龍一が音楽の無力さに苦しむというなら、いったい書くことの意味はどこにあるのだろうか。

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