『病院で死ぬということ』

山崎章郎(文春文庫、1996(単行本1990))



 医者と科学技術を中心としてまわり、延命治療が至上課題となっていた医療現場に、人が一人死ぬということはどのようなことなのかを問いかけ、大きな波紋を投げかけた本である。著者は本書の前書きで次のように述べている。「一般病院の医療システムは」「死にゆく患者のためではなく、治癒改善して社会復帰できる患者のためにととのえられている。そのために多くの末期ガン患者たちは、多忙な一般病院の医療システムの中で、しばしばとり残されることになる。/どれだけ多くの患者たちがみじめな思いの中で死んでいったのだろうか。どれだけ多くの家族が傷ついてきたのだろうか。」治癒の可能性がなくなると、患者への関心を急激に失う医者たち、そして、自らの病の真相が知らされない中で、絶望にうちひしがれ、変わり果てた姿で人生の最期を迎える患者たち、疲弊のなかで自責と後悔と憤りだけが残される家族たち、これらの姿をまのあたりにして、著者は、人の尊厳ある死を回復しなければならないと思う。
 一つひとつのエピソードは、一人ひとりのライフヒストリー、そして家族の物語の中でのこの世からの別れが丹念に描かれており、涙なしでは読めない。この著書がひらいた地平は限りなく大きい。自閉された空間で魔術師のように科学技術を使うという専門家モデルが、人間の人間らしい生き方、そして死に方をサポートする上で、破綻していることを明るみに出し、一つ一つの事例に即して、医者、看護婦、患者、家族の対話のなかで、患者のアイデンティティ(自分らしい最期の迎え方)を支えるような専門家のあり方が求められていることを教えてくれた。