『朗読者』

ベルンハルト・シュリンク(松永美穂訳)(新潮社、2000)



 私より先にこの本を読んだ妻が「心がしんとする本」だと言った。私も二度読んで、この本は「心がしーんと鎮まる本」だと感じた。「胸を締めつけられるような深い感動を与えてくれるドイツの小説である。近年、これほど心動かされた海外文学はない。読み終わってしばらく涙がとまらなくなるが、それは感傷の心地よい涙というより、粛然たる物語に触れたときの、痛みをともなった涙である」という川本三郎の書評がとても頷ける。
 物語は、15歳の少年がふとしたことから36歳の女性と恋に落ち、蜜月の日々を送るところから始まる。描写がこまやかで、とろけるような性愛小説かと思いきや、ある日、突然、女性のハンナ・シュミッツは失踪し、物語のトーンは変わる。少年がハンナと再会したのは、大学のゼミナール活動で訪れた法廷においてであった。戦争時、ハンナは、ナチスの親衛隊に入隊し、アウシュヴィッツの看守をしていたのである。2人だけ生き延びたユダヤ人女性の1人が当時の体験を本にし、そこからハンナたち看守の裁きが始まった。
 ドイツでは、1960年代ドイツ人がドイツ人を裁くという痛みを伴う戦争犯罪に対する裁きが行われた。戦争という集団暴力において、誤りなく個人を裁くことができるのか。暴力と殺戮をあやふやにしておくことは、いかなる禍根を残すことになるのか。このジレンマの中で、ドイツ人は戦争犯罪をあいまいにしないという選択をした。この『朗読者』は、ドイツ文学の一つの到達点である。その裾野には、戦後、戦争責任を問い続けたドイツの精神が広がっているように思われる。