『カラマーゾフの兄弟』

ドストエフスキー(岩波文庫)



 ドストエフスキーは19世紀の作家だが、19世紀を感じさせないような新しさがある。先週までの話では「ややこしさ」を生き抜いているということである。トルストイの作品には、幸せな家庭と不幸な家庭があったが、ドストエフスキーの作品には、そういうものはない。幸せな家庭の闇、不幸な家庭に差し込む光、人間の影を描ききっているような迫力がある。『カラマーゾフの兄弟』では、ずっと長男のドミートリーが好きだった。闇のない光、しかし落ちるところまで落ちていく哀しさ。蛇蝎のような父親との葛藤。しかし、ドストエフスキーの世界には、ドミートリーばかりではなく、次男のイヴァンがいて、三男のアリョーシャがいる。そして、もう1人、スメルジャコフ。ドストエフスキーは、自分のなかの多元的なパーソナリティを冷徹に見つめ、描ききった、驚異の人物である。『カラマーゾフの兄弟』があれば、きっと無人島でも退屈しない。