『ねじまき鳥クロニクル 全3巻』

村上春樹(新潮文庫、1997(単行本1994))



 「戦争シリーズの二週目は、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』である。なぜ戦争シリーズに村上春樹が登場するのかというと、この本は現代を舞台にしながらも、その中にノモンハン事件を入れ子構造のように埋め込んでいるからである。満州(中国東北部)に渡った間宮中尉の長い話こそ、この本の最も中心に位置しているように、わたしには思えるのである。
 『ねじまき鳥クロニクル』は、失踪した妻クミコを巡って、僕とワタヤノボルが死闘をくりひろげる話である。死闘といっても、殴り合いのたたかいではなく、無意識の深みに分け入って、自らのなかのワタヤノボルを探る心理劇である。ワタヤノボルとは何者か。私が思うに、弱者を踏み台にしながら、弱者への想像力を欠き、自分だけのうのうと生き延びてきた人間の象徴なのだ。
 わたしたちにとって、満州とは何だったのだろうか。どうして満州のことを、わたしたちはこんなにも知らないのだろうか。「五族協和」という虚飾の下に、他人の故郷を踏みにじった歴史をどうして忘却しようとしているのだろうか。ワタヤノボルと満州はつながっている。満州という歴史に向き合うことは、自らの想像力を取り戻し、異質との対話を回復する一つの道ではないかと思う。村上春樹の感じさせる独特の痛みとともに、歴史への回路がひらかれるこの一冊を、ぜひともお薦めしたい。