『豊かな社会の透明な家族』

鳥山敏子・上田紀行(法蔵館、1998)



 本書「はじめに」より。「本書は、神戸の小学生殺害事件を出発点とし、『子どもの暴力』がどのような背景によって生じてきたのかを一つの焦点としながら、日本社会全般を論じた対談である。生きてきた時代も異なり、個性も大きく異なりながら、ともに『いのち』『からだ』『癒し』といったキーワードを共有する仕事を積み重ねてきた二人の対談は、各自の個人史や実践のあり方といったきわめて個的な領域に大胆に踏み込みながら、他方で学校、親子、性とエロス、平和、歴史といった領域を横断していくものとなることだろう。」鳥山敏子は、元小学校の教師で、現在は「賢治の学校」を主宰。生き物と人間との関係に気づき、いのちを見つめ直すために、教室でにわとりを絞めたり、豚を解体するような実践を拓いた。本書は、こうした鳥山のシャーマン的な感性を、切れ味抜群の上田が受けとめ、「自分の中心をどう回復するか」「夫婦のエロス」などのテーマで語り深めていった対談である。上田は本書の「あとがき」の中で次のように述べている。「子どもに『心の教育』を、と叫ぶ前に、われわれの心は他者に教育を授けられるほど豊かなのかを問うがいい。子どもに夢がないと嘆く前に、自分自身の夢とは何なのかを考えてみたことがあるのか…空しい大人が被害者としての子どもを生みだし、その子どもが大人になってまた被害者の子どもを生み出す。世代を経るごとに、その構図は強まり、もう抜き差しならないところまで来てしまった。そうやって次世代を犠牲にして人生を切り抜けていく方途はすでに機能を停止している。そのプロセスを自分の世代で止めるという決意と取り組みこそが、現在求められているのである。」