Dailyたまのさんぽみち


2017/3/7(Tue) 合唱


 


 3月になった。花粉がきつい。それでも春はこわばっていた身体がゆるむ。 まもなく卒業式、そして4月になると、新年度が始まる。      

 日曜日は地域交流コンサートで、小学生や中学生の合唱を聴いてきた。 子どもたちの歌声を聴いていると、涙があふれる。人間の美しさと生きるという 営みのはかなさと輝き、「平和の鐘」の歌声とともに、心に染み渡った。  

 そんな歌声をもつ人間が、同時に傷つけ合うことがある。さみしいことだ。 人に向けた刃は、いつか自分自身に向けられることになる。踏みとどまる ことの大切さは、もっと教えられるべきことだろう。

 公的な空間で暴言が野放しにされるようになって、どのくらいの年月が 経ったことだろう。「言葉の美しさは、人間の美しさです」と授業のコメント ペーパーに書いてくれた学生がいたけれども、言葉が大切にされる世界で、 人ははじめて人間になれるのだと思う。

 合唱は暴言の対極にあるもので、子どもたちから人間とはかくあるべき ものだということを教えられた。つまり、人間の口は、他人を呪い、貶める ためにあるのではなく、他人を祝い、勇気づけるためにあるということだ。

 子どもたちの歌声に包まれた身体を抱えて、帰路を急ぎながら、私は、 今しばらく世界の空気に触れたくないと思った。しかし、世界内存在である 私たちは、そこから脱走することは許されない。

 子どもたちの歌声が心に響くのは、子どもたちが無菌培養の状態で 生きているからではなく、この厳しい時代の空気にさらされながらも、 そこにあらがって、美しい歌声を発しているからなのだ。

 脱走のための非常階段を探すよりも、一人ひとりが自分の口から出す 言葉によって世界の空気を少しでも良いものにしていけたら、きっと 明日の世界は今日よりも輝きを増すことだろう。



 それでは、来週から学生たちと韓国に行ってきます。世界中、どこにいたら 安全だとはいえないご時世、皆さまも、それぞれの場所で、くれぐれもご自愛下さい。   







2017/2/9(Thu) トランプ元年


 


 2月になった。風はまだまだ肌寒いが、陽射しは春めいてきている。 2月が旧正月というのは、理にかなっているように思う。まさに新春である。      

 旧正月で中国から多くの観光客が日本を訪れるという。私は、仕事の関係で 日本各地を旅することが多いが、近年、至るところで中国人をはじめとする 外国人の観光客が増えていることを感じる。新幹線でもそうだし、ホテルでも そうである。この前は沼津のホテルの朝食バイキングで「ちょっと、ちょっと、 牛乳がない」(英語)と言われたので、ホテルの従業員でもないのに、 「少々お待ち下さい。ただいま準備します」(英語)と答えて、ホテルの お手伝いをすることとなった。ホテルからチップをいただきたいところだったが、 何はともあれ、今後ますます、異文化との交流は増えることだろう。  

 私たちのゼミでは来月韓国に研修旅行に出かけるが、海外を経験することの 大きな意味は、私たちもまた外国へ行くと、そこでは「外国人」になることを 実感させられることにある。この世界の中に、「外国人」という人たちがいる わけではなく、自分も含めて誰もが「外国人」となりうる。たったそれだけの ことである。

 トランプ大統領が難民やイスラム圏7カ国出身者の入国を禁じた大統領令を 出して大きなニュースになっている。アメリカは三権分立が機能しているようで あり、司法がこれにストップをかけている。トランプ大統領の乱暴な政策を 支持しているのは、おそらく自分が「外国人」になることを想定したことのない 人々である。そうした人々は、「イスラム」や「テロリスト」といった記号に、 反射的に反応させられてしまう。

 現代のイスラム圏の国々にはキリスト教徒も多数生活している。また、 欧米諸国にも多数のイスラム教徒が生活している。「キリスト教徒」にも 大量殺戮者はいたし、「テロリスト」が欧米の国籍を有していたことも 何度も見てきた。さらにいうならば、大多数のイスラム教徒は、 穏やかで平和を求める人たちだ。アメリカ国内で殺人によって亡くなった 人々は2015年に15,696人であり、テロが頻発しているイラクよりずっと 多い。もちろん、国の規模が違うので、単純に比較はできないものの、 「外国人」を入れないことで「アメリカ」が安全になるというのは幻想に 過ぎない。

 トランプ大統領が選んだ教育長官はベッツィ・デボス氏であり、彼女は 大富豪であり、公立学校を民営化する動きといえるチャーター・スクールの 熱心な推進者である。公立の学校教育についての関心が薄く、公教育制度に ついてあまりにも無知であるため、保護者や教育関係者から大きな反発の声が 上がり、デボス氏の教育長官起用に反対する嘆願書に140万人以上の署名が 集まっている。上院での閣僚指名承認投票でも、賛成と反対が50対50で並び、 上院議長を兼任するマイク・ペンス副大統領の1票によって、かろうじて 承認されている。

 デボス氏は公聴会において、学校周辺への銃の持ち込みについて、 クマの攻撃を防ぐために必要だと想像できる、と発言している。 「外国人」と銃をもった「アメリカ人」と、どちらの方が、クマ、 いや、「アメリカ人」にとって危険であるのか、よく考えてみたい。

 トランプ大統領の母親はスコットランド北部のルイス島からの移民であった。 さらには父方の祖父母はともにドイツからの移民であった。移民を受け入れ、 そのエネルギーを国力に転化することによって、第二次世界大戦後のアメリカの 繁栄は訪れた。移民こそがアメリカのパワーの源であり、建前だったかも しれないが、寛容こそがアメリカの倫理的優位の源であった。しかしながら、 移民の希望だったこの新しい国は、移民の息子とその支持者たちによって、 「新世界」という一つの劇の幕を閉じようしている。



 それでは、何が起こっても不思議じゃないこの世の中、とにかく、 生きているだけで儲けものということで、見るべきほどのものは見つ、 ということでしょうか。どうぞお身体、お心に十分に気をつけて、 皆さま、くれぐれもご自愛下さい。   







2017/1/5(Thu) 
2017年

 


 2017年になった。今年はトランプ元年、世界は不安定さを増してくることだろう。 不安定さを増すとは言っても、このことを感じる度合いは、自分がどこに立っているかで違ってくる。 たとえば、テニスの錦織選手やゴルフの松山選手、野球の大谷選手といったスーパースターたちは、 さらに輝きを増すことだろう。その一方で、「普通の」人々が「普通の」暮らしを続けることは、 今以上に容易ではなくなるだろう。さらには、いろんな形で社会の辺縁に追われて、 社会からドロップアウトせざるを得ない人々も増えてくることだろう。 年末の鍋の会で、いつも沈着冷静な知人が、「戦争をしたい人が確実に増えてきているように感じる」と 語っていたのが気になるところである。

 新年は、連れ合いの実家で過ごした。例年、プロ野球選手よろしく、 自主トレで新年をスタートすることにしている。川沿いの道を走っていると、田園風景が広がり、 水面を白鷺が舞っている。実に、美しい日本の風景である。 福島もまた美しい日本の風景が広がる魅力的な場所だった。そして、 沖縄も世界有数のエメラルドグリーンの海に囲まれる、言い尽くせないほど美しい場所だった。

 前の世界大戦の時、このような美しい場所を、自称「愛国主義者」たちと彼らを熱狂的あるいは 消極的に支えた「国民」が、見るも無残な姿に変えていった。そして、フクシマ原発事故で、 美しい日本の風景がズタズタになったにもかかわらず、安全と安心を求める「民意」は何度も踏みにじられて、 各地で原発の再稼働が進んでいる。人々が望まない「カジノ法案」が拙速で採決される一方で、 かつて国民に約束したはずの「議員定数の削減」は一向に進まないという現実がある。

 「民度」が上がらないことには、日本の政治も変わらないのだろうが、日本の「民」の実践倫理は そんなに低いわけではない。道徳の教科書で教えられたわけでもないのに、多くの人々が自分の敷地を 美しく整えている。法律で決められたわけでもないのに、多くの人々が自分の子どもに高い教育を 受けさせたいと考えている。もちろん、これらがよりよい「社会」を創るためという動機でなされて いるとは限らないわけであるが、これらの実践をよりよい「社会」につなぐことは可能なはずである。

 川沿いの道から見えた美しい風景が、名もない人々の日々の営みによって支えられているように、 日本の子どもたちの慎ましい学びの風景は、広くは知られることもない親や教師たちの日々の営みに よって支えられている。

 東京経済大学の教職ラウンジでは、単位を与えられるわけでもないのに、多くの学生たちが 毎日のように模擬授業を企画し、向上心をもって、来たるべき教育実習、教職生活に備えている。

 上に立つ者は、現場で格闘している人々の実践倫理に対して、深い信頼と敬意をもつべきであり、 これができないものは指導者として失格である。箱根駅伝での青学の三連覇は、原監督の選手への 深い信頼と敬意に根ざしている。同時に、こうした監督の信頼を裏切るものは選手として失格であり、 育む者と育まれる者との相互性のなかで、私たちは倫理的な存在として立ち上がっていくのである。

 学生諸君、間違っても、授業中にスマホでゲームをすべきではないぞよ。心して学ばれよ。



 それでは、波瀾万丈の世の中、どうぞお身体、お心に気をつけて、まずは風邪を引かないように、 ゆとりがありましたら、その上、充実した一年をお過ごし下さい。   







2016/12/1(Thu) 
知A

 


  12月になった。2016年もあと一月である。アメリカでトランプ氏が次期大統領として選出された。 インターネットの開票速報の思いがけぬ展開に、「まさか」と全身が凍りついた。見立てが甘かったのだ。 もはや「アメリカ人」の大半は、1950〜60年代のホームドラマのイメージのような、寛容で、親切で、 少々お節介な、愛すべき人々ではなくなっていた。

  今回、「アメリカ人」は、「上品」で「知的」な訓練を受けていて「政治的」な経験も豊富なヒラリー・クリントンではなく、 「下品」で「差別的」な言動を撒き散らし「政治的」な経験のないドナルド・トランプを自らのリーダーである大統領に選出してしまった。 その結果、普遍的な価値の担い手としてのアメリカという幻想は、打ち砕かれてしまった。このことは、もはや取り返しのつかないことかもしれない。

  今回のアメリカ大統領選挙は、「嫌われ者」同士の争いだったと言われていた。 なぜ「上品」で「知的」なヒラリー・クリントンがあんなにも嫌われたのか。 ニューヨーク在住の知人は、ヒラリー・クリントンの言葉は、一般民衆に届かなかったと語っていた。 ドナルド・トランプの言っていることは、一般民衆にもわかる。しかし、ヒラリー・クリントンの言葉は、 わからなかったというのだ。

  アメリカは超格差社会である。そして、この格差は、年々拡大している。 アメリカの社会は、少数の超「勝ち組」と多数の「負け組」によって構成されている。 この構造を生み出したものは、グローバル資本主義である。このシステムは、すべての価値を貨幣に換算して、 世界中で最も安価な労働力と最も有利な市場を求め、内部の利益を最大化するために、昼夜を問わず、作動し続ける。 富と権力に満たされている人々に無限の便益を準備する一方で、一般民衆の生活に深刻な打撃を与える破壊力をもっている。

  さて、グローバル資本主義の暴走によって生み出された超格差社会に対して、現代の「知」は、何らかの歯止めになってきたであろうか。 いや、ほとんど無為無策だったように思う。それどころか、産学軍の協同体制のなかに位置づいた「知」は、超格差社会を生み出した要因ですらあったといえる。 21世紀の「知」の主流は、グローバル資本主義を正当化してきたのだ。

  結局、知識基盤社会なるものは、現在にいたるまで、非エリート層には、何の恩恵をももたらしてこなかったといえる。 知識基盤社会は、その前提として、すべての人々を対象とした手厚い公教育を土台にしないと機能しない。 だが、その公教育がアメリカにおいて崩壊しつつある。すべての人々に対して質の高い学びが保障されていない状況の下、 知識基盤社会は、チャンスに満ちた社会ではなく、閉ざされた不平等社会として、一般民衆に受け止められているのである。

  グローバル資本主義の下、従来の正規雇用の仕事を失い、非正規雇用への移行を余儀なくされた人々が増えている。 これらの人々は、安定した生活を送りたいというささやかな夢を奪われ、彼・彼女らの不満はマグマのように蓄積されている。 蓄積された不満が、今回の大統領選挙において、グローバル資本主義を体現しているかのように思われたインテリのセレブである ヒラリー・クリントンに対する忌避として、現れたといえる。

  トランプ大統領という現実を突きつけられた今、「知」は、その原点に帰ることが求められている。 「知」とは、根源的には、「高度な」社会を作るためではなく、すべての人々が安心して生活できる社会を作るためにこそ、 存在すべきなのである。 



  



  先月の東京では記録的な11月の積雪がありました。これからますます寒くなります。どうぞご自愛下さい。      

  





2016/11/1(Tue) 


 


  11月になった。また年を重ねることになる。学生たちとの年の差も広がってきている。 考えてみると、今年は2016年。世紀末から17年も経ったことになる。中学校時代に 『ノストラダムスの大予言』を愛読していたこともあり、未来は1999年までで終わって いて、2000年以降のイメージは、まるでなかった。手探りをしながら、人生のおまけの 17年を生きてきたが、おまけのなかに楽しい経験もたくさんあり、そして、見たくない 出来事もたくさんあった。トランプ大統領の誕生などという喜劇は、コントの中だけにして ほしいところだが、21世紀の時代像が描けず、人類は迷走しているように思える。 ビル・クリントン大統領の後継者になるはずだった民主党の大統領候補アル・ゴアが、 史上稀に見る大接戦の末、共和党のジョージ・ブッシュに敗れてから16年が経ち、 アメリカ大統領選挙は史上稀に見る醜態をさらけ出している。見たくない風景だったが、 決してこれは他人事ではない。反知性主義が蔓延るのは、「知」が大切な何かを見落として きたからである。

  マラソン大会に出場すると、フルマラソンを2時間10分前後で走るエリートランナーのほか、 それぞれの思いと目標をもつ一般のランナーが同じコースを走り、それぞれにマラソンという スポーツを楽しんでいることに感銘を受ける。マラソンの楽しみ方は人それぞれであり、 2時間30分で完走したランナーが、6時間50分で完走したランナーよりも、幸せで充実している とは限らない。優勝あるいは入賞できなかったらこのレースには意味がないと思うランナーも いる一方で、大病を経て走ることができる喜びを噛みしめているランナーもいる。他者の基準で 評価されるのではなく、自分の基準で自分を評価することが広がったからこそ、 マラソンが一般の人々にも愛されるようになったのだろう。    

  もちろん、上を目指して、何らかの代表を目指したり、世界を目指したり、指導者を目指したり する場合には、他者の基準による評価を避けることはできない。それでも、自分の基準をもっているほうが より充実したランナーライフを送ることができるだろう。

  さて、「知」の世界は、マラソンの世界のように盛り上がっているだろうか。 他者の基準によって、優劣がつけられて、学びにとって不要であるばかりか、その妨げとなる 優越感と劣等感を、ひたすら生み出してきたのではないだろうか。

  何の工夫もなく子どもの競争心にのみ依拠して優劣を競わせる中学校のマラソン大会が、 特別足が速くない生徒たちにとっては、ただの苦痛であるのと同じように、学力テストの結果と順位 ばかりが注目されて、授業における深い学びが追究されないならば、勉強は特別学業成績が優れて いない生徒たちにとっては、苦痛以外のなにものでもない。

  人々は子ども時代にこのような経験を重ねて、大人になっている。そして、極一握りの 人たちのみが「知」によって身を立てる一方で、多くの人々は「知」によって道を閉ざされている。 その結果、結局のところ、「知」とは、既得権をもっている人々が自分たちに都合のいいように 世界の仕組みを創り上げるための装置に過ぎないと、一般の人々の目には映っているのである。      

     こうして生み出された「「知」は自分たちの敵だ」という一般の人々の経験に基づくパッションが、 世界各地の指導者に煽られつつ、「知」を破壊する救世主が、待ち望まれているのである。しかしながら、 「知」を破壊したあとに来る世界がどのようなものなのか、おそらく多くの人々は、想像していない。 ただ、私たちは歴史から学ぶことができる。文化革命の時代の中国、ポル・ポト政権下のカンボジア、 現在の北朝鮮などなど、「知」が破壊されたその後の世界は、あまりにもおぞましいものである。

  マラソン(スポーツ)が私たちの敵ではなく、健康と人生の楽しみのためのパートナーであるのと 同じように、知(学び)は決して私たちの敵ではなく、平和と幸せと人生の充実のためのパートナーである ことに多くの人々が実感することができたら、世界は大きく変わるはずである。

  これから寒くなります。寒暖の差も大きく、体調を崩しやすい時候です。どうぞご自愛下さい。      

  





2016/10/31(Mon) 逍遥


 


  10月になった。いや、ボヤボヤしているうちに10月は今日で終わりだ。 10月も慌ただしい日々を過ごしていた。ゆったりとした豊かな時間を過ごされている 方々と出会うと、自分自身の日常は、はたしてこれでいいのか、と思わされることが ある。

  昔はゆったりしていた。大学時代、一人暮らしを始めた頃、下宿にテレビもなかったので、 夜9時になるともう何もすることがなくなっていた。電話もしばらくはなかったし、のちに 自分専用の電話をもてたときは嬉しかったが、話す相手もおらず、長距離電話の電話代はとても高かった。 仕方がないので、岩波文書を読んでいた。トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』、 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』など、 暇に任せて、古典的な長編小説を渉猟していたが、今の時代だったら、スマートフォン一台あれば、 SNSやゲームなどで時間を潰せるので、あんなに本を読むこともなかっただろう。    

  今年は東京経済大学の学園祭で逍遥していた。模擬店に展示や落語、懐かしい感覚である。 パソコンも携帯電話も触らない生活。人々の息づかいを楽しむ一日。キャンパスのベンチに座って、 行き交う人々を観察していた。そこには授業で観る学生の表情とはまた違う若者の姿があった。 「教える」というのは窮屈なものだ。授業中にスマホをいじっている学生に注意しなくてはならないのは、 ほんとうに嫌だ。

  「教育」の空間は窮屈であるのに対して、「学び合う」空間は居心地がいい。 「勉強」と「遊び」を対立するものと叩き込まれてきた学生たちに、「学び」と「遊び」の類似性を 知らしめるのは、容易なことではない。結局のところ、「遊び」の質を高めなくては、「学び」の 質も高まらないのだ。「遊び」を失うことなく、専門家としての「見識」を磨きつつ、 「学び合う」空間づくりに挑戦していきたい。

  季節の変わり目、体調を崩しやすい時候です。どうぞご自愛下さい。      

  





2016/9/8(Thu) 負け方


 


  9月になった。今夏は東日本は台風の襲来が相次ぎ、その代わりに、 暑さはほとほどだったように思うが、西日本は猛烈な暑さが続いていた。 先日、久しぶりに東京を出て、大阪に出かけたところ、新幹線を降りると、 シンガポールのような暑さだった。         

  大阪は楽しかった。賑わっているわけではなかったが、人間らしさが 感じられた。大阪に活力が戻ることが、日本社会の再生において、重要な 課題になるように思われた。政治も、社会も、一極集中は、滅びへの道である。 もう一つの道があるからこそ、私たちは多様な未来をデザインすることが できる。

  「勝ち組」「負け組」などという言葉が社会を席巻して、単層な社会が 創られていくなかで、「勝ち」=良いこと、「負け」=悪いこと、という ような貧しい物差しが、広がってきたように思うが、大切なことは、「勝ち」 「負け」といった結果よりも、「勝ち方」であり、「負け方」であると、 私は考えている。

  テニスの世界でフェデラー選手が多くの人々に尊敬され、賞賛されるのは、 たくさんの「勝ち」を挙げてきたこともあるが、それ以上に、大切な試合で 「負け」てしまったときの「負け方」の潔さ、美しさ、立派さに、多くの 人々が心打たれるからだろう。

  誰もが「負け」ることは悔しい、そして受け入れたくない。しかし、 「負け」を認めて、「勝ち」をつかんだ勝者を称えることが、その競技の 価値を高めることになる。テニスで身を立ち上げて、テニスによって 人生を豊かにしてもらったのであれば、テニスを愛することは自分を 愛することでもある。フェデラー選手は自分以上にテニスを愛することによって、 世界中に多くのテニスファンを創出してきた。そして、そのことは 自分自身を大事にすることにもつながってきた。

  「勝ち」は誰にとってもすっきりすることだから、「勝ち」のなかに ある時には、誰もが調子よく進んでいける。これに対して、「負け」は 誰にとっても気分のいいものではないから、「負け」とどう向き合うかは、 簡単なことではないということになる。

  戦前の日本もまた「日清戦争」「日露戦争」の「勝ち」に沸き上がった。 だが、「シベリア出兵」「ノモンハン」の「負け」はなかったことにした。 その結果が、一億総玉砕への道だった。   

  膨大な国の借金、格差社会、貧困、引きこもり、ブラック企業、原発事故、 こうした度重なる「負け」と向き合うことをせずに、一億総活躍などと威勢の いい、空虚なことばが語られているのを聴くと、戦前と今の社会が重なって 映し出される。  

  きちんと「負け」て、そのことと向き合うならば、必ず次の道が示される はずだ。「負け方」が大事なのである。振り返ってみると、大学院時代に、 論文指導において、「きちんと破綻しなさい」という指導を繰り返し受けていた ことを思い出す。「ごまかす」のではなく、きちんと「負け」ることこそが、 自分の課題が明白になる近道ということを教えていただいたのだろう。 「負け」ない人は、とんでもない大器か、自分のできないことに挑戦しない 人である。そして、大抵の場合、後者であり、「負け」から逃げることによって、 せっかくの学ぶ機会を失っているのである。

  さて、1998年以来、久しぶりに岩波書店から教育の講座が刊行されている。 この夏に「教師」の巻(第4巻)が出て、私もそのなかの第4章を執筆した。



  



  テニスの全米オープン準々決勝で、錦織選手がマレー選手にファイナルセットの激闘の末、勝利した。 マレー選手は「負け方」を学んだときに、ほんとうの一流の選手になることだろう。 それでは、学びの秋に向けて、一つひとつ学びを重ねていきたい。夏の疲れが出る頃です。どうぞご自愛下さい。      

  





2016/8/17(Wed) 夏のこと


 


  8月になった。というよりも8月も後半に入った。しかしながら、昨年度から 8月に集中講義を担当しているものだから、8月に入っても、休みにはならずに、 かえっていつもよりも忙しく、激しい日々を送ることになっている。

  かつては7月の中旬になると、マラソンを走りきったようなやり切った感と 爽快感に包まれていたものだが、今は、7月の中旬からもう一つギアを上げなくては ならなくなっている。それでも生きているものだから、少しは「生きる力」が増して きたのだろう。

  とはいえ、体力が増したわけではなく、といって知力が急激に増したとも思えない ので、おそらく図々しくなっただけだろう。かつては純情だけが取り柄だったが(笑)、 今は、その虎の子の純情すらなくなってしまったようで、一体、私は、これからどう やって生きていくのだろうか。

  ともあれ、東京大学の集中講義で、才気あふれる若者たちと学び合った時間は、 なかなか愉しいものであり、今の若者たちから教えられることがたくさんあった。 教師が指名をしなくても、学生自ら挙手して発言が続き、もっとグループワークの 時間がほしい、もっとレポートを書く時間がほしい、というポジティブな要望が 出る教室で教えるということは、野外キャンプでお腹を空かした少年、少女らに カレーを振る舞うようなものであり、ただこちらはご飯が足りなくならないように 気をつけて、あとはニコニコと眺めているだけで十分なのである。

  私も図々しくなったもので、日頃の鬱憤を聞いてもらいたいあまりに、長話を してしまったが、あとになって反省することしきりだった。私の話は半分で十分だった。 いや、半分もいらなかったかもしれない。学びの主体は、一人ひとりの学生なのだから、 私が自己満足に浸っている場合ではないのだ。学生たちがあまりにもよく聴いてくれるので 図に乗ってしまった感がある。来年度また機会があるならば、今度はカレー作りから 学生たちに参加してもらえるような学びのデザインを準備したい。

  7月には敬愛する牧原憲夫先生を失って、喪失感に包まれていた。 牧原先生は、私にとって神様のような人だったが、その告別式において、なお、 私たちに多くの出会いを準備して下さった。亡くなってまで、私たちを見守り、 つなげて下さった、牧原先生のご人徳には、ただただ頭を垂れるしかない。

  寂しい気持ちでいっぱいだが、牧原先生は決して健康に恵まれたわけでは なかったにもかかわらず、その人生において、後世に残る十二分のお仕事をなされた。 その生き方を、一分でも引き継いでいくことが、牧原先生との出会いという恵みを 受けた私たちの責任となることだろう。   

  牧原先生の告別式には、都立高校時代のご友人の方々がたくさん参列されていた。 戦後の時代を切り拓いた女性の先生を中心とするサロンがあって、そこで生まれた 読書会が今もなお続いているとのことであった。この「青い山脈」のような時代を、 私たちがどのようにして再び創り出していけるのか、まだまだ私たちの挑戦は 続く。  

  牧原先生のお仕事は数多くあるが、小学館の日本の歴史13巻『文明国をめざして』は、 最もお薦めの一冊である。この著書は、一般民衆の立場に立ち、急激な近代化が、日本列島に住む 一人ひとりの人生に与えた影響を、わかりやすく具体的に描写した秀作である。この大著の 中では、政治、経済が、人々の生活にどのような影響を与え、その心を方向づけていくのか、 が見事に描かれている。つねに民衆という弱者の立場に立ち、それでいて観念的に民衆=弱者を 正義とするのではない偏りのない心で、史料と向き合い、日本近代の「もう一つの物語」を 紡ぎ出されている。



  



  暑い夏が続きます。どうぞご自愛下さい。      

  





2016/7/14(Thu) 言葉の力


 


  7月になった。九州は大雨が続き、関東は渇水が心配されている。 参議院選挙もまた東西で対照的な結果が出ている。西日本で与党が圧勝したのに 対して、東北6県では与党が1勝5敗となっている。甲信越も与党の0勝3敗であり、 野党に迫力がないわりに、与党は積極的な支持を得られなかったといえるのではない だろうか。議席数であらわれているほどに、現政権が支持をされているとはいえない。

  しかしながら、野党はこのままではじり貧になることは明らかであり、未来の ヴィジョンが描けないと、どうにもならない。高みに挑戦する人たちの自由と創造性が 保障されながら、普通の人たちも幸せに生きることができる社会、そうした社会を どのようにして創っていくのか、未来の社会のグランドデザインが問われている。

  日本はすでに人口減少社会に突入している。昨年も全国で27万人の人口が減少しているが、 これは茨城県の県庁所在地・水戸市の人口に相当する規模である。今のままでいくならば、 人口減少はさらに加速しながら、少なくとも今後40〜50年は続くことになる。

  このような時代に備えて、私たちは量から質への転換を図らなくてはならない節目を 迎えている。自ら考え、判断することのできる人間を育てて、そういう人たちで社会を 支えていかなくては、どうにもならないのだ。

  ところが、私たちの社会には、人々に自らの頭で考えさせないような政策、環境が あふれていて、このため、にっちもさっちもいかなくなっている。 とりわけ、思いつきのオンパレードのように見える教育政策は、私たちの社会の自由と 創造性、そしてそこから生み出される未来の可能性を狭めてしまっている。 上に立つ者がまず「わからない」ことを「わからない」といえる謙虚さを持たないと、 私たちの社会は嘘で塗り固められた虚構の帝国になってしまうだろうし、このままでは 大ピンチなのだ。

  やり直すのにもう遅いということはない。今がいつだって一番早い。今から舵を 切るならば、大きな崩壊は十分に避けられる。整備不良車のアクセルをふかして、 崖から飛び降りるよりも、自転車を自分の力でこいで、爽やかな風に身をさらすことが、 幸せへの近道ではないだろうか。

  そして、その風のなかで、自分の言葉の力を鍛えていきたい。   

  猛暑の季節、熱中症にはくれぐれもご注意を!      

  





2016/6/1(Wed) 言葉が命


 


  6月になった。テニスの全仏オープンは雨続きで選手たちも大変のようだ。 5月のパリは一般的に好天だと言われるが、世界中で気候が変わってきているのかも しれない。今年の日本の梅雨はどのような展開になるだろうか。地震もさることながら、 集中豪雨にも気を配っておかなくてはならない。

  あるいは以前このコラムに記したかもしれないが、ある中学校の古典の授業を参観したところ、 研究熱心な先生が、平家物語と百人一首を並べて、生徒たちと読解を行ったあと、 「武士は武芸が命」、「貴族は歌が命」と当時の人びとが命がけで励んでいたことを語り、 そして最後に「教師は授業が命」とポツリと呟いた。あまりの格好の良さに、私はついつい 微笑んでしまったのだが、一流の人は自分の課題に存在を賭けて向き合っているといえるだろう。

  昨日、28歳の佐藤天彦八段が45歳の羽生善治名人を4−1で下して、名人に就いた。 2002年以降、名人位は羽生と同い年の森内が分け合ってきたので、久しぶりの20代の名人という ことになる。佐藤の将棋は品位があり、躍動感がある。「棋士は将棋が命」を体現している新名人の 誕生は、新しい時代の訪れを感じさせる。昨日という日は、将棋界にとって大きな節目の日として 長く記憶されることになるのではないだろうか。

  そして、「政治家は言葉が命」である。ジャーナリズムは「権力者の言葉の検証が命」である。 場面場面でコロコロ変わる、ご都合主義的な政治家の言葉を垂れ流すだけならば、ジャーナリズムは むしろないほうがましである。「政治家は言葉が命」であるという命題が居直りと詭弁と黙認によって 無効化されている現状は、実に危機的であるといわざるを得ない。

  7月の参議院選挙を前にして、首相は消費税増税を30ヶ月延期するという。この政策判断の是非は、 ここでは問わない。私も消費税増税に賛同しているわけではない。ここで問題にしたいのは耐えがたき 「言葉の軽さ」である。     



「しかし、財政再建の旗を降ろすことは決してありません。国際社会において、我が国への信頼を確保しなければなりません。そして、社会保障を次世代に引き渡していく責任を果たしてまいります。安倍内閣のこうした立場は一切揺らぐことはありません。 来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。」



  これは今を遡る1年半前、2014(平成26)年11月18日の「安倍内閣総理大臣記者会見」の引用である。



     全文はこちら

     

  わずか1年半前に勇ましく叫んだ言葉は一体どこにいったのだろうか。この言葉と今回の判断の上にはどのような整合性があるのか。 未来のことは完全にはわからないという当たり前の感覚をもった人間ならば、こんな言葉を公然と語ったりすることは、あり得ない のではないだろうか。「ない」とはどういう意味なのか、「断言」とはどういう意味なのか、「確実に」とはどういう意味なのか、このように 一つひとつの言葉を国語の授業のように吟味していけば、こんなに「はっきり」とわかりやすく、ほかの解釈の余地がない文章はないぐらいである。

  ところが、この声明から「さらに30ヶ月延期」という判断が生まれる。これは一体どういうことなのか。なるほど、この読みが可能であるのならば、日本国憲法第九条から集団的自衛権が容認されるのも、頷ける。

  ところで、このような民主国家においては致命的とも思える記者会見の文言が首相官邸のホームページに掲載されていることに民主国家日本の 懐の深さを感じた。もし我が国が独裁国家であればこうした文言はいつのまにか抹消されているであろう。だが、ここではたと考えた。もし、我が国の国民、メディア相手ならば、 これくらいのはったり文書を掲載していたところで何ら問題ないだろうと思われていると(そしてその通りだと)すれば、事態はさらに深刻である。

  かつて歌を忘れた貴族は廃れ、武芸を忘れた武士はついには滅んだ。今も授業を忘れた教師は、いずれはお払い箱。 それでは、言葉を忘れた政治家は、一体いずこをさまようやら。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、・・・   

  梅雨の季節、食中毒にはくれぐれもご注意を!      

  





2016/5/17(Tue) 震災再び


 


  5月も半ばを過ぎた。4月14日と16日に熊本で大地震が発生して、多くの方々が 亡くなり、家を失った。熊本は私の故郷と隣接しているところだが、九州は台風は頻繁に やってくるものの、大地震とは無縁だとばかり、ずっと思っていた。ところが、震度7という 今回の大地震が起こり、もはや日本列島に地震から無縁の地は、存在しないということを 突きつけられる思いであった。昨日5月16日には関東地方でも地震があり、茨城県で 震度5を記録した。今朝も地震で目が覚めた。

  東日本大震災から5年、いろんなことが忘れ去られようとしているが、今回の熊本の 地震は、「メメント・モリ」、死を忘れるなという警告だったのかもしれない。 私たちの日常は、危うい土台の上にある。たまたま運が良くて、今まで災害に遭わなかった としても、これからも同じだと限らないのだ。

  少年時代に毎夏出かけていた阿蘇の、シンボルでもあった阿蘇大橋が崩壊したというのは、 心が痛むことである。復旧まで長い道のりが必要になることだろう。

  忘れたり、風化させたりしてはならないことがある。記憶の伝承こそが、人類の文化の 土台であった。他者への気遣い、関心こそが、人類のセーフティネットの土台であった。 東日本大震災から5年、被災地の復興は進んでいるのだろうか。福島の農家は今どうしているのだろうか。 日常に追われて自己中心的な関心に生きている我が身を反省しつつ、不安を抱えながらとにかく 明るく学んでいた福島の子どもたちと先生たちのことを思い浮かべている。           

  





2016/4/7(Thu) 知への期待


 


  4月になった。4月1日に入学式があり、2日に教職課程の説明会を開催した。毎年、 同じことを綴っているような気がするが、大学生の自立が遅れてきている一方で、進路の 決断は早まってきている。私たちが大学生であった時代と比較しても、社会の設計に問題が あるような気がしてならない。昨年度、文科系学部は不要であるという論が出て、大きな物議を 醸したが、文科系の学問とは社会の設計を考える学問である。これが不要であるというのは、 何とも平和ボケというか、社会は何もしなくても安定し、維持されると信じ込んでいる人々の深刻な 無知の反映でしかない。平和で民主的な社会を育て、築き、継承し、発展させていくというのは、 公共的な仕事にかかわる人々の究極の使命であり、このためには高度な知恵と知性と忍耐と 寛容と技法が求められるのである。この仕事を難しさを認識し、尊重する知性をもつ 若者を育てたいと願っている人文科学、社会科学、そして自然科学もふくむ教養養育に 携わっている私たちは、反知性主義とは決して相容れないのであり、反知性主義とは 厳しく戦っていかざるを得ない。

  もちろん、知性によってすべてが解決するというのも、極端な考えであり、 私は、そのような考えに与するものではない。人間は愚かなものであり、一人ひとりが それぞれの弱さを抱えている。そして、それを癒やすのが笑いであり、祭りである。そもそも いい加減な人間である私は、笑いも、祭りも、音楽も、スポーツも、遊びも大好きであり、 知性だけで人間が幸せになれるとは考えていない。

  それでも、知性抜きで人間が幸せになれるとも到底思えない。知性を嘲笑する共同体が 構成員の幸せを導くとも到底思えない。学びから逃走し、知性を嘲笑し、無視する子どもたち に、待っている未来が暗いのと同じように、学びを侮り、知的な対話に向き合おうとせず、 知性を嘲っている支配層が導く未来の社会は、暗黒である。だから、昨今の反知性主義と対話の 欠如による居直りには、異議申し立てをせざるを得ない。

  民主主義の基本は、聴くことにあるが、今、「聴くことの力」があまりにも 踏みにじられてしまっている。これでは、民主的な社会は育たない。「攻撃は最大の防御なり」と いうことで、内外のポピュリズムの政治家たちは泥仕合に持ち込もうとしているが、こうして 政治不信が高まることが、いつかは自分の首を絞めることになるのは明白である。知性のない 貪欲な人々の末路は哀れである。個人的には同情もするが、それが支配層となるとこちらも巻き込まれて 迷惑なものだから、そのような方々にはご退場いただくように、そのための退場口を準備するしかない。

  長いものには巻かれろというのがこの国の流儀と言われるが、決してそうとばかりは言えない。 明治政府にしても、空気を読めない長州藩の、すべてを敵に回しての明らかに無謀で、絶望的な戦い から生まれたものではないか。この無謀で、絶望的な戦いのDNAは、アジア太平洋戦争に通底する ものであるが、このDNAが対外戦争ではなく、国内の変革に向けられるならば、この国は大きく 変わることになる。どこの国も、民主主義をタダで手に入れたわけではない。民主主義とは勝ち取り、 育てていかなくてはならないものだ。これからが楽しみではないか。

     先月のコラムに書いた、ふらりと研究室にあらわれて、本年度の教員採用試験が 残念な結果に終わったことを報告した卒業生が、その数日後、急転直下、東京都の高校教諭として 採用されて、4月1日から教壇に立つことになった。人生、いろんなことがある。また、社会も いろんなことがある。あきらめたら終わりだが、粘り強くやっていると、どんでん返しも必ず やってくる。とくに、自分に理があり、相手に理がない場合はそうである。言葉をもっている人間は、 利だけではなく、理でも生きることを宿命づけられているから、理がないと、無理となり、 無理が続くと、どこかで破綻するものである。問題は、自分に理があるか、どうかである。

  敬愛する歴史家の安丸良夫先生が亡くなった。安丸先生は、民衆思想史を専門として、 民衆の信念、信仰のなかに、歴史の原動力を見出され、激動の時代を懸命に生き抜こうと した民衆の思いを探究し続けてこられた。戦前日本の支配層は、こうした民衆の思いを巧みに 全体主義に収斂させ、自らも状況をコントロールできなくなるなかで、自らの責任も曖昧に しながら、無謀な戦争に民衆を駆り立てていった。歴史から学ばない者は暗い。 安丸先生が生涯をかけて民衆の意識の両義性を見つめられたように、民衆の思いには崇高な 思いもあり、そうではないものもある。人々の上に立つ者は、民衆の思いのうちのもっとも 崇高な声を汲み上げ、それを社会のなかで十分に発揮できるような社会設計をすべきであって、 民衆の思いのうちのもっとも下劣な声を焚きつけるのは言語道断である。

  考えれば考えるほど、この社会に欠如しているのは、文系的な知性であり、これが 不要と考えるのは、あまりにもあべこべである。こんなに勤勉で、従順で、我慢強い 国民によって構成されている国で、こんなにも借金が多く、希望もなく、楽しくもない というのは、ずいぶんとヘンではないだろうか。

  ここは踏ん張りどころである。社会の課題と向き合い、そこに特効薬はないことを 認め、一つひとつ、解決していくしかない。学問が一人ひとりの人間を大事にしていると 実感できてはじめて、人々の学問に対する信頼も生まれてくる。失われた信頼を取り戻さなくては ならない。これは間違ったことだが、知性が忌避されていることの理由は、知性が弱者を 助けるために用いられたのではなく、知性が格差を拡大するために用いられてきたからだ。 そういう意味で、やはり民衆の思いは的を得ている。ただし、知性そのものを忌避する ことは、とても危険である。民衆の思いは正しいが、しばしばこの思いは、支配者によって、 操作されて、支配者にとって都合のいい間違った方向に導かれることがある。

  安丸先生は生涯をかけてこの構造を描き出して下さったのではないだろうか。 戦前とは違い、私たちはこうした研究の蓄積や過去の証言といった財産をもっている。 大きな失敗から学ぶことができる。これが文科系の学問の存在意義の一つでもある。 学生たちとともに、これらの珠玉の仕事や人々の人生から私たちがこれから生きるべき 未来について学び、考え、継承していきたい。      

  今年度の課題は、初心である。初心に返って、人々を幸せにする学問を学生たちと学びたい。

  それでは、新年度、志は高く、そして歩みは一歩一歩で、それぞれの持ち場で、 がんばりましょう。        

  





2016/3/10(Thu) 台湾


 


  3月になった。そしてもう10日も経った。例年のように花粉症で苦しんでいる。 3月は別れの季節だが、今年はいろいろあって、別れをいつくしむことも難しい。 今年度は学生への指導において課題がたくさん出て、来年度に向けての宿題が山積している。 4月からは初心に戻って、やり直さなくてはならない。厳しいが、これが 仕事であり、人生である。

  台湾に行ってきた。正午過ぎに降り立った台北松山空港は、まるで夜なのかと 思われるほど、真っ暗だった。深い雲が立ちこめて、雨だったのだ。台北はこのあとも ずっと雨で、肌寒かった。沖縄の南にあるのに、東京と同じぐらい寒く、ホテルでは 暖房も効かなかったので、震えていた。

  それでも、台南は暖かかった。台湾の学びの共同体の先生たちのおもてなしは、 大変素晴らしく、訪問した学校では、その都度、熱烈な歓迎を受けた。これも私の恩師で あり、台湾の学びの共同体を支えられている佐藤学先生のご活躍とご威光の賜物であり、 ありがたい限りであった。

  台南市の教師会の先生たち、そして校長先生や若い先生たちは、実に学びに 熱心であり、清々しかった。授業研究会においての教師会の姜先生の語りは、佐藤学先生を 彷彿とさせるように、ユーモアたっぷりで、一人ひとりの子どもたちと、若い教師たちを、 温かく見守り、包み込むものであった。そして、校長先生は、私たちへの歓迎の挨拶のなかで、 「私は毎朝、目覚まし時計のベルで起きるのではありません。子どもたちの教育を良くしたいと いう夢が私を目覚めさせるのです」という感動的な言葉を語られた。

  ニヒリズムやシニシズムに屈することなく教育と授業の改革の夢を語る台湾の先生たちと ともに過ごした時間は、とても心地よいものであった。そして、アジアは、最早20世紀の 思考枠組みを超えて、新しい時代に踏み出しているという思いを強くもって、日本に 帰ってきた。  

  日本は、少子高齢化を迎えているが、台湾を始め、韓国、中国とアジアの国々もこれから 急速な少子高齢化を迎える。日本は一つのモデルケースとなりうるのだ。そして、日本には、 豊かなインフラがある。今後、日本が豊かなインフラを生かしつつ、もし成熟した社会を 育て上げることに成功したら、アジア諸国も、その道を辿っていきたいと願うだろう。 これからの日本に必要なのは、民主主義と共生であり、これを実現した暁には、 アジアの未来は、明るいものになるだろう。

  明日への希望をもって日々尽力している人々とつながって、こちらも励まされて 生きることは、実に幸せなことである。今日は、たまたまそのような卒業生がふらりと 研究室に顔を出してくれて、一気に研究室が片付いた。その人と一緒にいるだけで こちらのやる気もぐいぐいと出てくるという有り難い人が必ずいる。私はそのような 人にずっと励まされてきたが、もうそろそろ私自身がそのような人にならなくては ならない頃だ。   

  今年度は、課題が多かったが、課題があるのは、まだ伸びしろがあるということ でもある。来年度に向けて、じっくりと闘志を温めたい。

           それでは、季節の変わり目、どうぞご自愛下さい。        

  





2016/2/23(Tue) 落差社会


 


  2月のコラムをもう2月が終わろうとしている頃になってようやく書いている。 しかも、明朝早くにゼミ生を連れて、台湾研修旅行に出発するというところでの、ギリギリの 仕事である。

  明治大学の論述試験の採点をしているだけで、1週間も要してしまった。 考えてみると、一つの仕事を丁寧に仕上げるということは、それだけでも、十分に 大変なことである。今は多くの人々が懸命に働いている時代である。それなのに、 もっともっとと急かされて、どんどん要求はつり上がる。その一方で、報酬は、 経済的な面でも、精神的な面でもどんどん下がっていく。

  このような状況なものだから、誰でもカスタマー(お客様)のポジションに 自分を置きたがる。今の社会では、カスタマーは全能だからだ。お金を払うほうは、 言いたい放題、といって、多くの場合、たいしたお金を払っているわけでもない。 それでも、お金を払っていれば、王様気分である。

  ゼミ冊子の編集のために学生とともに草津温泉に出かけた。生演奏つきの 寿司や蟹、ローストビーフの食べ放題、源泉かけ流しの露天風呂、夢のような 贅沢が、驚くべき低価格で提供されていた。振り返ってみると、私たちの大学、 大学院時代、合宿といえば、民宿の畳の部屋で雑魚寝と相場が決まっていた。 それでも、今回の草津温泉よりも費用がかかったように思う。

  もちろん、これも大学の補助があるからこそだが、至れり尽くせりの カスタマーサービスの一方で、働く人々の環境は年々悪化しているように 思われる。草津温泉でも、厳寒のなか、ホテルの従業員は、客を乗せた バスが見えなくなるまで、吹きさらしの外に立ち、見送っていた。 しかも、ホテルの制服のスカート姿でだ。  

  学生たちは、大学卒業を境として、カスタマーから働く人々の立場に 180度転換しなくてはならない。しかしながら、現在、社会の変化に伴い、 この転換があまりにもギャップが大きいものとなっている。 たとえるならば、王様が丁稚奉公に出されるようなものだ。 丁稚が王様になるのならば、楽しみもあろうが、王様が丁稚になるというのでは、 あまりにもみじめである。しかも、小説『王子とこじき』のように、最後に こじきと入れ替わった王子が王子に戻れるならばともかく、今は丁稚のまま、 一生を終える可能性も高いのである。

  社会に希望を取り戻すためにはまずは働く人々が優遇され、尊重されなくては ならない。そして、子どもを王様にしてはならない。子どもを王様にすることは、 子どもの未来を不幸にすることだ。誰もがまずはやるべきことをきちんとやるという 当たり前のところに立ち戻らなくてはならない。子どもは未来の社会の ために学び、大人は今と未来の社会、そして子どもたちのために働くのだ。

  この社会では今ありえないことが起こっている。だが、その問題に特効薬など、 残念ながらない。道に迷ったら、間違った地点まで戻って、もう一度、歩き直すしか ないのだ。   

  とにかく明日から台湾という私にとっては未知の世界を見てくる。 カスタマーとしてではなく、学び手として、異文化からたくさんのことを 学んできたい。

           それでは、寒暖の差の激しい季節、どうぞご自愛下さい。        

  





2016/1/18(Mon) 雪


 


  新年あけましておめでとうございます。のご挨拶が松の内を過ぎてしまった。 寒中お見舞い申し上げます。のご挨拶がふさわしいだろうか。

  暖かい正月だったが、今朝の東京は雪、しかも朝から雨に変わり、風も強く、 なかなか悲惨な月曜日である。駅に向かう人々の足下はおぼつかなく、駅のバス乗り場には、 長蛇の列ができていて、都市生活のもろさを突きつけられるかのようであった。

  こんななか、長靴をはいて「決死の覚悟」(おおげさ)で大学までの雪道を歩き、ゴール間近 と思ったところ、守衛さんに「今日の1限、2限は休講ですよ」と声をかけられ、苦笑い。 「決死の覚悟」も空振りに終わったわけだが、有り難いことにコラムを書く時間ができた。

  来月はゼミ研修旅行で台湾に行く予定になっているが、その台湾では総統選で民進党の蔡英文主席が 勝利し、立法委員(国会議員)選挙でも民進党が単独過半数を獲得し、政権交代が実現することとなった。 韓国に続く、東アジアでの女性の政治リーダーの誕生である。戦後70年、東アジアは大きく変わった。

  日本では政治の多様性が失われ、時代に逆行しているように思われる。小選挙区制が政治の幅を 狭めてしまったのかもしれない。ポピュリズムではなく、はっきりとものを言う政治家が、すっかり 少なくなってしまった。

  膨大な国の借金も政治の選択肢を狭めている。ここ30年ぐらいでにっちもさっちもいかない社会が 作られてしまったように思う。小さな政府を標榜する政治家たちが、競い合って歳出を増やすという 奇妙な現象も生じている。子どもには習い事をさせないで、妻子には栄養のある食事も与えないで、 パチンコと趣味の刀剣集めにお金をつぎ込んでいる非道な父親の姿が重なってくる。

  大きな政府を作るという選択肢があってもよいではないか。もちろん財源の問題を避けては 通れないだろうけれども、政治という営みは、人々の希望を紡ぎ出すという側面がなくては、 成り立たない。無駄はできるだけ減らしながら、政府と社会によるセーフティーネットはできるだけ 広げる。安心できる社会が準備されたら、少子化も風向きが変わるだろうし、消費も増えるように 思うのだ。

  賢い有権者として、政党や政治家にすべて委任するのではなく、互いに切磋琢磨させながら、 育てていくことが、私たちに求められているように思う。   

     寒さのなか、どうぞご自愛下さい。今年もよろしくお願いいたします。        

  





2015/12/23(Wed) 今年の一冊


 


  11月にまた一つ歳を重ねたのだが、とにかく忙しく、自分の身の回りの 懸案事項に立ち向かうだけで精一杯の日々である。というわけで、12月のコラムを 書くゆとりもないまま、もう12月も23日となり、今年もあと9日となってしまった。

  昭和天皇が亡くなり、次の天皇誕生日が12月23日だと知ったとき、 冬休みまであとわずかのところなので、あまりありがたくもないなという印象を もったのだが、今年は、この日が祝日で、しかも大学の休日授業日でもないことが、 ありがたくてたまらない。大学の授業日数も増えて、土曜日の仕事も多く、 祝日もその多くが授業日になっているので、ほんとうに落ち着いて過ごす時間が なくなっている。

  今日という日があったから、このコラムも何とか年内に書くことができた わけであるが、日本という社会の、「生産性の低い忙しさ」は、何とかしなくては ならないと切実に思う。率直に言うならば、人々が自分の頭で考えないから 「忙しい」のだ。とりわけ、人の上に立つ人間ならば、自分の頭で考えるべきだ。 上に立つ人間がきちんと考えないと、一般の人々を無駄に苦しめることになる。

  さて、天皇陛下は82歳の誕生日に先立ち、記者会見でこの一年を「先の戦争のことを考えて 過ごした1年だったように思います」と振り返るとともに、「先の戦争のことを十分に知り、 考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と述べられたそうだ。 熟考の上、慎みある表現で、現政権と日本社会の動向を憂い、戒められたのだろう。 さて、上に立つ人間は、どのようにこのメッセージを受け止めるのだろうか。

  今年もあとわずか。今年の一冊を選ぶとしたら、どの本になるだろうか。 なんて考えていたら、数週間前、研究室の留守電に、「広告代理店○○堂の△△です。 先生の『教師のライフストーリー』が××新聞の今年の一冊に選ばれました。 国会図書館で借りて読み、感動いたしました」という奇妙なメッセージが入っていた ことを思い出した。××新聞が私の著書に関心をもつなんて変だなと思いつつ、 折り返し電話を入れたところ、案の定、「今年の一冊という広告に掲載するため、 広告料として24万円お支払い下さい」という話だったので、「当方、著書を出して すっからかんになっており、そんな大金を払う余裕はございません」と丁重にお断り したところ、すんなり引き下がってくれた。

  虚栄心につけ込んでくる商法なのだろうが、今年の一冊にはまだまだ遠い道のりであることは 重々承知している。 そして、本コラムの今年の一冊は、同じくライフヒストリーである社会学者・小熊英二さんの 『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』 (岩波新書)。 小熊さんは何を書いても超一流であるが、父親の人生を通して、日本の戦争と戦後を描写した この作品は、社会学、歴史学のライフヒストリーのマスターピースとして、後世まで読み伝えられる ことになるだろう。 この本は、来年度のゼミの課題図書の一冊になりそうである。



  2015年末、この一年の歩みを振り返り、2016年に向けてもう一度気力を充電したいものである。   

    一年間ありがとうございました。また次の一年間、これまでの歩みを継続しつつ、何かしらの前進に挑戦し、新しい活動に踏み込んでいきたいと 思います。どうぞよいクリスマスと年末年始をお迎え下さい。

  See you next year!        

  





2015/11/12(Thu) 論壇


 


  10月も何やかにやで忙しく、気づいてみるともう11月で、しかも すでに12日も経っている。今年も残すところ、40日ほどで、来年からは 2010年代も後半に入る。20世紀もずいぶんと昔のこととなり、思えば、 遠くに来たもんだ。

  「国破れて山河あり」と、杜甫が詠ったのは、安禄山の乱に遭遇した ときのことで、これは名高い玄宗皇帝の時代であった。都の長安を追われた 玄宗は、逃亡の途上で、寵愛していた楊貴妃を泣く泣く誅殺することになる。

    それではこのまま唐は滅びたのかと思いきや、763年に安史の乱が 平定されたあと、かつての栄光は戻らず、さまざまな乱に悩まされながら、 907年に滅亡するまで、ゆっくりと死への道を歩むこととなった。

  このように一つの社会、一つの国家、一つのシステムが栄華を極め、 衰退するには、一人の人間の人生を超えた時間のスパンを要する。 私たちの社会が衰退の局面にあることは、間違いのないことであると 思われるが、衰退の様相もまたその社会、文化によってさまざまである。 私たちの社会もまた、さだまさしのBirthdayの歌詞にあるように 「古い時計が時を刻むように、ゆるやかに年老いていけたらいい」 と思うのだが、果たしてどうなることだろうか。

  考えてみると、自分の老いを受け入れるということは、思いのほか、 難しいことなのかもしれない。人の老いは、容易に気づくが、 自分の老いは、なかなか気づかないものである。その理由の一つは、 老いはゆるやかにやってくるから、いつも自分を見ている自分は、 気づきにくいということで、もう一つは、自分の老いは、あまり 見たくないものだからだと思う。

  成長している自分に気づくのはうれしいことだが、衰えている 自分に気づくのは寂しいものである。自らの社会を反省的に見つめる 論壇時評が低迷しているのは、そのような理由もあるのかもしれない。



  しかし、「国破れて山河あり」である。戦後、私たちの社会が創り上げて きたものは、決して少なくはない。男女が平等に学べる大学、安全で正確な 公共交通のシステム、世界の名著を読める図書館、などなど。古くなったからと 十把一絡げに捨ててはいけないものがたくさんあるのだ。   

     11月、学びの秋は深まります。好きな本を一冊手にとって、この70年間で 創られたものにはどんなものがあるのかを考えてみるのも、また素敵ですね。 どうぞご自愛下さい。        

  





2015/10/15(Thu) 秋望


 


  9月はあれあれと思う間に過ぎて、10月ももう半分が過ぎている。 秋の風が心地よい。こんな季節がずっと続いてくれたらいいのに、と思うのだが、 気持ちがよい季節は短く、そして、その時はいつも忙しい。

  「国破れて山河あり」とは、杜甫の五言律詩「春望」の出だしであるが、 これまでの秩序が失われた国のなかで、絶望の淵から、希望を見出す人間の心の 拠り所を、みごとに表現している。  

  一億総活躍という上滑りな言葉が、滅びに向かっているかのように思える この国を、悲しくも映し出しているこの時代に、私たちができることは、 後世を生きる人々のために、身近にある「山河」を少しでも守り、 育てていくことなのだろう。

  こんなことを思うとき、内村鑑三の『後世への最大遺物/デンマルク国の話』 (岩波文庫)のメッセージが思い起こされる。

  内村鑑三がこの書物を著したあと、領土拡張路線を断念し、平和国家の道を歩んだ デンマークが、国民の幸福度の高い国となり、拡張路線を突っ走ったプロイセン(ドイツ)、 日本が、大きな躓きを経験したことを、深く心に刻んでおきたい。私たちは今、どこへ 行こうとしているのか。この書物のわかりやすく、決して長くない内村の言葉は、 今もなお、自己省察を忘れがちな日本社会と、そこでの私たち一人ひとりの生き方に、 確かな指針を与えてくれているように思える。



  10月、学びの秋です。好きな本を一冊手にとって、自分が50年後に残せるものは、 一体なんだろうかと、考えてみるのも、また素敵ですね。どうぞご自愛下さい。        

  





2015/9/8(Tue) 長雨


 


  8月は暑かったのだが、途中から急に涼しくなった。そして、雨が ずっと降っていて、9月になっても、雨が続いている。洗濯物が乾かない。 8月はずっと東京にいた。仕事の生産性はかなり低かったように思うが、 それでも、東京大学での集中講義は、なかなか楽しかったし、若い世代に、 希望を感じることができた。

  私が東大の駒場キャンパスで学んでいたのは、もうかれこれ30年近くも 前のことになるが、学生たちの学びの様態には、懐かしさを感じるものがあった。 ロマン・ロランの小説を読んでいる学生、私の本をきちんと批評してくれる学生、 集中した時間のなかで濃密な文章を綴っている学生、彼・彼女らは、その多くが 学び上手であり、良き師と巡り会っていた。  

  時代は変わっても、ある場所がもつ文化というのは、そうそう変わるものではない。 私が学生たちと学んだ教室の空間は、私がかつて受講した「教育学」の教室空間と、 とても近いものであった。そして、そこには文科系と理科系の学部が融合した 教養教育の多様性を内包する知性が存在していた。

  国立大学の人文社会系学部ならびに教員養成学部を削減しようという発想は、 実に貧困であり、時代に逆行しているる。現在の日本社会が行き詰まっているのは、 ポスト冷戦、ポスト経済成長に対応した社会のありようについてのヴィジョンの欠如と、 これに深く関連する政治の機能不全によるものである。この課題を突破するために 文系諸学問の知見や次世代を担う子どもたちを育てる教育者の専門化が求められているのに、 全くあべこべな方略で、厳しく暗い未来を自ら招聘している。

  学び豊かな学生たちを観ると、このような学生たちを育てて下さった小学校、 中学校、高校の先生たち、そして親御さんたちに、感謝の気持ちが湧き上がってくる。 立派な人格と知性、寛容さは、その人の成功を約束するとともに、周りの人々にも 幸せを与え、広い社会にも良い影響を与えるものである。彼・彼女らの前途が 光に満ちたものであることを祈りたい。

  一方で、社会は暗い。空気が澱んでいる。人心が荒んでいる。このような時代には、 綺麗事だけを並べても、人の救いにはならないかもしれない。だが、私には、まだまだ 社会と人間の業と悪の深さと書くだけの力はない。そこで、この夏、心を釘付けにされた 一冊を紹介したい。

  『宇喜多の捨て嫁』、戦国の梟雄(きょうゆう=残忍で荒々しいこと)と呼ばれた 備前の領主、宇喜多直家の生涯を綴った、歴史小説である。残忍で実の娘さえも下克上の 道具とした宇喜多直家が、抱えていた苦しみと痛みを、驚くべきストーリーとともに、 描き出している。  

  この作品は、今の時代だからこそ生まれた作品といえるだろう。悪は何もない ところから生まれるわけではない。悪には歴史がある。悪を生み出すものは、 戦乱、不信、そして暴力の連鎖か。とにかく迫力のある小説である。ただただ脱帽するのみ。



  9月、長雨が続きます。新学期です。長雨の向こうには青空が広がっているでしょうか。 あるいは雷雨でしょうか。身体とお心に十分お気をつけてお過ごし下さい。        

  





2015/8/1(Sat) 経験


 


  7月は暑くて何をしていたのか記憶にない。とにかく今まででもっとも 長い授業シーズンを終えて、試験を終えて、原稿の〆切に追われて、 TVのニュースに腹を立てていたら、あっという間に過ぎ去ってしまった。 今年は夏休みがない。来週になると、炎暑のなか、集中講義である。 教師も、学生も、我慢大会である。 何が嬉しくて、我慢大会に参加しているのか、わからないが、 とにかくこの国に横行する「反知性主義」ばかりには、ほんとうに耐えられないので、 「知性」の我慢大会ならば、とことん行けるところまで行ってみるしかない。 しかし、ほんとうに私が参加しているのが「知性」の我慢大会なのか どうかは、あまりにも暑くて、定かではないが、それでも「学び」を求める 人たちとともにいることは、幸いなことである。

  8月は戦後70年間を迎える。「絶対」を連呼する人を見ていると、 小学校時代の経験を思い出す。「絶対」返すと言って、何かを貸したら、 もう「絶対」に返ってくることはなかった。餓鬼にとって、「絶対」とは その場しのぎの言葉であり、言葉はタダであった。私はその頃の経験から 「絶対」を容易く使う人間を信じないことを学んだ。高校、大学と進学すると、 言葉をタダだと思う人々は、減っていった。ウソをつく人間は、信用を 失う。そして、信用こそが、人間社会の基軸なのだから、自分の言葉に 責任をもてない人々は、居場所を失うしかなかったのだ。  

  ところが、目を疑うことに、餓鬼がそのまま大人になったような 人々が、世の中を牛耳るようになった。言葉によってメシを喰っている はずの政治家が、言葉の価値を下げることに無自覚に躍起になっている という見たくもない風景をずっと見せつけられることになった。

  言葉の貧困とは、想像力の貧困であると思う。この世の中に、 一生懸命がんばっているけれども、貧しさから抜け出せない人々がいることを 想像できない、あるいは想像しない。自分とは考え方が違うが、ものすごく 深いことを考えている人々がいることを想像できない、あるいは想像しない。 想像力を育てることを怠ると、言葉は残念なまでに貧困になり、暴力的になる。 悲しいけれども、これが人間の真実であり、今の日本社会の現実である。

  前にも述べたように、戦前の右翼であり、皇室崇拝者であった 石黒忠悳は、日韓併合に沸き立つ人々を横目で見ながら、併合される朝鮮の人々の 無念の思いを想像し、歓喜の輪に加わらなかった。愛国者として筋を通すという ことは、他者の愛国の思いをも尊重するということであった。

  自分(とお友だち)だけが何でもして良くて、他者はすべて黙って従えというのでは、 餓鬼と何ら変わりはないではないか。そして、このような餓鬼の欲望は、どこかで必ず 壁にぶちあたり、破綻することは火を見るよりも明らかである。自己中心的な欲望が 破綻することで、ようやく餓鬼は大人になるのだ。

  大人になっても、誰でも心の中に餓鬼の思いを抱えている。それが人間だ。 だが、その思いと現実には、ズレがあることも知っている。それが大人だ。 思想家の鶴見俊輔は、心の中の餓鬼をずっと抱えながら、現実との距離を 見失うことなく、社会運動を支えていった人物であったように思う。 私たちの周りには、有り難いことに、たくさんのモデルがある。 そして、戦前の人々よりも、歴史という先生を通して、たくさんの経験を 重ねている。餓鬼の思いを現実と混同して、突き進むならば、破綻は免れない ことを、痛いほど知っている。  

  餓鬼が恐れるものは「知性」と「成熟」である。なぜならば人々が「知性」と「成熟」を 得るならば、人々は餓鬼が餓鬼でしかないことを知るからである。だから、私たちは、 「知性」を鍛えるしかない。

  新しい一冊が出版された。高校の授業研究、学び合いをテーマにした本である。 私も分担執筆しているが、読み応えのある作品に仕上がっている。夏休みの一冊に ぴったりである。



  8月、まさに猛暑です。この暑い夏、いろんなところでがんばっている「日本人」のがんばりは、 すごいと思います。ただ、この「がんばり」を、「傍若無人」につなげるのではなく、「他者との共存」に つなげることができるように、時には立ち止まって、水に浸かって、頭を冷やすのも大切かもしれません。 お身体とお心に十分お気をつけてお過ごし下さい。        

  





2015/7/4(Sat) 未来


 


  6月はずっと新幹線に乗っていた。最後の新幹線に乗り終わった翌日、 新幹線で痛ましい事件が起こった。ちょうど前の日、その新幹線の3分後に 東京駅を出発した車両に乗っていた。私たちを守ってきた安全、安心が 失われていくことは、とても悲しく、残念なことである。

  戦後70年間の「戦争で殺さず、殺されず」の蓄積もまた、私たちの貴重な財産であると いえるだろう。この財産を失うことは、私たちが現在享受している さまざまな自由、そして人生の可能性を閉ざすことに容易につながっていく。 「反知性主義」に抗い、未来への「想像力」をもって、奇妙な言葉でもって、 私たちの社会の安全、安心の命綱を断ち切ろうとする妖術と対峙しなくてはならない。  

  さて、新幹線に乗っていたものだから、そしてスマートフォンをもっていない ものだから、有り難いことに、6月はたくさんの本を読むことができた。

  その中から一冊を紹介したい。話題になっている詩人の多和田葉子さんの 『献灯使』である。多和田さんは1年のうち11ヶ月はドイツに在住している らしく、その自由な「想像力」をもって、日本の近未来を描いている。 文学の力を感じさせる作品である。



  7月、まだまだ梅雨が続いています。このままだと免れないディストピア(絶望の未来)を 直視することによって、少しでもよりましな未来を次世代につないでいきたいと思います。 お身体とお心に十分お気をつけてお過ごし下さい。        

  





2015/5/30(Sat) 出版


 


  5月はとても長かった。まだ5月なのが信じられないほどである。 そして本日、5月30日、人生はじめての単著が出版された。素敵な装丁に、 佐藤学先生による「教師であることの根源的な問いに対する語りと語り直し」 という実に深く含蓄のある帯もつけてもらって、まずは格好は上々である。  

  あとは中身ということになるが、こちらについては読者の皆さまの 温かく厳しいコメントを待つことにしたい。

  ここまで指導、助言をいただいた諸先生がた、その貴重な人生を 語って下さった高校教師の方々、私の人生を支えて下さった皆さまに、 感謝の意を申し上げたい。

  著書のタイトルは『教師のライフストーリー―高校教師の中年期の危機と再生』、 勁草書房からの刊行で、価格は6400円。高くて申し訳ないのですが、読んでもらえると、 大変嬉しいです。



  6月、まもなく梅雨に入ります。体調を崩されないよう、お身体にお気をつけてお過ごし下さい。        

  





2015/5/12(Tue) 遠慮


 


  4月のロケット・スタートは、例年になく激しいもので、 以前よりも真面目になっている学生たちは、例年よりも授業によく出席していた。 教育方法Tの第二回目の授業など、欠席者1名で、出席率が99%近くに到達して いたので、これは歴史的な快挙(私にとっては)といえるだろう。  

  だが、もちろん、二回目の授業なるものは、大学生活(授業期間のみ)を マラソンにたとえるならば、まだ1kmにも到達していない地点であり、レースの 成否を占う上では、てんで当てにならないというのが実情である。   

  そして、連休明けの第五回目の授業では、欠席者が一気に増えて9名となっていた。 1kmから2kmの地点で、疲れが出たようだ。東京マラソンでも、例年、1km地点のトイレに 長蛇の列ができている。人生、こんなものだ。まだまだ先は長い。諦めずに、また自分の ペースで走り出してもらいたいものだ。          

  さて、私は幼い頃、遠慮がちな子どもだったらしい。あまり上手に自己主張できなかった のだろう。この遠慮だが、「人に対して、言葉や行動を慎み控えること」(デジタル大辞泉)と いうのが一般に使用されている意味だが、もともとの意味は「遠い将来のことを思慮に入れて、 考えをめぐらす」というものであった。   

  この語源となった「遠き慮(おもんばか)りなければ必ず近き憂(うれ)いあり」 という文章は、『論語』「衛霊公」に記されていて、人口に膾炙している。 遠い将来のことを考えずに目先のことばかり考えていると、必ず近いうちに災いが 起きるというこの教えは、今もなお命脈を保ち続けている。  

  今朝の新聞に、財務省が学校教育の予算を削減する方針を立てているという記事が 掲載されていた。国立大学の授業料、義務教育の教職員数の削減などを、構想している ようだ。     

  国家財政が危機的な状況に陥ってることは、重々承知している。そのため、消費税の 増税も実施し、さらに増税を予定している。それでもなお国会財政が危機的で あることも、重々承知している。だが、その増税は、一体何のためのものか。 公共事業は増やし、軍事費は増やし、企業の法人減税を行い、なけなしの教育費は 減らすという、そこに遠い将来のどのようなヴィジョンがあるのだろうか。   

  財務省の皆さんにはまず日本の公立の小学校、中学校を訪ねていただきたいものである。 トイレは臭うし、階段のタイルは欠けている。校門の扉のペンキははがれている。そんな 学校が、日本中にある。どこもお金がないのである。学校は、多くの子どもたち、保護者たち、 地域の人々が集う、公共的な場所である。ここを観れば、その国のほんとうの水準が どのようなものか、一目瞭然である。さらには、学校はその社会の未来である。したがって、 そこには、その国の未来がどのようなものなのか、が明確に映し出されている。       

  オリンピックで騒いでいる前に、学校教育を世界で恥ずかしくない水準にすることが 必要ではないだろうか。すぐれた人材を教師にリクルートし、すぐれた教師たちを育てるには、 お金がかかる。そして、学校を子どもたちにとって居心地のいい場所にするためには、環境を 維持していくための努力と資金が必要である。

  まだまだこれからでも遅くはない。本来の意味での「遠慮」に立ち返り、 明日の日本社会をつくるために不可欠な学校教育にきちんとした配慮をしていただきたい。

  多額の借金を重ねて、豪邸を建てて、高級外車に乗り、海外旅行三昧で、子どもの給食費を 払わない親がいたら、人々はどう思うだろうか。猛烈なバッシングに遭い、ジコチュウの人でなし と非難囂々の嵐になるのではないだろうか。世の中には、そんな人はそう多くはない。普通の人々は、 日々の暮らしをやりくりしながら、子どもの給食費を払い、なけなしの可処分所得のなかから、 子どもの教育費を捻出している。

  ところが、大変悲しいことに、そして、大変残念なことに、昨今の国の政治、行政は、 まともな人ならば、お近づきになりたくないような、先述のジコチュウの人でなしの人の ふるまいに、そっくりであるように思われる。

  地方を訪ねて、落ち着いた教育が行われているところに身をひたすと、そこの子どもたち 同様、私も心が洗われるのを感じる。そして、そうした場所では、必ず見識のある行政の人が バックにいて、温かく学校を見守り、なけなしの予算のなかから学校改善のための資金を 捻出していることに気づかされる。   

  物事には原因があり、結果がある。社会の劣化は起こるべくして起こる。そして、 社会の再生もまた起こるべくして起こるのだ。

  今年も学生たちと学べる幸せを噛みしめつつ。

  5月、爽やかな季節ですが、爽やかな時代だとは言い難い昨今です。 心身の調子を崩されている方も多く見受けられます。皆さま、自分のペースを 大切にされて、どうぞご自愛下さい。        

  





2015/4/1(Wed) 卒業入学


 


  いつものように名残惜しい卒業のシーズンを経験し、再び入学のシーズンが巡ってきた。 学校にとって、3月、4月というのは、特別な季節である。4月に希望をもって一年間の スタートラインに立たない人はいない。同時に4月の気持ちのまま、3月を迎える人もいない。 多くの人々は、挫折、妥協を経験しながらも、より現実的な自分と出会い、また新たな理想を 見いだして、1年間で何らかの変容を経験する。学校の四季というのは、なかなかに よくできているものだ。  

  4月というのは、マラソンのスタートと同じで、気をつけなくてはならないことがある。 それは、飛ばしすぎてはならないということである。私は、マラソン大会のスタートのわずか 2秒後に転倒して、レースをふいにしたランナーを見たことがある。スタートダッシュを焦った あまり、道路の中央分離帯に激突したのである。そのランナーのレースは、残り42.190km地点で 終了した。あまりにも早過ぎるゴールであった。

  自分のペースをつかむまでは、焦ってはならない。1年間は結構長いのだ。100m競走の 全力疾走でフルマラソンを走りきることができないのと同じように、全力を尽くした1日の ペースで1年間を走りきることはできないのだ。          

  3月に卒業した4年生は、入学前の2011年3月に東日本大震災に遭い、入学式が中止に なった学生たちであった。その年、相次ぐ余震と計画停電のため、4月の授業も中止となり、 5月の連休からのスタートとなった。例年と比べると、明らかな出遅れであった。      

  ところがこの学年の学生たちは、例年にもまして、内容のある学びを経験し、教育実習の 水準も、高いものであった。もちろん、これは私の身近なところからの知見であり、一般化 できるものではないが、4月の出遅れのデメリットは、どこにも感じられなかった。  

  一方で、今年の入学生から授業時数増のため、授業開始が早まり、4月1日に入学式が 行われたあと、4月8日から授業が始まる。私自身、大学の入学式は4月12日であったので、 4月8日から授業というのは、目眩がするほどである。     

  4月2日から教職課程の説明会、学習相談と新入生と顔を合わせる機会がある。 学生たちがこのロケット・スタートをどのように感じているのか、そして、このロケット・スタートは、 学生たちの今後の大学経験においてどのような意味をもつことになるのか、じっくりと考えてみたいところである。  

  そして、ゆっくりと大きく育った卒業生たちとともに、新たな一年間の歩みを、ゆっくりと、しかし確実に 踏み出していきたいものである。       

  桜満開のなかでの入学式となった。

  今年も学生たちと学べる幸せを噛みしめたい。

  新年度、皆さまも新しい場所、新しい境遇で、思いを新たにされていることと 思います。自分をペースを大事にされて、お元気でお過ごし下さい。        

  





2015/3/5(Thu) 一輪の花


 


  2月はあっという間に過ぎ去り、今年度も土俵際の3月となった。 相撲も春場所である。大学も新年度の準備の季節である。だが、それにしても、 今年の春は花粉がひどい。頭がぼーっとしていて、どうにもこうにも、仕事が 進まない。  

  仕事が進まないのは、花粉のせいではなく、私自身のせいなのかもしれないが、 それはともかく、寒さから解放される春が、花粉に悩まされる季節であるのは、 何とも残念至極である。      

  先日、新宿の紀伊國屋に本を探しに出かけたところ、「週刊文春が置いていない とはけしからん!」と女性店員にしつこく絡んでいる爺さんがいた。そこまで 愛してくれるとは、週刊文春としては雑誌冥利につきるだろうが、その爺さんは、 実にしつこく大声で怒鳴っている。女性店員は「申し訳ありません」と言っているのに、 爺さんは傘にかかって責め立てている。            

  「おい!爺さん、見苦しいぞ!辞めろ!」と何度も言いたくなった。 そのように言えば、間違いなく、爺さんはこちらに喰ってかかってくるだろう。 そして、こちらも面倒くさいから、爺さんの手を振り払うことになるだろう。 すると、爺さんは床で頭を打ち、そこでわめきちらして、警察が来て、 傷害の現行犯で、私が逮捕される。そのようなイメージがくっきりと浮かんだので、 かかわるのは辞めにした。    

  もちろん、女性店員から助けを求められたら、逮捕云々は考えることなく、 何らかのレスポンスをしたことだろう。だが、その場の雰囲気では、女性店員もまた、 事を荒立てたくない様子であった。したがって、私も黙っているのが、おそらく その場のためにはもっとも穏当なことであった。だが、「見苦しい」爺さんが 無法に振る舞っている傍らで、黙ってそこにいることは、とても気分の悪いことであった。   

  おそらく家族からも、誰からも相手にされない爺さんが、無抵抗な女性店員に 対して、鬱憤を晴らしているのだろうが、何とも「見苦しい」風景であった。      

  私は「見苦しい」風景は嫌いである。権力者がヤジを飛ばしたり、 メディアを統制するのも「見苦しい」、「知らなかった」で言い逃れる大臣答弁も「見苦しい」。 その一方で、一生懸命生きて、その結果、「無様」であるのは、むしろ心打たれることである。 自分をさらけ出す「無様」さと、「無様」な自分から目を背け、責任転嫁し、ごまかすことの「見苦しさ」、 ここには大きな違いがある。   

  紀伊國屋には、嫌中韓本が平積みになっていた。「見苦しい」人々や「見苦しい」本が 増えていくことは、社会の劣化をあらわしている。「おい!爺さん、見苦しいぞ!辞めろ!」と 叫んで、この「見苦しい」社会に、もう一つの「見苦しさ」を重ねなくて、ほんとうによかった。

そこで言うべきことは次のフレーズだった。

Excuse me gentleman,
Can I help you?
I know an another bookshop nearby.
Maybe Weekly Bunshun is there.
Shall I take you to the bookshop?
 

  世の中に溢れている「見苦しさ」にこれ以上の「見苦しさ」を 重ねても仕方がない。それより一輪の花を窓辺に飾ろうではないか。

  花粉症がつらいですが、暖かい季節の到来は、 心がゆるみます。皆さま、お元気でお過ごし下さい。        

  





2015/2/10(Tue) 憤り


 


  2015年になって、もう40日も経っている。ぱっとしないまま、 2014年度がここまで過ぎてきたが、この分でいくと、ぱっとしないまま、 人生もあっという間に過ぎ去ってしまうのかもしれない。 それでも、おのれの矮小さを見せかけの勇ましさにすり替えるよりも、 ぱっとしない自分をぱっとしないまま生きることのほうが、 他人にも、自分にも害を与えないのかもしれない。  

  イスラム国に拘束された後藤健二さんが殺害されたであろうことは、 とても悲しいことであった。志のある人がその道半ばで命を絶たれることは、 どんなにかつらいことであっただろう。しかも、幼い二人の子どもたちを 残して。だが、悲しいということと、憤るということは、別のことである。 いや、ほんとうに悲しんでいる人は、憤る気持ちすら生まれてこないかも しれない。後藤さんの家族、身近な人たちの気持ちは、おそらくそのような ものだろう。ただただ、悲しい。そして、このような思いを、もうこれ以上、 誰にも味わわせたくない。悲しみの深さは、想像するにあまりある。

  そして、憤っている人たちがいる。理不尽なことだから、私たちは、 どこかに気持ちをぶつけたくなる。直接手を下したイスラム国への憤り、 これはあまりにも当然だ。ノコノコ中東に出かけていらんことを言った 安倍首相への憤り、これもあって当然だ。このほかにも、ヨルダンや、 外務省や、マスコミや、そして、こんな文章を綴っている私への憤りが あるのも、これもまた当然だろう。しかしながら、憤りというものは、 えてして、人の視野を狭めるものである。憤っている人々は、そのことしか 見えなくなるからである。だから、支配者からすれば、 自分以外の対象に向かって憤っている人々ほど、御しやすいものはない。          

  古来から支配者は、人々の憤りを利用しながら、その野望を実現して きた。徳川家康は、豊臣家に旧恩のある武将たちの石田三成に対する憤りを 利用することで、関ヶ原の合戦に勝利し、豊臣の天下を見事に奪い去った。 その後、大坂夏の陣で豊臣家は滅亡し、福島正則、加藤清正、加藤嘉明は、 本人あるいはその子が改易の処分を受けている。石田三成に憤っていた 武将たちは、老練の徳川家康にとって、さぞや御しやすかったことだろう。       

  9・11の同時多発テロに憤っていたアメリカの人々は、2003年の イラク戦争を支持し、国際世論の反対を押し切って、アメリカ軍は、 大量破壊兵器を保持していなかったイラクに対して侵攻し、イラクのフセイン 大統領を処刑するという蛮行に及んだ。テロリストに憤っていた人々は、 ブッシュ大統領の正義と悪という単純な図式に、すっぽりとはまりこんで しまった。もちろん、これに異議申し立てをした人々は、アメリカの中にも、 世界の中にも、たくさんいた。だが、人々の憤りを利用することで、 平時であれば、到底支持されないような戦争を引き起こすことが可能になった。

  イスラム国は、非道い集団である。人を人とも思わず、殺戮を繰り返し、 世界の憎悪をかきたてている。だが、なぜこんな非道の集団が生み出されて しまったのか、そして、ある人々からの支持を得てしまったのか、を考えなくては ならない。誰もがわかるように、イスラム国は、イラク戦争が生み出した鬼子 なのである。イラク戦争がなければ、イスラム国が生まれることはなかった。

  憤りは短期的な感情である。そして、実は誰にでもできることである。 これに対して、物事の因果関係を冷静に考えることは、長期的な視野を必要と することである。そして、トレーニングを必要とすることである。 今回の事件からの教訓は、憤りから何かを支持したり、行動を起こしたりする ことは、大きな過ちを招く可能性が高いということである。

  同世代の志のある輝いた人を失って、とても悲しい。その人の志は、 戦争がいかに女性や子どもたちを苦しめるものであるかを人々に伝え、 弱く、優しい人たちを守りたいというものであった。その人の笑顔とともに、 その志をそっと胸のポケットにしまいたいと思う。

  寒い季節、厳しい時代ですが、木の芽はたしかに春に向けて 準備を整えています。お元気でお過ごし下さい。        

  





2015/1/5(Mon) 出発


 


  12月は東京経済大学の学生たちとともに古屋和久先生のお話をうかがい、 授業づくりと教師の人生について学ばせていただき、とある会合では、 大学時代、大学院時代の懐かしい人たちとの思わぬ再会があった。 歳を重ねて、新しい風景との出会いは少なくなっているけれども、 同じ風景がまた違って見える楽しさが生まれてきている。 この心象風景をあらわした私の2014年の漢字は「再」であり、 「めぐる」と読む。そして、2014年も幕を閉じ、2015年が幕を開けた。  

  2015年、新春の箱根駅伝は、青山学院大学の快走がまぶしかった。 監督の包容力と笑顔が安心感を与える。選手たちを信頼しつつ、手綱を締めるところは しっかりと締める。すてきな監督だと思った。選手たちも「この監督だったらついて いきたい」と思って、その進学を選んだのであろう。人と人との出会いには、相乗効果を 生み出すものがある。一人ではとてもじゃないが到達できない地点に、人とのかかわりを通して、 到達していく。そして、いつしか自分以上の自分になっている。これが教育という 営みの極みである。  

  私にとっても、今年はいくつか新しい挑戦がある。同じようなことを繰り返しているかのように 見えても、そこには何かしらの新たな課題への挑戦やこれまで見えなかったものへの気づきがある。 だから、人生に退屈はない。まだまだ知らないこと、わからないこと、できないことが、山積しているのだ。           

  大きな目標をもちつつ、小さな日常を大切にして、この一年間もゆっくり急いで進んでいきたいと 思う。       

  それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします。        

  





2014/12/3(Wed) 地方


 


  11月は遠出をしなかった。研究室からの晩秋の景色を楽しみながら、 いつものように低空飛行ではあったけれども、私の人生のなかでは比較的落ち着いた 時間を過ごした。そして、また一つ年輪を重ねることとなった。  

  10月に仕事で大分を訪ねた折に、故郷の近くの風景を観ることがあったが、 ハッとさせられたことがあった。いつもの私が知っている故郷の光景と何かが違うのである。 人が少なく、街は閑散としている。どうしてだろうと考えて、あることに思い当たった。 訪ねた時期がいつもと違ったのである。普段、私が故郷の地を踏むのは、夏休みや冬休みなどの休みの 時期に限られている。そうした時期には、私と同じように、かつてこの地で生まれ育って、 今はほかのどこかで暮らしている人々が、故郷に帰ってきているのだ。私が観ていたのは、 故郷のありのままの姿ではなかったのである。そして、この秋、自分の故郷から いつの間にかこんなにも人が減っていたのかと、愕然とすることになった。

  そして、師走に世にも不可思議な選挙が行われることとなった。一回の総選挙の必要経費は 600億円とも、700億円とも言われているが、600億円あったら、全国2万校の小学校のトイレを美しく できそうである。総理大臣が「美しい国」(近頃さっぱり聞かないが)を目指しているのならば、 学校のトイレぐらい、清潔にしてほしいものである。学校にお金をかけるならば、将来、必ず たくさんのおつりとともに、投資したものが返ってくる。誰もが集い、誰もが使う施設は、 お金と時間と愛情をかけて、しっかりとしたものを創るというのは、公共性を考える上での、 基本中の基本だろう。      

  さて、私の故郷の福岡県筑後地方は、福岡県の南部に位置する。衆議院の選挙区としては、 かつての中選挙区から小選挙区に移行したのち、久留米市を中心とする福岡6区と、 大牟田市を中心とする福岡7区に分かれている。ところが、今回の総選挙の公示日を迎えて、 この福岡6区と福岡7区で、これまでには決してなかった異変が起こっている。 立候補者が、自民党の現職と共産党の新人の二名のみで、民主党や維新の党など、ほかの野党から 一人として候補者が出ていないのである。

  そもそも福岡7区は、労働組合が強い地域であり、自民党の大物政治家であった 古賀誠氏も、議席を守り続けてきたとはいうものの、毎回圧勝というわけではなかった。 今回は、自民党新人議員の二期目ということもあり、野党からしかるべき人材が出るならば、 予断を許さない展開になったことだろう。 さらに、福岡6区も、小選挙区になってから、新進党、民主党が、それぞれ議席を獲得するなど、 保守一色というわけではない。ブリジストンの石橋家に縁のある鳩山邦夫氏が国替えで議席を 守っているとはいえ、野党にも可能性がないとはいえないのである。つまり、この地域には、 これまでも、ある一定数、政治のオールタナティブを求める層が存在しており、今回も存在して いるのだが、その受け皿が全くないのである。

  かつて保革が激しくせめぎ合った地域で、共産党を除く野党が、選挙で敗北するどころか、 候補者の擁立すらできないという現状。これは地方の疲弊と日本の政治の劣化を考える上で、 深刻な問題ではないかと思われる。

  そもそも民主政治も、それを支える選挙も、ある程度の活力が必要である。勝敗はともかく、 そして、イデオロギーもともかく、社会をどのように動かしていきたいのか、どのように変えて いきたいのか、このようなことを考え、行動に移していく人々の活力抜きには、民主政治は、 成り立たないのである。       

  だが、今、経済が疲弊し、人材の流出が続き、高齢化が進む地方から、このような活力が、 急速に失われている。おそらく、人々は「選挙どころではない」のだ。都会では、 メディアが選挙を劇場に仕立て上げて、大義なき選挙のなかで空虚な言葉が飛びかうなか、 人々はつかの間の選挙という劇場を消費することだろう。 だが、地方では、空虚な言葉もうつろに響き、人々のなかには大きな無力感が広がっている。 祭りに参加することさえできない現実。これは今までの時代にはなかったことだ。

  喧噪のなかで並んでいるジャンクフードのなかから何を選択すればいいのか途方に暮れる 都会の人々と、その選択肢すら与えられていない地方の人々、日本の民主政治は、果たして、 1970年代から前進したといえるのだろうか。

  小選挙区制の導入は、決定的な誤りではなかったか。小選挙区制導入から20年近く経った 今も、理念で分かれることのない日本の政党政治に、このシステムはふさわしいものであった のだろうか。制度設計をもう一度考え直す時期に来ているのではないだろうか。

  政治家が権力を付与されているのは、彼・彼女らが国民を代表していると見なされている からだ。現在の政治家は、果たして国民を代表しているといえるのだろうか。得票率20%で 「民意を得た」「全権委任された」とドヤ顔をされても、困るのだ。 そして、国民を広く代表するということは、己の私的な感情に振り回されず、辛抱強く大多数の 調和点を探し出すということだ。これがリーダーシップの基本にある。 ここしばらく、私たちの社会では、リーダーシップの意味をはき違えてはいないか。

  それでも、とにかく、今のところ、1人1票ある。白紙にするのか、最高裁判事に異議申し立てを するのか、与党にこの道を進んでもらうのか、ストップをかけるのか、何らかの意思表示はできる。 どんなに不満でも、選挙には行くべきだ。

  12月、早いもので今年も師走です。1年間お世話になりました。どうぞお身体をお大事にして お過ごし下さい。        

  





2014/11/4(Tue) 四半世紀


 


  10月は山梨まで三回往復し、敬愛する先生の書斎を訪ねた。続いて、九州に行き、 久大本線で日田を訪ねた。久留米と大分を結ぶローカル線である久大本線は、高校時代に 線路で寝っ転がっていた懐かしい場所であった。  

  前回、私が大分県日田市を訪ねたのは、1989年の1月のことだった。 日本教育史の寺崎昌男先生のゼミに出ていて、広瀬淡窓が開いた江戸時代の 私塾である咸宜園(かんぎえん)について発表することになっており、咸宜園の 跡地を見るために、日田を訪ねたのであった。広瀬淡窓の漢詩である「桂林荘雑詠」 で「柴扉暁出霜如雪(柴扉 暁に出づれば 霜雪の如し)」と詠まれているように、 冬の日田は底冷えがした。咸宜園から大牟田市の実家に戻ったその翌日に、 昭和天皇崩御の知らせがあったと記憶している。

  ここしばらく沖縄、韓国、日田といずれもほぼ四半世紀ぶりの再訪が続いている。 単なる偶然にしてはよくできすぎているが、昭和の終焉とほぼ時期を同じくして世界の 冷戦が終わった。そして今、それからちょうど四半世紀が経とうとしている。 そして、この間、世界は様変わりしている。アラスカのアンカレッジ経由で、とても 遠かったヨーロッパが、シベリア上空を飛べるようになったことで、直行できるように なった。軍事政権の名残があった韓国はすっかり民主化が進み、当時、国交を もたなかった中国とも深いかかわりをもつようになった。当時まだ存在しなかった EU(欧州共同体)は、さまざまな課題を抱えながらも、ヨーロッパ全域を包摂しながら、 その加盟国は28ヶ国に広がっている。

  このように世界が様変わりしているなか、日本はひたすら地盤沈下の道を 歩んでいる。そして、沖縄には相変わらず米軍基地があり、冷戦時と同じような 思考で、辺野古の海が埋め立てられようとしている。今回訪ねた日田もまた、 ほかの多くの地方都市と同じように、人口が減少し、子どもの数も減っている。

  このようななか、日本の学校はよくもちこたえているといえる。日田で 出会った先生も、一人ひとりの生徒たちをしっかりと尊重して、生徒たちに レリバンス(関連性)のある真正の学びを準備されていた。 教師に信頼されている生徒たちの表情も穏やかで、相互の関係も温かいものが 感じられた。授業のグループワークにおいても、男女のやりとりがとても自然で、 ちょっとしたつぶやきも相手にきちんと受け止められていた。この教室で学んでいる 生徒一人ひとりにとって、この学校で仲間たちと学んだという経験は、 人生の宝物になることだろうと思われた。

  全国各地を訪ねてみると、学校にはrespectできる先生たちがたくさん存在している。 問題は、こうした先生たちが高いモチベーションをもって仕事できるようなバックアップが 弱いことだ。それどころか、モチベーションを下げるような「改革」が行われていることだ。 最近、小学校低学年での35人学級の見直しが始まったという記事を読んだときは、唖然として 声も出なかったが、教育を大事にしない、子どもたちを大事にしない国の未来に、 希望はないと言うしかないだろう。       

  苦しいときだからこそ、未来に向けての投資が求められる。人口減の時代からこそ、 一人ひとりの質を高めなくてはならない。稀少な働き手を大切にしながら育てて、 稀少な子どもたちを一人残らずしっかりとした大人へと育んでいかなくてはならないのだ。 教職がすり減る職業ではなく、創造的で学びに満ちた職業になるならば、 心ある若者たちがこぞって教師を目指すだろう。そして、子どもたちの学校生活もまた格段に 学び豊かなものになるだろう。今やるべきことは、決してそんなに難しいことではない のだ。ただ、基本に立ち返り、人を育てるためのよい土壌を作ることなのだ。 これができないのは、人を育てるためのよい土壌づくりと、短期的な視野に立つ 現在の政治経済の仕組みが利益相反の関係になってしまっているからだと思われる。

  ここをどう組み替えるかは、簡単ではない問題だ。しかし、組み替えることに 成功するならば、私たちはよりましな社会を築くことができるだろう。

  11月になって、朝晩が冷え込んできました。どうぞお身体をお大事に お過ごし下さい。        

  





2014/10/6(Mon) 韓国


 


  9月は先月のコラムで記した沖縄を訪ねたあと、ゼミナールの学生たちと 韓国を訪ねてきた。昨年のシンガポールに引き続き、二度目の海外ゼミ研修旅行であった。  

  私にとっては26年ぶり2回目の韓国への旅であり、前回訪問した時は、 韓国の各地で民主化運動が盛んな時期であった。前回も、韓国において 反日の機運が高まっているというような報道が日本で盛んに行われている 時期だった。だが、実際に行ってみると、周りの人々はとてもフレンドリーで、 日本人であることで気持ちのいい思いしかしなかった。このような経験が あったから、学生たちには、報道を鵜呑みにしてはいけない、自分の目で しっかりと見てきてほしい、と話し、今回の韓国ゼミ旅行を実施することと なった。

  それでも、メディア報道やネットの情報を見ると、今回ばかりは、 韓国の反日の機運の高まりは、並大抵ではないような気もして、少々、 心配になっていたことも事実である。私も最近、いろいろと物忘れも ひどくなり、全くもって耄碌(もうろく)しかけているものだから、 若い頃のように、「オレが正しい、オマエは間違っている」と断定する ことが難しくなっている。今度ばかりは韓国の一般の人々も日本人が 嫌いになっていると多くの人に言われると、内心「ホントかなあ」と 思いながらも、「前の経験といっても26年も前だしなあ」と不安な 気持ちも生まれていたのである。

  ところが、韓国に出かけてみると、すべては杞憂とばかり、私だけでなく、 ゼミの学生たちも、至るところでwelcomeの歓迎を受けて、ほんとうに日本人 であることで嫌な思いをすることは一度たりともなく、日本人であることで 気持ちのいい思いしかしなかった。ソウル市内で参鶏湯(サムゲタン)の お店がなかなか見つからず、思い切って、通りに立っていた初老のおじさんに 英語で話しかけたところ、「日本のかたですか? 私たちは日本と韓国のメディアや 政治家に腹が立っているのです。私たちは日本のこと大好きです。」と、こちらが 聞いてもいないのに、日本語で話をされて、知人のかたがたを紹介して下さった。 皆さん、日本に縁(ゆかり)のあるかたがたで、思わぬ反応に、私も学生も びっくりしした。実は、怖そうなおじさんだったので、怒鳴られるのではないかと、 内心びくびくしていたのだ。それでも、はじめに学生たちを連れていこうと 思っていた参鶏湯(サムゲタン)のお店がうまく見つからずに、今度は二軒目 だったので、学生たちをまた路頭に迷わせてはいけないと思い、思い切って、 話しかけたら、このような結末になったのである。

  これはまだ韓国になれていない一日目の出来事であった。二日目からは、 韓国の中学校、小学校、大学に出かけて、そこでたくさんの交流をもった。 こちらについてはもう言うまでもない。学生同士の、そして教員同士の、 さらにはこれらの垣根を取り払ったすばらしい出会いが待ち受けており、 言葉にできないほどの濃密で心地よい時間を過ごすことができた。

  そして、日本に帰ると、仁川でアジア大会が行われており、日本のメディアや ネットでは、いろんなネガティブなエピソードがいつものように面白おかしく流されていた。 同じ“韓国”という国を経験しながら、何とまあ、こんなに経験の質が違うことだろう。 面白いことに、一般の韓国人は、ほとんどアジア大会に関心がなかったらしく、 視聴率は5%程度だったらしい。世論をミスリードしているのは、少数のエキセントリックな 人々なのではないだろうか。とにかく、私たちが韓国で出会った韓国の人々は、 全くもって反日的ではなかったし、交流のなかでも、全く竹島(独島)、従軍慰安婦といった テーマが話題になることはなかった。日韓の若者たちは、英語や日本語で、一生懸命、 自分たちの今について語り合っていたし、私たち教員も、研究者としての人生や、 これからどのようにして教師たちを育て、支えていくかについて、深く語り合っていた。 私が出会った韓国の教育研究者や教師たちは、民主主義の社会をどのように育てていくのか、 真剣に考えているように思われた。   

  私はもちろん自分の政治的志向はもっているが、ご存じのように理論武装する前に 突撃するタイプの人間で、いつも丸腰である代わりに、思いがけない現実と出会ったときにも そこから何かを学ぶ回路を少々なりとももっているタイプの人間である。そうであるから、 韓国に行って、「やっぱり、今回は日本のメディアやネットで言われている通りだったよ」と いう報告だってあり得たのである。しかしながら、それはまったく違っていた。 韓国に行って、日本で流布されている情報は、一体何なのだろうかと思った。 そして、私たちが韓国社会から学ぶべきことは多々あると思った。 さらには、今のように、日本社会がバランスの欠いた状態を続けて いくのであれば、社会の衰退あるいは自滅は避けられないという危機感をもった。

  社会のなかにはもっと現実が見えていて、意味ある情報を伝えることができる人々が いるはずである。ところが、報道も、政治も、世間や、社会を、ミスリードする方向に 流れているように思われる。故意なのか、偶然なのか、それはわからないが、無知というのは、 悪である。知らなかったでは済まされない。「スマホを捨てて、世界に出よ」 世界は、サティアンよりもずっとずっと広いのだ。         

  それでは災害にくれぐれもお気をつけて、どうぞよい10月をお過ごし下さい。 土砂災害に、火山噴火に、台風と、災害続きに心が痛みます。この上、社会のセーフティネットの 解体という人災まであってはたまったものではありませぬ。        

  





2014/9/12(Fri) 沖縄


 


  8月は日本列島が水浸しになった。ただ生きるということがかつて以上に 過酷な営みになってきているような気がする。8月には敬愛していた友人を 失った。早過ぎる別れだった。大学時代に高校の同級生を脳腫瘍で失った とき、高校の恩師は「いい人ほど若くして亡くなる」とぽつりとこぼされた。 今回もまた天使のように「いい人」が笑顔を残してこの世を去っていき、 私はまたぽつりと残された。    

  それでも、これまでのところ「いい人」には選ばれていない私は、 生命ある限り生きていくしかなく、8月もずいぶんと忙しい日々を 送っていた。とはいえ、台風の合間を縫って、大好きな長崎県の 島原半島に行くことができたので、まあよしとしよう。そのために、さらに 首が廻らなくなったのだが、これもそういう性分なので仕方がない。

  一応、何とか頭と身体が動いていて、やるべき仕事が与えられているので、 実に有り難いことだと思う。仕事の深みと広がりに、頭と身体が追いつかないのは、 苦しいことであるけれども、これも自分が選んだ道なので、仕方がない。

  二段落続けて「仕方がない」で終わっていて、ほんとうに仕方がない。 それでも、先週は沖縄の小・中学校に出かけて、そこで子どもたちの前で 授業をしてきて、楽しい時間を過ごさせていただいた。沖縄の風土は、 「仕方がない」ではなく、「なんくるないさ(=なんとかなるさ)」である。 そして、あの沖縄の人々と子どもたちのおおらかさと温かさによって、 ほんとうになんとかなるところが、愉快であった。

  人を育てるものは風土であり、その土地の豊かさである。さらには、 異文化との交流が、その土地の豊かさをさらに耕す。沖縄の子どもたちの 出会える身体には、ただひたすら感銘を受けた。他者に対する関心がこれほど までに存在していることに、心からの喜びを感じた。   

  沖縄の海は青く、どこまでも広がっていた。そして、アジア、世界へと つながっていた。

  明後日からは学生たちを連れて韓国へと旅立つ。いくつの出会いが待って いることだろう。いくつの出会いを学生たちにプレゼントすることができるだろう。 ヘトヘトになっていても、新しい世界との出会いは、ワクワクするものがある。         

  それでは大雨や災害にはくれぐれもお気をつけて、どうぞよい9月をお過ごし下さい。 新学期、あまり無理をせずに。        

  





2014/8/2(Sat) 夏休み


 


  かつては7月に入ると、ZARDの「負けないで」の歌詞がどこからともなく 聞こえてきたものだが(「負けないで ほらそこに ゴールは 近づいてる」)、 東京学芸大学での授業は7月28日まで続いていて、なかなかゴールが見えなくなった。 来年度からは東京経済大学でも授業が15週となり、ゴールデンウイークが授業となる ようだ。私たち教員も大変だが、学生たちも大変だ。これに加えて、アルバイトでも ブラックバイトが横行しているとなると、日本社会の未来を担う若者たちがゆったりと 自分を育てる場所はどこにあるというのだろう。みんながヘトヘトになりながら、 それでいてちっとも幸せにならない日本社会、立ち止まって考えなくてはならない ときが来ているのではないだろうか。      

  それでも、7月は過ぎ去り、何と8月に入ってしまった。私はこれから夏休みが 始まるという7月の終わりが好きなのだが、7月の仕事納めは7月30日だったから、 大好きな7月の終わりは、今年は7月30日の夜と31日だけであった。とはいえ、 7月30日にはゼミの打ち上げをして楽しかったので、まあよしとしよう。

  8月に入っても、いろいろと細かい仕事があって、なかなか休むことは できない。かつて大学の授業は12週であり、したがって長期休暇も長く、 大学生にはありあまるほどの時間があった。大学教員は、長期休暇といっても、 いろいろと仕事があるものだが、それでも、かつては長期休暇中には、 社会的な活動を行ったり、講義ノートや論文の執筆を行うような まとまった時間をとることができた。今は、私たちも一般のサラリーマンの ように時間に追われている。しかし、考えてみると、私たち研究者は、ほかの 人たちの多くが日々の暮らしに追われるなかでなかなかじっくり考えることの できない、今とは違ったよりよい社会のあり方、人間のあり方、自然との共存の あり方などを熟考し、提言しようとするところに、かろうじて存在意義がある ように思うのである。もし、私たち研究者が日々の暮らしや目の前の利益を 追求するだけの存在になるならば、私たちの存在意義もなくなってしまうように 思われるのである。

  私は、多様な人々が共存できる社会が、もっとも強靱な社会であると 考えている。一寸先は闇の社会のなかで、一つの価値観のみが幅を利かせている 社会は、とても脆いと思われるからだ。それに、一つの価値観のみが幅を 利かせている社会は、その価値観を共有しない者にとっては住みづらい。 とくにその価値観が人間のそもそもの本性からいって歪んでいる場合は、とりわけ そうである。

  私は、これまでの自分自身の個人史のなかで、何度か歪んだ一つの 価値観が幅を利かせている共同体に身を置かざるを得ないことがあった。 これらの多くは、少年時代に経験したことであるが、こんなにつらい経験は ないほどであった。道理が通用しない、話にならない、こんな共同体に 身を置かなくてはならないとき、無力感に襲われて、絶望的な気持ちになった ものである。おそらく、今も、会議などで道理が通用しない、話が通じない、 話にならない、という状態になると、ものすごい深い怒りが沸き上がって くるのだが、これはおそらく、かつての経験の痛みが私のこころに残っている からだろう。

  道理が通用しない、話にならない共同体は、絶望的である。 そこにはもう人間的な対話、成長、協働の喜びは存在しない。 つまり、その共同体は、反教育的なのである。

  私は、私たちが生を営んでいる共同体、社会がそのような存在になることが ないように、日々、自分の生活と仕事に向き合っている。これは少年時代の 自分に対する大人としての責任である。

  8月になった。敗戦から69年目の夏、私たちが向き合わなくてはならない ことがたくさんある。道理が通用しない、話にならない時代の経験者は、 少しずつ社会から退場されている。だからこそ、私たちは、生者の声だけではなく、 死者の声に耳を澄まさなくてはならない。

  それでは炎暑にはくれぐれもお気をつけて、どうぞよい8月、夏休みをお過ごし下さい。        

  





2014/7/8(Tue) 観る


 


  我慢大会のような6月を何とか我慢して7月に辿りついた。 7月に入ってもなかなかゴールは見えてこない。小中学生が夏休みに入ったあとも、 大学の授業は続いていく。「勝利も敗北もないまま、孤独なレースは続いてく〜」、 Mr. ChildrenのTomorrow never knowsの世界だ。    

  それでも、7月に入ると、夏という季節がもっている開放感がたしかに 感じられるようになり、どこかに旅に出たくなる。私たちのゼミでも、昨年度の シンガポールに続き、今年度は韓国に出かけることにした。

  私が韓国に行くのは1988年の夏、はじめての海外一人旅を経験して以来、 二度目のことである。1988年の夏は、ソウル・オリンピックが開催される直前で あったが、韓国社会は、軍事政権から民主化へと進む途上にあり、 政情はいまだ不安定であった。

  実際、私が訪ねた光州では、1980年のあの悲惨な光州事件の余波がまだ 残っており、わけもわからずデモを観に出かけたところ、すぐ近くに 催涙ガス爆弾を打ち込まれて、一晩中、喉や目の痛みのため苦しむ羽目に なった。

  あの頃からみると、今はずいぶんと韓国社会も安定しているように 思われるのだが、韓国に出かけることを不安に思う人々がたしかにいる ことを今回気づかされた。

  その人たちは実際に韓国に行ったことはないようなので、不安に思う 根拠は、主にメディアの報道やインターネットの情報にあると思われるが、 日本でも連日のトップニュースとなっていた転覆したフェリーの 報道は、人々に大きな影響を与えたにちがいない。

  私たちは遠い場所の出来事を、多くの場合、報道を通して知ることになる。 実際の世界ではさまざまな出来事が無数に起こっているわけだが、そのなかから いくつかの出来事のみが選ばれて報道される。つまり、ここで編集が行われているわけであるが、 この編集次第で、視聴者が受ける印象は大きく変わってくる。

  さらに視聴者が受ける印象は、視聴者のバックグラウンドによっても左右される。 視聴者がその分野について熟知している人であれば、編集の過程までイメージしながら、 あらかじめもっている知識とつき合わせて、情報を吟味することが可能になる。 しかしながら、全く知らないことであれば、与えられた情報に振り回される可能性が 高くなる。また、そもそも慎重で注意深くあることを訓練されている人であるならば、 全く知らないことであっても、与えられた情報を鵜呑みにはせず、自らのそれまでの 経験や他から得られた情報などとつき合わせて、納得のいく認識に到達するまで、 判断を留保するだろう。

  それだから、私たちは、自分で吟味することなく情報を鵜呑みにすることの怖さを、 知らなくてはならない。

  韓国を訪問する日本人観光客は明らかに減少しているという。こんな時代からこそ、 私たちは韓国を訪問して、自分たちの目と耳、五感を使って、今の韓国を認識してくる のだ。こんな時代からこそ、朝鮮半島の歴史を学び、来るべき次の交流の時代に備える のだ。26年ぶりの韓国が楽しみである。

  外国に出かけても、日本にいても、どこにいても、何をしていても、Tomorrow never knows の時代、慎重で注意深くありたいと思います。気をつけて出かけてきます。

  皆さまもどうぞよい7月をお過ごし下さい。               

  





2014/6/2(Mon) 
枉げる

 


  5月は長かった。風薫る5月の爽やかな気候のなか、 「一年がずっと5月だったらいいのに」と同居人がいうので、 「一年がずっと5月だったら3回目ぐらいで死んじゃうよ」と 応答したら、大笑いになった。子どもだけでなく、大学生だけでなく、 大人も、先生も、五月病になる。4月にロケットスタートするおかげで、 5月になるともう息が切れてしまうのだ。何にしても、倒れなかっただけでも、 幸運だった。そして、ようやく6月に辿りついたと思ったら、真夏のような 暑さが待ち受けている。最近、自分の人生は我慢大会のような様相を帯びて きている。     

  先月の予言(あまりにも当たり前なことなので予言というのはおおげさ なのだが)通り、5月になっても一息つけるわけではなく、さらにヘトヘトに なったのであるが、上記のように、ありがたいことに、まだ倒れてはいない。

  昨年の6月に研究棟のエレベーター前に倒れていた“くわがた”を拾って、 自宅で育てていたのだが、その瀕死の“くわがた”くんは、その後、夏の暑さを 乗り越えて、秋の夜長を悠々と過ごし、冬の寒さもくぐり抜けて、何と春まで 生きていた。息をひきとったのは4月のことで、驚くべき長寿であった。 生き物はなかなかしぶとく、粘り強いのである。

  そうであるから、生き物を殺すというのは、簡単なことではない。 とくに、濃厚な関係の網の目のなかを生きている人間を殺すということは、実に厄介な ことであり、後世にまで延々と祟ってくることを覚悟しなくてはならない。 考えてみてほしい。会津の人々は、いまだに薩摩、長州の横暴を許していないと 言われるが、戊辰戦争からはもう140年以上の歳月が流れているのである。 140年以上経っても、癒されない傷、そして怨恨、これが理不尽な人間の殺戮には 伴ってくるのである。

  こうした人類の普遍的な経験を考えるならば、戦争に参加しない、人を殺さないと憲法に記し、 曲がりなりにもこの掟を守ってきた70年近くの戦後日本の歴史は、意味あるもので あったし、そのために、他国人から深く憎まれることもなかったことは、賞賛されるべきことである。 もし今、近隣諸国から憎まれているとするならば、それは70年ほど前の出来事と、 その後のそれらの出来事との向き合いかたの問題であり、70年間、戦争をしなかった ためでは決してない。このような実に恵まれた貴重な遺産を、自ら廃棄し、わざわざ厄介事が 起こる道を選ぼうとすることは、あまりにも浅薄な判断ではないだろうか。

  かつて田中義一内閣は、昭和のはじめに、治安維持法の改正を決意し、 国会に提出した。この悪名高き改正案は、無産政党議員を中心とする野党の猛烈な反対に遭い、 審議未了となった。ところが、田中は、国会での審議を無視し、枢密院にかけて、 緊急勅令にて改正案の公布を諮ろうとしたのである。

  その時、枢密院のメンバーであった、前回のコラムでも紹介した生粋の国家主義者である 石黒忠悳(ただのり)は、次のように演説した。

  「自分はこの年に至るまで国家皇室のためにはほとんど身命をなげうって御奉公して来た もので、わが国民一般の精神もすなわちここにありと思う。しかるに今わずかばかりの不逞の 徒輩があって共産党だのなんのと騒いで見たところで、なんぞ恐怖するに足らん。しかし政府が 治安維持の上に是非とも必要であるとされるならば、その内容について必ずしも反対するもの ではないから、まず議会に提出し国民の意志に問うてみて決定さるべきある。」

  石黒は、議会、国民の意志を軽視し、姑息な方法によって、国の根幹を決める法の改正を もくろむ政治家を、厳しく批判したのである。

  石黒の憤慨を近くで見守っていた息子の忠篤は、父の代理として軍医団に招かれた祝宴席上で、 次のように父親の近況を報告したという。

  「老父は政治上社会上近年は種々の憂うべき出来事の少なからぬのを深く苦慮しております。 (中略)先年の財界大恐慌の緊急措置の場合や治安維持法の時の如きは、非常の心労をもって意見を 定めておりました。国家は常に大本において定まった路をもって進めねばならぬ。わが国に憲法の 行わるる以上は、いやしくも国家の大事を議会を避け勅令をもってすることは、政党内閣自身が 議会を軽んずる不都合時であり、責任を回避する許すべからざることであるという観念を基礎として 考えておるらしく、八十以上の老人としていたずらに事無かれに傾き一時の便宜のために大本を 枉(ま)げるが如きことのなきよう、極力努めて居ることが察せられるのであります。」

  日本陸軍において軍医制度を創設した石黒は、国の大本を枉(ま)げる政治の姑息さが、 国を瓦解に導くことを、予感し、心を痛めていたのである。枢密院での討論は五時間にも 及んだと言われているが、石黒の奮闘も空しく、賛成24、反対5の賛成多数で、治安維持法 改正緊急勅令案が枢密院を通過することとなった。石黒は、現実の複雑さを知らず、ただ法の 隙間をつくことと、はかりごとにのみ長けた、浅薄な政治家たちを、目の辺りにしながら、 国家のために尽くしてきたこれまでの苦労がすべて水の泡になる胸騒ぎを覚えていたことだろう。

  私たちは歴史から学ぶことができる。国の根幹を、議会での十分な審議も、 国民の納得もなしに、枉(ま)げてしまう政治は、無知な子どもが、大人たちが その経験から安易にあけないことを暗黙の了解としてきた地獄の釜のフタを空けて、 愚かなお友達たちと得意になっているのと同じである。

  地獄の釜のフタを空けるのならば、相応の覚悟が必要であろう。だが、 残念ながら、その覚悟も、また何からの見通しも、そこにあるとは思えない。 賭けごとに没入して、自己陶酔したいのであれば、自分の命を賭ければよい。 政治家には、自衛隊の人々の命、国民の命、他国人の命を賭けて、ギャンブルを する権利などない。いつも最悪の状況を考えながら、慎重にギャンブルを避ける ことが、政治家の役割である。

  6月、蒸し暑いのに、なぜだかこの月だけ国民の祝日がない。政治家たちが、 国民の生活、暮らしのことをちっとも考えていないことの象徴であろうか。 裁判員制度を導入したのであるから、今度は国会議員の半数をすべての国民から 抽選で選ぶことをそろそろ真剣に検討してみてもいいのかもしれない。   

  混迷は続く、しかし人はそのなかを生きていかなくてはならない。

  それでは紫陽花の季節、どうぞよい6月をお過ごし下さい。               

  





2014/5/1(Thu) 国家


 


  4月は思った通り、さまざまな問題が降りかかってきて、ヘトヘトに なったが、何とか生きていて、今年も5月に辿りつこうとしている。     

  5月になると、一息つけるかというと、全くそうではなく、さまざまな 問題はほとんど何一つ解決していないわけで、今後、さらにヘトヘトになる ことが容易に予測される。

  ある調査によると、私の今の年齢は、人生でもっとも幸福度が低い地点で あるということなので、ヘトヘトになるのも仕方がないことなのかもしれない。 ただ、私自身について言えば、今が人生でもっとも幸福度が低いという感覚は まるでなく、周りの人々と与えられた状況には大変感謝しているのだが、 いつものように自縄自縛で首が廻らなくなっているという次第である。 誠実で有能な指導者であったバルセロナのティト・ビラノバ前監督が、病気の ため、45歳で亡くなったことを思うと、何よりも健康で生かされていることの 有り難さに感謝せずにはいられない。それとともに、なぜ神さまはかくも すぐれた人間をかくも早く取り去りたもうのかと思う。おそらく私のような 鈍感な人間に、人生の短さとはかなさ、そして生かされていることの奇跡を 教えるために、このような業が行われるのだろう。そう考えると、自縄自縛で 首が廻らないとほざく自分自身のばかばかしさが、より一層際立ってくる。 耳を澄ますと、いずこからか、首が廻らないなどとぼやいている暇があれば、 きちんとした仕事をしなさい、という師の声が聞こえてくる。師の教えは、 いつもありがたいものである。

  4月29日付の東京新聞に「きけ、わだつみの声」の話が掲載されていた。 捕虜を虐待したとしてB級戦犯として処刑された学徒兵に、もう一つの遺書が あったというのである。処刑される半時間前に記された遺書は、心に迫るものが あった。そして、自由主義を弾圧した軍部は、ただ自分たちにとって都合の 悪いことを弾圧するご都合主義に過ぎなかったことが、的確に記されていた。 天皇を崇拝する愛国者と名乗る彼らは、自分たちの権力の行使と利益と都合の ために、天皇の名を利用し、国を歪めて、国を滅ぼしてしまったのだ。

  明治天皇の誕生日が11月3日の文化の日で、昭和天皇の誕生日が4月29日の 昭和の日(もとはみどりの日であったが、どさくさにまぎれて昭和の日になっている) となり、ともに祝日になっているのに、大正天皇の誕生日である8月31日は人知れず 放置されている。大正デモクラシーが気に入らないのであろうか。この国の愛国者なる 人たちは、ずいぶんとご都合主義的であるように思われる。8月11日が山の日になる とのことだが、熟慮も合意もないようなプロセスで「国民の」祝日を決めるというのは いかがなものだろうか。投票率も得票率も下がり、国会議員が国民を代表しているとは 言えなくなった時代に、国民の合意を伴わない「決める政治」が行われているものだか ら、政治は信頼を失うばかりである。

  石黒忠悳(ただのり)という人物がいる。明治草創期の軍医制度を確立した 人物で、東京経済大学の前身である大倉商業学校の立ち上げに尽力した人物である。 尊皇思想をもち、「皇室中心の一国家主義者」と言われるような人物であったが、 その回想録のなかに、次のような一節である。 「韓国併合のことは我が国千余年来の問題で、国民一同慶喜したことですが、私は 朝鮮人の心を思うとあまりお祭り騒ぎはしたくないので、十一月六日の一般祝賀会 には参らず・・・ただ心に思うところの祈りを捧げたのでした」

  生粋の国家主義者である石黒忠悳の活動と言葉は、実に見事であり、国家主義者 としての筋が通っている。本物の国家主義者ならば、自らの立場だけでなく、ほかの国家に 属する者の痛み、国家を奪われる者の痛みを、理解しなくてはならないはずである。 石黒がその晩年に昭和初期の似非国家主義の台頭に心を痛めたのと同じように、 今の日本で起こっている他国憎悪と民族差別の醜悪な様相は、到底、国家主義といえる ものではなく、ただ国家と国民の荒廃というしかないものである。

  今や日本最大の護憲派は、今上天皇と皇后だろう。国の根幹である憲法を 学ぶことが、政治的偏向と見なされるような「政治的」空間のなかで、大いなる 自省と自制を伴いながら、日本国憲法の意義を語られる姿には、心を打たれる。

  5月3日、日本国憲法は施行から67年を迎える。  

  美しい5月をどうぞ気持ちよくお過ごし下さい。      

  





2014/4/1(Tue) 凡下


 


  3月は風と共に去り、今年も4月がやってきた。     

  学校という場所は、3月と4月では対照的な姿をみせる。3月は、これまで 育ててきた学生たちを送り出す時であり、4月は、これからともに学ぶことになる 学生たちを受け入れる時である。3月には、しみじみと過去を振り返りながら、その 時間の短さを思い、4月には、スタートラインを踏みしめながらこれからの道のりの長さ を思う。私は、この感情のジェットコースターを、十数年間、繰り返し経験してきた。

  今年の入学式は、満開の桜が咲き誇るなか、天候にも恵まれ、穏やかな一日となった。 新入生とその家族の方々にとって、幸先の良いスタートになったといえるだろう。 そういえば、3月の卒業式もまた天候に恵まれていた。ちょっとしたことではあるが、 人生のハレの日が、晴れであるということは、やっぱり恵まれたことである。 そして、お祝いごとをみんなでしっかりと祝うことで、私たちは次のステージに 進むことができる。普通の人たちが幸せに生きていける世の中を、私たちは、 目指さなくてはならない。

  今日から消費税が8%に上がる。消費税が上がることは、普通の人たちにとって、 大変なことである。普通の人たちのつましい生活から吸い上げた税金を、どのように使うのか、 今、日本の政治は、そのヴィジョンを厳しく問われている。

  歴史を辿ってみると、日本では、これまでにもわざわざ集団自滅を行ってきた過去がある。 一つ目は、明治維新である。下級武士たちが立ち上がって、多大な犠牲の末に、江戸幕府を 滅ぼしたものの、その結果、武士たちは職を失うこととなった。二つ目は、第二次世界大戦で ある。軍部がその権限を拡大し、戦争を拡張していった結果、無条件降伏を招き、軍は解体 されて、軍人たちは職を失うこととなった。

  今、政治家たちが、自分たちの行いを顧みることなく、率先して議会制民主主義のルールを 破り、弱者の救済と格差の是正という政治の本分をなおざりにするとしたら、政治家という 職業そのものが否定されることになるだろう。

  学者もまたしかりである。普通の人たちの地道な日常の積み重ねの上に、私たちの仕事が 成り立っていることを忘れてしまっては、もうどうにもならないのである。

  2014年度は、できるだけおとなしく、おしとやかに、そして、落ち着いて、仕事をしたい。     

  皆さまの新しい場所でのご活躍をお祈りいたします! どうぞお元気で!      

  





2014/3/11(Tue) 黙祷


 


  震災から3年目の3月11日を迎えて、黙祷します。     

  あの痛みと、悲しみと、そして被災地の人々の苦しみを永続的なもの とした人災を招いた無責任の過去と現在を、決して忘れることがないように。  

  神の愛と恵みが、苦しみのなかにあるすべての人々にありますように。

     

  





2014/2/25(Tue) 感じ○×


 


  2013年度の授業も終わり、この2月は静かに落ち着いた日々を過ごすはずであったが、 なかなか人生そのようにはいかないもので、今月も騒々しい日々を過ごすことになった。 騒々しくしてしまったのは、自分が好きこのんでしたことであり、これこそまさに自己責任、 そしてもっと言えば自業自得なわけであり、誰のせいでもないのだが、 もう少し静かに生きていくことを、今後の課題としたいと思っている。そして先月と同じことを 書くけれども、このあと、おそらく再び、落ち着いた日々が戻ってくることだろう。     

  ソチオリンピックの騒々しさのなかで、東京都知事選挙が行われた。 誰を選ぶかということよりも、もっとも残念だったことは、46.14%という 投票率の低さであった。前日に大雪が降ったということを差し引いても、 これは由々しき事態であり、使い古された言い方だが、民主主義の危機と いうに値するものである。この一票は、先人たちの血の滲むようなたたかいの 上に、得られたものではなかったのか。同じように、基本的人権の尊重や 国民主権、平和主義という日本国憲法の三原則も、不当に虐げられた人々の 苦しみや、若い自らの生命や手塩にかけて育てた子どもたちを国家によって 奪われた人々の苦しみの上に、建てられたものではなかったのか。 こうした先人からの遺産を、私たちの世代が、ただ食い潰すばかりではなく、 悪党の金貸しの甘言にのって、その貴重な遺産を自ら手放そうとしているとしたら、 私たちは何という愚か者なのか、ということになる。このままでは、私たちは、 後世の歴史家から史上最悪の愚か者たちとして審判を下されることになるに ちがいない。  

  いつからか、人々は自らを消費者としてのポジションに置くことに 慣れ、政治においても、自らがその市民社会の一員であるという責任を負い、 責任ある判断をすることを、格好悪いことと考えるようになってきた。 消費者がお金さえもっていれば万能であるのに対して、市民であるという ことはいろいろと厄介なことである。全く違ったバックグラウンドをもつ もの同士が、上下関係がないところで、粘り強く対話を行い、合意点を 探らなくてはならない。何かが実現したからといって、大きな達成感が あるわけではない。むしろ、重い疲労感が残ることが常である。 こうした面倒なことから距離を置いて、消費者として時代の波に乗って いけば、人生は結構楽しく渡っていける。そして、そこにはあらかじめ 仕組まれたものではあるけれども、心地よい達成感もある。 このようにして、人々は消費者であることの快楽に絡め取られていった。

  私も快適なことが好きな人間であるから、誰もに重い疲労感が 残ることを強いるのは、実に気が重い。だから、市民であるということが、 もっと楽しいことであればいいのにと、とても強く思う。それでは、 市民であるということがもっと楽しいことになるためには、何が必要か?

  それは、成熟した市民たちの存在である。人の話をじっくりと聴き、 一緒に問題の解決を探り、人とともに喜び、人とともに悲しむことの できる成熟した市民たちが会合にあふれているならば、会合に出かけるのは 楽しみになり、私たちがそこに参加できる市民であるということは実に至福 に満ちたことになる。

  だが、反対に、人のあら探しばかりをして、人の話は聴かずに、 問題の解決に向かう気すらないような人々が集う会合には、多くの人たちが 足を運びたくなくなるものだろう。  

  私たちの社会では、ある時期まで「感じのいい」人柄であることが 強く要求されていた。これはある意味で息苦しさを伴っていたが、同時に、 「感じのいい」社会を作ることに一役買っていた。ところが、あるとき、「感じのいい」 社会のなかで、自分一人が「感じの悪い」人間であることが、もっとも 大きな利益を享受できる方法であるということに気づいた「頭のいい」 人間がいた。ちょうど高速道路の渋滞のなか、みんながルールを守って 通行車線にとどまっているのに、一台だけ路肩を走ってすり抜けるように。

  「感じの悪い」人間が一人ならばまだ良かった。二人ならばまだ そんなに悪くはなかった。しかし、「感じの悪い」人間がどんどん 増えてくると、「感じのいい」人間であることは、損なことのように、 多くの人々には思われるようになった。そして、みんながこぞって、 「感じの悪い」人間であることを目指すようになった。その結果、 私たちの社会は、かつての高度経済成長が驚くべき速度で達成されたの と同様に、驚くべき速度で、「感じの悪い」社会へと変貌していった。

  この「感じの悪い」社会の問題には、なかなか気づくことが難しい。 なぜならば、「感じの悪い」社会の出現は、同時に、際限のない サービスを生み出しているからである。病院や学校という公共的な サービスは、明らかにかつてよりも「感じのいい」ものとなっている。 このように、「感じの悪い」社会には、今のところ、 「感じのいい」サービスがセットになっているため、人々はこの ネガティブな側面に気づきにくい。     

  だが、「感じのいい」サービスを受けることなしには、 「感じのいい」空間と関係を生み出せないということは、 今を生きる私たちの他者とともに共存する力の衰弱のあらわれである。 その衰弱が、今回の都知事選における投票率の低下としてあらわれて いると、私は考える。このままではまさに民主主義の危機である。

  ここまで社会が崩れているから、簡単なことでないだろうが、 それでも、一つひとつ聴く関係を築き合い、そして「感じのいい」社会を 創ることしか、私たちが幸せになる方法はないと、私は考える。そして、 そのことを、粘り強く対話によって伝えながら、その具体的な方法を 他者と協働して考え、実践していくこと以外に、新しい時代を ひらく道はないと、私は考えている。    



  大雪で農家のビニルハウスが崩壊したことに心を痛めています。 私たちの食を支えてくれている人々に感謝しつつ、何かできないだろうかと 思います。3月は新しい生活への準備の時期です。新たな世界へと旅立って いく人たちの前途を祝したいと思います。どうぞお身体にお気をつけて、 よい3月をお過ごし下さい!      

  





2014/2/3(Mon) 節分


 


  2013年が去っていったことに続いて、2013年度の大学の授業もこの1月で終了となった。 思えば、1年前の2013年1月に最愛の祖母を亡くしてから、私は否応なく人生の新たなステージに 投げ出されて、苦しみと喜びが相互に胸を突き刺してくるような激動の1年間を過ごすことと なった。そして、今日は節分、明日は立春である。おそらく再び、落ち着いた日々が戻ってくる ことだろう。      

  2013年は私にとって収穫の年であった。祖母を失ったことと引き替えに、長い間、 世話をしながら実りにいたらなかったものが、一斉に花を咲かせて、いくつもの実を結んだ。 人生を生きているとこういうときもある。だが、問題は収穫のあとである。 2014年は種をまかなくてはならない。収穫を終えた私の前には、ただ荒野が広がっている。 いろんなことを一から始めなくてはならない。あるいは、種をまく前に、土地に肥やしを やらなくてはならないかもしれない。地道に草取りをしなくてはならないかもしれない。   

  とにかく、また一から始めるしかない。人生をだいぶ生きてきたような気もするが、 まだまだ人生は長いのかもしれないのだ。祖母がはじめての孫を抱いたのは、ちょうど 今の私の歳のときであった。そして、その後、さらに同じだけの年月を重ねて、 天国に旅立って行った。孫を抱いたときが人生の折り返し点だったとは、そのとき、 本人も、そして周りの誰もが思っていなかったことだろう。そろそろ人生の終盤に 差し掛かると思われたところから、粘り強くいくつもの危機をくぐり抜けて、 その人生の灯(ともしび)をみごとに生き抜いたのだった。その思いがけなく長い人生のおかげで、 私たち残された者たちは、たくさんのすばらしい思い出をプレゼントしてもらうことができた。 私は、ただただ、そのことに感謝している。

  昨年、今年とお世話になっていた方々の訃報が相次ぎ、私も、私の周りも悲しみに 包まれることが多かった。少子高齢化社会という日本社会の現実は、このようなかたちで、 私たちの生活や心に直に影響を与えてくる。生まれる者よりも、去りゆく者のほうが多い 時代を、これから私たちは生きてゆかなくてはならない。

  私たちはその現実を見据えるところから新しい社会を目指していかなくてはならない のだろう。人口が減少していく社会のなかで、一人ひとりを大切にすることすらできない ようでは、私たちの未来は真っ暗なものとなるだろう。一つひとつ大事に種をまき、手を かけて育てることではじめて、未来の希望は生まれることだろう。  



  今日は暖かいですが、明日から再び寒くなるようです。またインフルエンザやおなかの 風邪も流行っています。どうぞお身体にお気をつけて、この2月をお過ごし下さい!      

  





2014/1/7(Tue) 新年


 


  2013年が去っていった。いろいろと思い出のつまった2013年が過去の時間(とき)と なっていくのは、寂しいことであった。それでも、時間は淡々と公平に流れて、2013年は もはや戻ることはなく、2014年が幕を開けることとなった。      

  2014年は、2013年よりも黙っていたいと思った。自分の騒々しさに、いささかうんざり している。いや、自分の騒々しさというよりも、騒々しい状況を必要としている自分に、 うんざりしているのだ。静かに日常を重ねていくことができたら、もう少し深みのある 人間に近づけるかもしれない、なんてふと思っている。   

  そう決心してまもなく、昨日は授業のあと、学生たちと連れ立って食事に出かけたのだが、 さっそく新年からしゃべりすぎてしまった。まったくもってどうしようもないとはこのことである。 新年早々、自己嫌悪である。

  というわけで、コラムでのおしゃべりもこの辺にして、新しい年を、種をまく年にして いきたいと思う。  



  皆さまにとって、この2014年がよい一年でありますように!