<清瀬の四季−1997夏>


 清瀬市は、東京都の北の端にある小さな市で、一角獣のように埼玉県に突きささっています。清瀬は、都心から通勤圏にあるにもかかわらず、まだまだ多くの農地が残されており、市のほぼ半分が畑です。私は、清瀬に住んで2年あまりになりますが、清瀬の空気と風景がとても気に入っています。九州から東京へ出てきて12年目になりますが、ようやく住まう場所を得たという気分です。
 この清瀬も、都市開発などで次第にその良さが失われつつあります。私は、ホームページで、清瀬の四季を掲載し、土と水と緑のある町の美しさを伝えるとともに、開発という名の下に私たちのこころのふるさとを蹂躙していく動きに対して、きちんとものを言っていきたいと思っています。



清瀬の夏
 

 西武池袋線清瀬駅から清瀬市役所へとのびる「けやき通り」は、清瀬のメインストリートです。わたしたちの住む都営住宅も、この「けやき通り」沿いにあります。「けやき通り」のなかでの一番のスポットは、畑の中にあるユーカリの木です。ユーカリの木は凛と立っていて、通りを歩く人々を楽しませてくれます。

 

 この「けやき通り」からは、なんと富士山が見えます。東京の平地から富士山が見えるというのは、とても珍しいのではないでしょうか。それでも、最近は住宅が増えて、富士山スポットがどんどん減ってきました。また、土地がひらけているので、けやき通りからみえる夕焼けも見事です。

 

 清瀬市は、東京都心への通勤圏でありながら、その面積の半分近くが農地となっており、大変緑豊かな都市です。農地も生半可な大きさではなく、大規模な畑が広がっており、若い働き手もしばしば見かけます。トウモロコシやサトイモ、人参などがよく作られているようです。遠くにはサイロも見え、まるで北海道の風景のようです。

 

 清瀬の農家は、野菜を作るだけではなく、酪農もやっています。都営住宅のすぐ裏側でも、農家が牛を飼っていて、西から風が吹く日には、牛の匂いが風にのってやってきます。牛の頭数もかなりいるのですが、牧草地がないので、いつも部屋の中にいてつながれているのがかわいそうです。今年の春には、牛の赤ちゃんが産まれていました。市役所のすぐそばでも、別の牛たちが飼われています。

 

 都営住宅から少し歩くと、牛がいて、さらにもう少し北側の谷を降りていくと、柳瀬川が流れています。柳瀬川の流れる谷は、清瀬市と埼玉県所沢市の県境となっており、とても緑豊かな地域です。柳瀬川には、鯉やウグイなど多くの魚が泳いでおり、川の水もとてもきれいです。川に散歩に行くと、必ずこれからどうやって生きていこうかと考えます。川の流れがそのような思考を促すのでしょうか。



 

 散歩から戻ってきて、都営住宅にたどりつきました。清瀬の都営住宅には、小さな庭がついています。この都営住宅が建てられた昭和30年代、庭は決してぜいたくなものではなかったのですね。今や、都会では庭はぜいたくなものであるとされ、庶民はマンションという箱に住まうことを余儀なくされています。マンションという箱は、住み始めたその日から次第に古びていきます。これに対して、庭は、たとえ小さな庭であっても、住人とともに新しくなり、手をかけていけば、日々、生き生きしたものになります。それだけではありません。庭に穴を掘って、生ゴミを埋めるならば、生ゴミは有機肥料として蘇生し、ゴミの量は減るし、植物は育つしで、まさに一石二鳥です。土があれば、私たちはいろいろな工夫をこらすことができます。そして、ガレージではなく、ホームに住まうことができます。(イヴァン・イリッチ『生きる思想』藤原書店)

 

 私たちが住んでいる都営住宅は、あと2年半で壊され、あとには高層の住宅が建設されます。あとわずかの間ですが、土を豊かにこやし、植物をいつくしみながら、私たちなりの住まい方を大切にしていきたいと思います。(写真は、庭のひょうたん、今年はひょうたんがうまく育って、こんなに大きく立派になりました。)