1997winter1
<三池の冬1997 その1>




 三池の冬は暖かい。三池争議で故郷を追われた楠元辰雄さん(前川俊行さんの父)はいつも「岐阜は寒い、九州に帰りたか」とこぼしていたと言うが、有明海に抱かれた三池は温暖な気候に恵まれている。1997年も年末にさしかかる12月24日、わたしは無性に故郷に帰りたくなり、池袋で乗車券を買うと、東京駅で新幹線に飛び乗った。正月に帰省することのなかったわたしにとって、12月に九州の地を踏むのは、大学時代以来8年ぶりのことであった。わずか3日ばかりの滞在であったが、この期間中、天候に恵まれ、暖かい日が続いた。祖母の家の道ばたには、季節はずれのたんぽぽの花が咲いていた。



 住み慣れた三池を離れ、中京工業地帯に職を求めていった人たちは、かなり多くの数に上るだろう。楠元辰雄さんもその一人だったし、渡辺清吾さん(渡辺伸夫さんの父)もその一人だった。わたしが愛知出身の妻とつきあっているときに、名古屋と大牟田・荒尾を結ぶ高速夜行バスが運行されていることを発見し、驚き、喜んだものだった。新幹線にくらべるとかなり安価なこのバスを何度か利用したものだった。今にして思えば、このバスの路線は、1960年代に炭鉱労働者がヤマを追われ、自動車産業を中心とする中京工業地帯に大量に移動したなごりだったのだ。しかし、楠本さんや渡辺さんの故郷への思い、さらにはわたしたち夫婦をつないだこの夜行バスも、最新の時刻表から姿を消していた。とても寂しい思いだった。三池にはただたんぽぽが咲いていた。




 セーターもいらないような暖かさのなかで、迷路のなかにいる自分の思いの根っこを突きつけられる一瞬を経験した。故郷とは一体なんなのか。家族とは一体なんなのか。いろんなことを今つきつめて考えておかないと、前に進めないような気がする。そういう時期にさしかかっている。




 1997年冬の帰省の大きな収穫は、『見知らぬわが町』の著者である中川雅子さんとの出会いである。わたしは、小学校のときの同級生のつてで、中川雅子さんにたどりついた。身近な人のつてをたどりながら、自分の世界がひろがっていく、このような体験は大都会のなかではなかなか難しかった。今年度から東京に腰を据え、三池とつきあうようになって、とても貴重な出会いがあった。三池というトポス(土地)を手がかりとして、いろんな人につながっていくことができた。自分自身の状態は、まさしく混迷のなかにあるのだが、三池争議を闘った人々や、中川さん、ゼミや講義での学生たちとの出会いを通して、この人たちとともに学んでいきたいという思いをかきたてられたことは、一筋の光明であるように思う。




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