この辞任届は翌5月の協議会で承認され、大倉喜八郎の女婿大倉条馬も、1948年4月に改訂された寄付行為により財団法人大倉経済専門学校理事会が発足した際、協議員を退いた。ここに本学の経営側における従来のような大倉家との人的つながりは解消した。