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Brian Eno "The Drop"

eno2.jpeg・イーノは車を運転しながら聴くにかぎる。何年か前に京都の北山に紅葉を見に出かけた。空が真っ青で、山が緑と黄色と赤。その鮮やかなコントラストに見とれながら山道を運転している時に、イーノの『ミュージック・フォー・フィルムズ』をかけた。かけたというよりは、たまたまそのカセットが入っていたのだが、目の前の風景にぴったりあって、ぞくっとしたことを覚えている。それからは、どこかへドライブするときにはイーノのアルバムを必ず何枚か持っていくようになった。
・ブライアン・イーノの出発点は『ロキシー・ミュージック』のキーボード奏者である。だからプログレッシブなロック・ミュージシャンという一面を持つが、同時に「アンビエント」と呼ばれる新しいジャンル(環境音楽)を代表する人という側面もある。あるいは、さまざまなミュージシャンとの共作も多い。たとえば、デビッド・ボーイ、デビッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、ジョン・ケイル(ベルベット・アンダーグラウンド)、ロバート・フィリップ(キング・クリムゾン)、そしてU2.........。もちろん、どれもなかなかいい。

eno3.jpeg・イーノは自らをミュージシャンではなくてエンジニアと呼ぶ。彼は楽譜が読めないし、楽器を演奏することはしても、音楽作りの大半は時間もエネルギーもスタジオでのミキシングに費やすからである。ロックに限らず現代の音楽は、単に楽器だけで作り出されるものではない。というよりは、音は機械的な処理をすればどのようにでも変化させることが可能だ。その音をモザイクやコラージュのように組み立てて作る音楽。イーノの作り出すサウンドは一言でいえばそのようなものである。
・『ブライアン・イーノ』(水声社)を書いたエリック・タムはイーノのアンビエントを「音の水彩画」と言っている。とてもうまい表現だと思う。ただし、彼の音は最初に書いたように、現実の風景の中で聴いた方がより印象的になる。経験的な感覚から言えば、イーノの音楽には現実の風景を水彩画に変える力があるような気がする。まるで絵のような景色、と言うよりは、比喩ではなく、現実が絵そのものになるのである。
・もちろん、彼の作品のどれもが紅葉にあうというわけではない。硬質の感じの音は、街中の渋滞にぴったりという場合もあるし、何も見えない高速道路をすっ飛ばしているときにちょうどいいサウンドというのもある。けれども、彼の作る音は、基本的にはどんな風景も拒絶しない。つまり基本的には、いつどこで聴いていてもさほど違和感は感じない。これは、映画のサウンドトラックが場面やストーリーの展開、あるいは登場人物の心理描写を補強するかたちで使われるのとは、ちょっと違う意味あいがあるように感じられる。
・で、新作の『The Drop』だが、なかなかいい。ライナー・ノートによれば、このアルバムはタイトルが何度も変更になったそうである。「Outsider Jazz」→「Swanky」→「Today on Earth」→「This Hup!」→「Hup」→「Neo」→「Drop」→「The Drop」。つまり、イーノの作る音楽にはタイトルなどはいらないということなのだと思う。実際ぼくは「The Drop」というタイトルに近づけてこのサウンドを聴いているわけではない。やっぱり車で聴くことが多いから、音によってイメージされる水彩画は、そのときどきの現実の風景である場合が多い。彼の作る音はちょうど水のように、透明で臭いもなく、それでいていつどこにもなじんでしまう。けれども、決してイージー・リスニングではない。

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1997年09月08日 23:53に投稿されたエントリーのページです。

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