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"The Best of Broadside 1962-1988"

broadside1.jpeg・『Broadside』はモダン・フォークが華やかだった頃に出ていたリトル・マガジンで、レコード・デビューする以前のフォーク・シンガーが自作の歌を投稿する場だった。無名のシンガーたちはニューヨークのライブ・ハウスで歌うチャンスを見つけ、"Broadside"に歌が掲載されることを目指した。その雑誌は88年まで発行され続けたが、今回紹介するのは、その代表的な記事や歌を収めて出版されたものである。


『ブロードサイド』を支えていたのはすばらしい歌と記事、それに加えてしんどい仕事に耐える人たち。紙面の中には多くの笑顔をもあり、怒りの表情も見える。しかし、みんながこれに託していたのは、歌がこのちっぽけなページにとどまるのではなく、いつまでも歌われ続けて欲しいという願いだった。

・たとえば、ボブ・ディランの代表作である「風に吹かれて」はアルバム『フリー・ホイーリン』のなかの1曲として1963年にコロンビア・レコードから発表されたが、『ブロードサイド』にはその前年の62年に掲載されて、レコードもThe New World Singersというバンドによるもののほうが早かった。またヒットしたのはよりポピュラーなグループだったPPM(ピーター・ポール&マリー)の歌ったものである。
・『ブロードサイド』は当時の注目曲の発信源だった。しかし、そんな注目の雑誌も、スタイルはタイプライターで打ったものを切り張りして、簡易印刷するといったシンプルなもので、創刊号はわずか35セントで部数は300だった。売られたのはニューヨークのグリニジヴィレッジ周辺に限られた。発行者はシス・カニンガムとゴードン・フライセン。50年代から左翼的な活動をしてきた人で、ウッディ・ガスリーやピート・シーガーとつながりが深かった。
・「ブロードサイド」という名は1世紀前のロンドンで出されていた街頭売りの新聞の総称で、事件や問題、あるいはこまごまとした話題を多くの人びとに伝える役割を果たしたメディアだった。新聞はその後急成長して、大発行部数を誇るようになり、映画やラジオ、そしてテレビと新しいメディアが次々登場して急激に大規模化していった。だから『ブロードサイド』という名前には、ジャーナリズムの初心に帰って、大切なものをできるだけシンプルにという意味が込められた。
・フォーク・ソングは60年代の前半を代表するポピュラー・ソングになり、社会や政治を批判する内容がヒットするという現象を作りだしたが、後半になるとロックンロールと一緒になって生まれた新しいサウンドの影に隠れるようになる。さらに、新人はレコード会社が直接見つけだしたり、自らインディーズ・レーベルでレコード化するようになった。それにつれて『ブロードサイド』の役割は影に隠れるようになるが、しかし、フェミニズムや人種差別などの問題に沿って、地味な歌を掲載し続けてきた。
・"The Best of Broadside 1962-1988"にはそんな30年近い歴史が、何人かによって回顧され、掲載された主な歌が5枚のCDに89曲収められている。歌っているのはディランやフィル・オークス、アーロ・ガスリー、ピート・シーガー、トム・パクストン、ジャニス・イアン、エリック・アンダーソン他多数。
・このようなものを手にするたびに思うのは、アメリカ人の持続する志と歩いた道筋をたどって記録にとどめ、評価し直そうとする姿勢。それとは対照的な日本人の気まぐれさと忘れっぽさである。懐メロとしてノスタルジーに浸るのではない回顧という作業がもっとされてもいいのではと思うが、そんな気配は日本のどこにも見かけられない。

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2001年02月12日 22:41に投稿されたエントリーのページです。

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