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Lou Reed "the Raven"

reed4.jpeg・ルー・リードの新作"The Raven"はエドガー・アラン・ポーの同名の詩を題材にしている。『大鴉』。2枚組で参加しているメンバーがすごい。デヴィッド・ボーイ、オーネット・コールマン、ウィリアム・デフォー等々で2001年に舞台で上演した作品のようだ。だから、通常のアルバムとちがって、詩の朗読や歌のない演奏があり、時折、ルー・リードの歌が入るという構成になっている。輸入盤には歌詞がついていないから、聴いているだけだといつもとちがってちょっと肩すかしといった感じだった。で、さっそく、ネットで歌詞を探して読みながら聴きなおした。

・エドガー・アラン・ポーは19世紀前半に小説や詩を書いたアメリカを代表する作家で、日本の江戸川乱歩やフランスのボードレールに影響をあたえた人として知られている。映画が登場するとすぐに「モルグ街の殺人」などが映画化されて探偵小説、推理小説のパイオニアとして有名になるが、生存中は貧困生活に苦しんだようだ。ポーは1849年に40歳で死んでいる。ボルチモアの路上で泥酔して倒れているところを助けられたが、数日後に病院で死んだと言われている。

・リードはそんなポーの人生と彼が残した作品に自分の人生と現在の世界、とりわけニューヨークの状況を重ね合わせているようだ。アルバムのライナーノーツにはつぎのような文章が載っている。

エドガー・アラン・ポーはアメリカの古典的な作家だが、彼が生きていた時代以上に、この新しい世紀に奇妙に波長の合う作家でもある。強迫観念、パラノイア、自滅的な行為がいつも周囲にある。僕はポーを読み直し書き直しておなじ問いかけをしてみた。僕はだれ?なぜそうすべきでないことに引きよせられるのか?僕はこの考えと何度も取っ組み合ってきた。破壊願望の衝動、自己屈辱の願望。ぼくの中ではポーはウィリアム・バローズやヒューバート・シェルビーの父だ。僕のメロディーの中にはいつでも彼らの血が流れている。なぜしてはいけないことをしてしまうか?なぜ、手にできないものを愛してしまうのか?なぜまちがいとわかっていることに情熱をかたむけてしまうのか?「まちがい」とは何なのか?僕は再びポーに夢中になった。ことばと音楽、テクストとダンスで彼を生き返らせる機会に出会って、それに思わず飛びついてしまった。

・この2枚組のアルバムの中でルー・リードが歌っているのは46トラックのうちの13曲。ポーの詩を読むのは「大鴉」をふくめてほとんどがウィリアム・デフォーで、バックにはジャズが流される。最初はちぐはぐな組み合わせのように感じたが、何度か聴いているうちに意図がだんだん分かってきた。ポーの詩(19世紀)にビートニクの詩と朗読会の雰囲気(50年代、モダンジャズ)を重ね、そこに自らの音楽の足跡(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドから現在まで)を残す。そんな構成をイメージしながら聴きなおすと、これはなかなかいいアルバムだと再認識した。

・ルー・リードは今月、東京と大阪でコンサートをやる。大阪 9/17(水) 大阪厚生年金会館、東京 9/19(金) 東京厚生年金会館、東京 9/20(土) 東京厚生年金会館。僕は1996年のコンサートを大阪で見ているが、これ以来だとすると7年ぶりということになる。ちなみにこのライブのレビューはこのHPでの記念すべき第一回のものである。そんなわけで行きたいのはやまやまだが、ちょうど授業のはじまりで、仕事をしてコンサートを見て、夜中に高速で帰るのではちょっと体力がもちそうもない。でも、チケットは当日でも買えるだろうから、どうするかは直前に決めようと思っている。(2003.09.01)

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2003年09月01日 22:07に投稿されたエントリーのページです。

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