« ディランとラジオ | メイン | 新譜がない »

変わったライブ盤2枚

Lou Reed "Berlin Live At St. Ann's Warehouse"
Van Morrison "Astral Weeks Live at Hollywood Bowl"

・僕が長年聴き続けてきたミュージシャンには誰も、”伝説の”と名がついて語られてきた「ライブ」がいくつかある。それはディランでいえば、エレキ・ギターを持って登場して客を混乱させたニューポート・フォーク・フェスティバルや、ヨーロッパでの「ユダ!」と呼ばれて「お前なんか信じない」とやり返したコンサートなどがある。どちらも海賊盤では早くから出回っていたが、正式に発売されたのは最近になってからで、その一つ"No Direction Home"にはDVD版もある。
・同様にオフィシャル盤を積極的に出しているのはニール・ヤングで、その "Massey Hall 1971"と"Live at Fillmore East 1970"は購入してレビューも書いた。もう一枚、"Sugar Mountain: Live at Canterbury House 1968"が出て、アマゾンからお知らせも来たが、これはまだ買っていない。

・最近買ったライブ盤2枚には共通する変わった特徴があった。どちらも数十年も前に出されたアルバムで、傑作として評判は高いが、商業的には成功しなかったものだ。それをライブ盤としてリメイクしたもので、どちらもそれなりに良くできていると思った。

reed1.jpg ・ルー・リードの"Berlin"は1973年に出された彼の3枚目のソロアルバムで、ベルリンを舞台にした物語として全曲が構成されている。壁で分断されたベルリンにある小さなカフェでギターの演奏が聞こえる。主人公(リード)とショー・ガールのキャロライン、そしてジムとの奇妙な、それゆえ深刻な三角関係。キャロラインには幼い子どもがいる。ベルリンという東西の冷戦状態を象徴する街で、異性愛と同性愛が錯綜する関係が物語られ、キャロラインの自殺で話は終わる。作品としてのできは絶賛されたが売り上げはさんざんで、このアルバムをライブとしてパフォーマンスすることはなかったようだ。
・73年に発表された ”Berlin"を、僕はずっと、ベルリンでのライブを録音したものだと思っていた。途中で小さな子どもが泣いて、「マミー」と繰りかえし呼ぶ声がする。小さなクラブでのライブでおきた大きなハプニングのようだが、その時歌われている"The KIds"では、キャロラインに捨てられる子どもたちのことが語られている。
・その"Berlin"が35年ぶりに、同じタイトルでリメイクされた。ベルリンではなくニューヨークのブルックリンでライブとして行われたものの録音で、同時に映像化もされてDVDでも発売されている。ほとんど売れなかったアルバムを35年も経ってから作り直す意味は、どこにあるのあるのだろうか。ソ連と東側の共産圏が崩壊し、ベルリンの壁が壊された。この35年のあいだに政治や経済の状況は全く変わってしまった。同性愛やドラッグは、一方でエイズや中毒による死者を大量に生んで社会問題になったが、他方ではきわめてポピュラーになってもいる。ルー・リードが新しい"Berlin"で物語ろうとする世界の意味についてあれこれ考えを廻らすと、改めて、時代の流れに驚かされる気がする。とは言え、新しい"Berlin"のジャケットに写された彼の姿は、その浮き出た上腕筋に見られるように昔以上にマッチョになっている。

van1.jpg ・もう一人、ヴァン・モリソンが、彼の初期の代表作である"Astral Weeks"をライブで再演して、アルバムにしている。1968年に出されたものだが、これもまた、売り上げはさほどでもなかったようだ。ただし、ミュージシャンに与えた影響の強さなどから、名盤として取りざたされることが多い。英語版のウィキペディアには、マーチン・スコセッシが彼の代表作となった『タクシードライバー』の基盤にした話や、ジョニ・デップの「今までなかったほど心が動かされた」というコメントが紹介されている。
・ヴァン・モリソンはスタジオよりはライブでの録音が好きなようだ。ただし、レコード会社との契約で、新しいアルバムをライブで録音することは認められなかったし、そのアルバムの売り上げが芳しくなければ、アルバムそのものをライブとししてパフォーマンスすることも許可されなかったらしい。そういった制約から解放されて一番やりたかったのが、"Astral Weeks"のライブとその録音だが、それは単なる再演ではない。新しいアルバムは古いアルバムとほぼ同じ曲目、曲順だが、1曲目の"Astral Weeks"の題名には"/I believe I've transcended"が追加されている。何をどう超えたかは、聞けばわかるはずで、サウンド的には全く別ものになっているし、ルー・リードとは違って、風貌はすっかり老成している。一度はライブをみたいと思っているが、日本には絶対来ないから、こちらから出かけなければ、かなわないミュージシャンだ。

About

2009年06月22日 06:37に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ディランとラジオ」です。

次の投稿は「新譜がない 」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type