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話すことと書くことの関係

・話すことと書くことには大きなちがいがある。ことば自体はもちろん、つかわれる場や関係など。しかし、それをはっきりさせる垣根がくずされているのが、最近の傾向のようにも思う。
・たとえば、電子メールでつかわれることば。一概にいえるわけではないが、文字をつかった話しことばという印象をうける場合が少なくない。これが、ホームページの掲示板やチャットとなると一層はっきりしてくる。その逆、つまり書くように話すという特徴が敬遠されがちであることとあわせて考えると、この流れがおよぼす影響とその意味は、かなり大きなものになるにちがいない。

 話すことと書くこと
・そもそも、話すことと書くことのちがいとは何か。たとえば、電車の中で急にひとりごとを呟く人に出会ったりすれば、私たちは、それを異様に感じて、意識的に無視したり遠ざけたりする。もちろん、携帯電話の普及で、隣の席に座った人が突然しゃべりだす、といった場面に出くわすことは珍しくない。けれども、それを異常だと思わないのは、私たちが電話の向こうに相手がいることを想像できるからである。あるいは逆に無言電話を考えてみてもいい。いるはずの相手がいないことで感じる気味の悪さ。話すとは会話をすることだとすると、話されることばには必ず確かな相手が必要なのである。
・それでは、書くことはどうか。日常的におこなわれる書く行為の代表は手紙だが、ここにも読む相手が存在する。ただし、その関係には時間差があって、書き手にとっても読み手にとっても、相手の存在はみずから思い描くことによって登場させなければならない。手紙は、本来ならばそこにいるはずなのに事情があって遠く離れている人に向けて送られる。だからこそ「ごぶさた」とか「ひさしぶり」といったことばが必要になる。手紙の魅力が、この相手との物理的な距離の遠さやそのために生じる時間差と、それを縮めようとする気持ちから生まれることはいうまでもない。
・もう一つの日記は、読み手を想定しない表現手段である。有名な小説家の書簡集が死後に出されたりする場合を別にすれば、日記は普通、誰にも読まれない。その秘密性が他人には覗いてほしくない自己の内面を吐露させる。現実の世界で思うように生きられる人は少ないから、日記の世界は得てして、叶わぬ夢と自己嫌悪や憐憫、あるいは虚構の世界での夢の実現といった性格を帯びやすくなる。日記を書く行為は基本的には独白のつぶやきなのである。

 書くことの日常化
・書く行為の代表を手紙と日記と考えると、それはいったいいつから日常化したのだろうか。例えば、手紙の特徴である「本来なら近くにるはずの人が遠くにいる」という状況を考えると、長い人間の歴史の中ではつい最近始まったことがわかる。生まれ育った場所を離れて暮らす。そのような人生は、もっとも早いイギリスでも、19世紀に盛んになり始めた。19世紀のはじめには8割以上の人が農村に暮らしていたイギリス社会は、20世紀の初頭には8割が都市生活をするほどに激変する。あるいは、ヨーロッパ各地からアメリカに移民する人たちが続くのもこの時代である。手紙がこのような社会状況の変化から必要になったコミュニケーションの道具であることはいうまでもない。
・手紙と同様に日記の日常化も、自分が生まれ育った土地や親や家の仕事を継ぐことに縛られなくなったことと関係する。ひとつの生活世界を共有する人たちは、いつでも同じ空間にいて、互いの存在を意識して暮らしてきた。けれども、一人一人の生き方に選択の余地が生まれはじめると、誰もがたった一人の世界をもつようになる。意識の中に他人とは共有できない部分が自覚されるし、その部分を広げたいと思うようになる。読み書き能力(リテラシー)を学習した人は、本や新聞で外の世界についての知識を得、自分一人での思考を日記によって鍛える。「近代的自我」の発見、あるいは青年期の成立にとって不可欠な要素としてよく指摘されてきたところである。
・書くことや読むことは話すことにも影響した。自分独自の考えをもてば、当然、他人との違いを自覚せざるをえなくなる。地縁や血縁の絆を離れて都市に住むようになった人びとは、基本的には異質な人間との関係の中に自分の場所を見つけなければならなかったから、たえずことばを交わして意志の疎通をしなければならなくなった。自己主張をし、他人と議論を闘わせる必要も生まれた。そのような新しい社交の場として生まれたのがカフェやパブである。

 記憶と記録
・もちろん、文字は近代化以前から存在した。けれども、それをつかいこなせる人は一握りの特権階級にかぎられていた。たとえば近代以前のヨーロッパでは、書きことばはラテン語で、つかわれるのも政治や宗教の場が主だった。文字はいったん記録されれば改変は難しい。というよりは、犯しがたいものという性格をもった。それは何より権力者が発信するおふれ、あるいは公式の記録、そして約束や契約の証拠だった。
・聖書を例にあげてみよう。それはキリストの言動の記録であり、世界創造の物語である。中世の社会では聖書は教会や牧師の手に握られ、一般の信者達は教会で牧師の説教として、その中身を聞かされた。聖書の世界は教会という場でのみ知ることができるものであり、信者達は牧師のことばを信じて、自分の頭に記憶する他はなかった。だから、印刷術が普及したときに、教会の腐敗に対する批判が、記録されたことばに直接触れることで展開されたのは、書かれたことばと話されたことばのちがいを考えるうえで重要なポイントである。
・もっとも、聖書を別にすれば、およそ物語といわれるものは、人の口から口に語り継がれ、記憶として保持されてきた。だから、伝えられる過程で話が変容することはもちろん、目の前にいる聞き手の反応次第で、物語は随時つくりかえられることにもなった。あるいは語り部の口調によっても、その印象はずいぶん異なるものになる。世界中に散在する説話や民話が、それぞれ地方によって多様な変種をもつのはそのためである。
・記憶されたことばの再現はイメージとしてその場に広がる。語り手と聞き手の間に共有される現実としての物語。一方、記録されたことばの再現は、意味として伝わる。書かれたものは過去の物語か、確定した客観的な知識。本が挿し絵や装飾文字で工夫された初期の時代から、やがて画一的な文字ばかりの世界になるプロセスは、書かれたことばがイメージを排除して正確な意味のやりとりだけを重視していく傾向を如実に表している。子どもの読み物としての絵本。それはまさに、近代化の要請そのものである。

 マスメディアとことば
・智恵は話しことばとして記憶され、知識は書きことばとして記録される。ローカルで主観的な智恵とユニバーサルで客観的な知識。近代化という社会変化が智恵の捨象と知識の蓄積によって達成可能になったことはいうまでもない。文学、芸術、哲学、そして自然科学に社会科学。知識はまたそれぞれに、ジャンルごとに整理された。その際、音楽は絵画や彫刻に比べて遅れて芸術として認知されたのだが、それは楽譜という音楽独自のリテラシーと記録方法の発明を待ったからだった。
・19世紀から20世紀の変わり目にかけて、写真や映画、あるいは電話やラジオやレコードが登場する。それは、イメージや声の文化の復活を実現したが、当然のごとく一段低いものとしてみなされた。だから教養や知識を身につけようと思えば、やっぱり書かれたものに一番の信頼がおかれつづけた。
・とはいえ、新聞が数百万部の発行部数を出すほどに巨大化し、さまざまな雑誌が登場するのも、20世紀はじめに起こった現象である。客観的な情報や普遍的な知識よりは感情に訴え、絶えず目新しいもので刺激してくれるニュース。新しいメディアの登場と、それを受けとめる大衆の出現は、書きことばが客観性や普遍性にもとづく表現に限定された手段ではないことを明らかにした。
・だからこそ、このような現象は、知識に価値をおく教養主義からは強い批判をされることになる。確固とした自己の確立と、それにもとづく理性的で合理的な判断。あるいは、崇高な芸術や文学を理解する能力。それは、マスメディアが作り出す粗製濫造の文化からは学べない。というよりは、妨げになるものとしてあつかわれつづけた。
・20世紀の中頃にはテレビが登場する。文化の一層の低俗化という批判にもかかわらず、テレビは人々の目を釘づけにした。コマーシャリズムの浸透と、豊かな消費社会の出現。さまざまな音響機器の出現とあわせて、文化は若者主導になり、ことばの主流も書かれたものから話されたもの、あるいは意味からイメージに方向転換することになる。

 ことばの現在と未来
・ことばをめぐるここ2世紀ほどの社会や人間の変遷を、おおざっぱにたどってきた。ここからもう一度、現在のことばの状況にたちかえって考えてみよう。
・たとえば僕は本に囲まれた空間にいる。映像や音のメディアも十分につかってはいるが、知識を支えるのは基本的には書かれたものだと思っている。ほとんど手にしない本を手近に並べているのは、本が自分を培ってきた知の記録だからである。だから、その本がなくなったら、僕は自分自身が消失したような気持ちになってしまう。
・ところが、学生と話をしていて気づかされるのは、彼や彼女たちが、自分の空間に本を置かないことである。「じゃまくさい」「インテリア」にならない。本は読んだら捨てればいいし、図書館で借りてくればいい。あるいは、知りたいことや調べたいことがあれば、インターネットで検索する方がずっと簡単で便利だ。そんな理由だった。書くことや読むことを通して、あるいはそれを蓄積することで自分をつくりあげていく、という発想が薄れている。そんな感想をもった。
・それでは彼や彼女たちは、どうやって自己確認をしているのか。携帯電話での声のやりとり、メール、ホームページとその掲示板、あるいはチャット。圧倒的に話しことばに偏っているし、書かれたものでも、その文体は会話そのものである。個人が出すホームページには日記がつきものだが、それは読み手を意識したもので、メールにもほとんど時差がない。独白のひとり歩き、あるいは文字によるリアルタイムの会話。
・そんな傾向を見ていると、彼や彼女たちが求めているのは自己の確立でも、知識の獲得でも、異質な者とのコミュニケーションでもなくて、気心の通じる仲間探しと、その関係の絶えざる確認なのだということがわかってくる。ある社会学者がそんな特徴をさして「みんなぼっちの世界」と名づけた。ぴったりといいあてたうまい表現だと思う。
・若い世代の人たちにとって、自己と他者との間にある壁は、一方ではまるで透明なガラスのようで、端末同士でつながった関係には物理的にも社会的にも距離はない。他方で、物理的・社会的に近接する人間や環境との関係は希薄になるし、傷つくことを恐れる自我の存在は限りなくデリケートだ。
・このような傾向が一時的なものなのか、あるいは大きな変化の兆しなのか、今ははっきりしたことは言えない。けれども、ことばの変化に注目して考え、想像すれば、それは大きな変化への予兆なのではと思ってみたくなる点が多い。
・たとえば、読み書き能力の普及が近代社会の成立に果たした役割は大きかったが、それを可能にしたのは印刷技術と学校教育だった。「話す=聞くコミュニケーション」から「書く=読むコミュニケーション」への移行。それは16世紀に始まり、19世紀に本格化して、20世紀になって大衆化した。そこで近代社会が否定したのは、物理的に近接する人たちで完結した地縁・血縁の世界。重要な役割を果たしたのは他人の束縛に囚われない個人だった。
・話しことばと書きことばの混在という最近の現象は、映像や音声のメディアが登場した20世紀初頭からのものだが、顕著になるのは21 世紀への変わり目に普及したインターネットや携帯電話である。これを印刷技術の次にやってきたコミュニケーション革命の流れと関連させて考えれば、若い世代に特有のコミュニケーションの仕方や対人関係の取り方には、この先の人間や人間関係や社会の有り様を暗示させるものがあるのかもしれない。
・「みんな」(伝統社会)でも「ひとり」(近代社会)でもない「みんなぼっち」の世界。それは直接接触とも間接接触とも違う、直接が間接で間接が直接であるような体験と、それを実現するメディアによってもたらされる。近代社会の基本である国家という枠組みの揺らぎが「ボーダーレス化」ということばで問われている。しかしこのようにとらえると、それは、国という大枠だけでなく、人間関係や個人の意識にも見られる現象であることがわかってくる。ここに可能性を見るか、危険性を感じるか。それは即断の出来ない難しい問題である。

*この文章はNTTコムウェアが出す雑誌『てら』に依頼されて書いたものです。

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2000年04月05日 14:13に投稿されたエントリーのページです。

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