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オリンピック・野球・サッカー

・もうくりかえしになるから、やめようと思ったが、どうしようもなく腹が立つから書くことにした。スポーツ・メディアのことである。日本はシドニーで金メダルを5個取ったが、その内の4つは柔道で、今更ながらに力のなさを印象づけたオリンピックだった。世界に出れば、否応なしに、その実力がはっきり示される。塚原の失敗や室伏の緊張、サッカー・チームの体力的な弱さ、中途半端なプロ・アマ混成の即席チームだった野球などなど、その自覚や反省が、その後の対応を決めるのだが、日本のメディアはオリンピック期間中は日本選手の数少ない活躍場面ばかりを取り上げ、終わった後も女子マラソンと柔道ばかりを反復させている。これは、現実から目を背けて、いいところばかりを記憶に焼きつけようとする、一種の神経症的な兆候のように思える。10月の番組改編期と相まって、テレビには、しょうもないお座敷芸やのぞき趣味的な番組ばかりが並んでいる。この中から、おもしろいものをいかに探すか、あれこれザッピングしながら、つくづく日本人とは悲しいほどに内向きで現実逃避的で同調的な性格の国民なのだと痛感した。はっきり言うが、ぼくはこのような傾向は大嫌いだ。

・ダイエーがパ・リーグで二連覇したら、もうメディアはONシリーズと浮かれだす。「20世紀を締めくくる最高の日本シリーズ」。だからいつまでたってもだめなんだと思う。なぜ、いつまでも王と長嶋にしか頼れない状況を危惧しないのだろうか。とにかくややこしい話は抜きにして、盛り上がれる材料を探して陽気にやろう。そのような態度は日本のメディアにおきまりのものだが、日本人なら誰もがそう感じるはずだと信じて疑っていないのだから救いがない。メジャーというもっと強い野球の存在がはっきりしたかぎりは、日本シリーズはしょせん、ローカルなマイナーの選手権試合にすぎない。なぜそう、はっきり言えないのだろうか。

・そのメジャーでは、1年目の佐々木ががんばった。野茂のケースといい、日本で超一流の選手はメジャーでも一流になれる。そのことがはっきり証明された。フリー・エージェントをこれから取る選手は、巨人になど行かずにアメリカへ行くべきだ。マック鈴木も大家もローテーション・ピッチャーとして定着した。高校生も大学生も、日本のドラフトなどは蹴飛ばしてマイナー・リーグからはい上がることを目指した方がいい。何しろオリンピックで金メダルを取ったアメリカはマイナーの選手で構成されたチームだったのだ。頭のうえにいくつも別の世界が見えているのに、きょろきょろヨコばかり見回している時代ではないだろう。

・と、書いていたらイチローのメジャー行きが大きなニュースになった。で、やっぱり気になったのは「日本のプロ野球が寂しくなる」とか「マイナー化してしまう」といった心配だった。そんなこと今更言うことではないだろう。マイナーでしかないことは野茂の活躍時にはっきりしたはずだし、策を施すなら、その時点から始める必要があったからである。しかし、この心配は長続きはしないだろう。寂しくなっても何とか話題を探して盛り上げて、といった発想で不安はどこかにしまい込まれるはずだからである。

・たまたま見かけて読んだ村上龍の『フィジカル・インテンシティ』はおもしろかった。一昨年のワールド・カップ前後にサッカーの話題を中心に書いた週刊誌への連載をまとめたものだが、ぼくが思っていることとあまりによく似ていて、読みながら笑ってしまった。


 仲良しモードというのは危険だ。甘えというのは「ある集団における一体感を楽しむ」ということだ。簡単には勝てない戦いが続く現場では、集団における一体感を楽しむのは罪悪となる。それは客観的な批評を排除し、敵との距離や戦略を曖昧にする。(32p.)

 日本人初の快挙という言い方に代表される閉鎖性を嫌う若いスポーツ選手は増えていくだろうと思う。それは実によいことだ。実はスポーツに限らず、そういう、閉鎖性を実感として嫌う意識を持てなければ、この国に第二の復興の可能性はない。(79p.)

 中田と現地ペルージャの日本マスコミとの対立は象徴的だ。中田は日本の文脈から個人として飛び出してしまった人間であり、現地マスコミは(メディアという言い方よりマスコミのほうが彼らをより表していると思う)日本的な集団の価値観の中にとどまっている。だから必ず衝突する。(218p.)

・中田に限ったことではない。野茂も伊良部も伊達もそうだったし、たとえばスキーのオリンピック代表選手もそうだった。日本の閉鎖性はスポーツから崩れるかもしれない。そんな期待を抱かせるヒーローが出始めている。そんな人たちにとって日本の閉鎖性を一番感じさせるのがマスコミの対応であることは、この国のジャーナリズムのしょうもなさを証明する。

・もうすぐぼくの勤める大学で「日本マス・コミュニケーション学会」が開かれる。開催校の準備で、ぼくは発言どころではないが、メディア批判を本気になってやる人が出ることを願う。 (2000.10.16)

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2000年10月16日 22:50に投稿されたエントリーのページです。

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