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「音楽文化論」で伝わったもの

・今年度から『音楽文化論』の担当をして半年間の授業を終えた。初めてだったから、学生の反応を見ながらの手探りの講義だった。学生たちが今、どんな音楽をどんなふうに、どんな気持で聴いているのか。それが気になって、最初の授業で一番好きな歌の歌詞を書いてくる宿題を出した。浜崎あゆみ、ミスチル、ゆず、SMAPなどよく売れている歌手の曲が多かった。意外だったのは、愛や恋ではなく、自分探しやはげましの歌詞が目立ったこと。歌から元気をもらう、悩みや不安を解消、あるいは忘れさせてくれる、考え方や感じ方の指針にする。これは、最近の曲の歌詞にはほとんど意味がないないのでは、と思っていた僕には意外な結果だった。
・もっとも授業では、そんな最近のJ-popなどはほとんど話題にしなかった。音楽や歌が身近に溢れていて、こんな時代は今までなかったこと。商品として消費する音楽。それを可能にし、また促進させるメディアと音楽を利用した経済。自覚してほしかったのは、まず、自分が生きているこの社会の特徴で、音楽はそれを理解するための具体例として利用してほしいという点にあった。
・次にしたのは、今から離れた「昔」の話。学生たちが何のこだわりもなく使う「昔」ということばには、時間感覚がおそろしく欠落している。日頃からそれを感じていたから、20世紀の後半の時代を音楽からはじめて、「若者」と呼ばれる世代への注目とその政治的、経済的、社会的、そして文化的な理由などを説明した。この半世紀の変容はとても「昔」などということばで一括りできるほどに単調なものではない。そのことを力説したつもりだった。
・学生に感じる欠落は「空間」についても言える。今聴いている音楽はどこで、だれが、どんな理由ではじめたものか。そのことをきっかけにして、多様なポピュラー音楽にはそれぞれ、それが生まれ、共感され、広まり、変容していくプロセスがある。そして、それを理解するためにはヨーロッパの「階級」、アメリカの「人種」、アフリカや中南米、そしてアジアにおける「植民地」やその独立と、そこで生じたそれぞれの政情不安や経済格差、あるいは社会的・文化的な問題を知らなければならない。「ロック」「パンク」「レゲエ」「ラップ」、あるいは「フォルクローレ」やアフリカの音楽………。今聴いている音楽を話題にしようとすれば、必然的に、話は世界中を駆けめぐることになる。
・100人を超える学生に、急ぎ足で話したから、どこまで伝わったのか不安があった。で、最後にした試験の答案を読んで、何とも言えない徒労感に襲われた。答案の多くは、設問にあわせて授業で話題にした概念や出来事、あるいはミュージシャンや歌などを書き込んで文章化したものだが、そのほとんどが、まったく実感を伴っていない。自分が好きで聴いている音楽の背景や歴史を知ることで、何か驚きや発見があったはずだし、また何よりそれを見つけてほしかったのだが、そんなことを感じさせる答案はほとんどなかった。
・選択問題の中に「私にとって音楽とは何か」という問を入れたら、五問あったにもかかわらず八割ほどがこれを選んだ。そしてその文章のほとんどが「私にとって音楽は空気(水、食事………)のようになくてはならないもの(あたりまえのもの)」という書き出しで始まっていた。何という画一化!と呆れたが、考えさせられたのは、そんな音楽に何の思いも、こだわりも、疑問ももっていないということだった。彼や彼女たちは音楽を水や空気や食事にたとえたが、それがなくなったときに、水や空気や食事のように、音楽に飢えることがあるのだろうか。なければないで忘れてしまうのではないか。そんな疑問を感じてしまった。
・音楽はどこのものでも、どんな時代のものでも聴くことができる。しかもどこで何をしていても聴取は可能だ。しかし、そうやって聴く音楽から何を感じとっているのか。まるで空気のようにそこにあるからたまたま聴いているだけというのは、実際には何も聴いていないのとおなじことではないのか。音楽は何より感覚に訴えるものだが、満ちあふれた音楽が感覚を麻痺させている。そんな現実を目の当たりにした思いだった。
・場所感、そして時代感の喪失。たぶん、自分が今どこで何をして生きているという感覚も、他者感も希薄なのだと思う。だからこそ、自分探しの歌を聴きたくなるのか。しかし、あゆにもミスチルにもゆずにも、その答えなどはない。そのことをどうやって、授業という場で話題にするか。大きな宿題が残されてしまった。

コメント (3)

ひび かずこ:

>クラシック音楽は「音楽学」では正統ですが商品としてはマイナーで、ますます売れなくなっていて保護しなければ生き残れない文化財でもあります

これは、クラシックを扱う人々が感じ、危機感を抱いていることだと思います。
先日東京国際フォーラムで行われた「ラ・フォル・ジュルネ」というイベントでは、3日間にわたりベートーヴェンづくしのコンサートが行われたそうです。3000人収容のホールが何度も満員になったそうで、マーケットの開拓次第ではクラシックは生き残れるものだと感じます。
作家の石田依良さんは、いいものは若い人にもわかる、とおしゃって、「池袋ウエストゲートパーク」に出てくるクラシックのナンバーをつめこんだCDをワーナーから発売しています。私はワーナーの回しものではないですけど、
http://www.oricon.co.jp/music/business/050411/int_01.html
にあった記事が面白かったのでお知らせします。

>僕は高速道路でボリューム一杯にしてロックを聴くのが好きですが
私も同感です。私は車の免許を持たないので運転はしませんが、ドライブとロックは素敵に合うと思います。

私は音楽に対して雑食なので、クラシックばかりをやっているわけではないのですが、最近は日本的なもの、などに興味をもちつつあります。
チンドン屋さん(このルーツは西洋の軍楽隊なんですって)、明治期に西洋音楽が流入したばかりの頃の新鮮味あふれる音楽、それから70年代に流行ったフォークソングなど、まだまだ聞いている音楽量は少ないものの、とてもとても興味があります。
先日亡くなった高田渡さんのことを、昨年授業で取り上げる先生がいました。アメリカのフォークソングに明治期に作られた歌詞をそのままのせて歌ってしまう「当世平和節」「あきらめ節」など、面白いなあ、と思いながら聞いていました。

渡辺先生のこのサイトですが、全部読み尽くしたわけではないのですが、興味のあることがたくさん載っていそうなので、これからもちょくちょくお邪魔いたします。
よろしくお願いいたします。

juwat:

ひび かずこさん

詳しい感想ありがとうございます
現代における音楽(音)と社会や人間の関係は確かに複雑です
辟易しながら同時に求める
というよりは
辟易するから一層好ましいものを求める
洪水と遮断
僕は高速道路でボリューム一杯にしてロックを聴くのが好きですが
そこはすでに騒音が100デシベルを超える世界です
>音楽はもっと静かなところで、特別なものとして奏されるもの
確かにそうですが
また同時に、静かなところでは音楽などいらないということもあります
クラシック音楽は「音楽学」では正統ですが
商品としてはマイナーで、ますます売れなくなっていて
保護しなければ生き残れない文化財でもあります

あなたの望む音楽論には
音楽学と同時に社会学や心理学、文化人類学や経済学まで
視野に入れる必要があるのかもしれません
がんばってください
成果を期待しています

それでは

ひび かずこ:

初めまして。国立音楽大学で音楽学を学ぶ者です。「自分にとって音楽とは何か」という問いに対して一つ答えさせてください。
私は、音楽を人生に必要なものだとは考えていません。日頃耳にする生活音や、風の音、雨垂れの音、冷蔵庫やパソコンなどの電化製品が発する音、それらすべてを音として楽しむことができるからです。それに人間は言葉を話しますが、喋り言葉それ自体を音楽のようにとらえることができると考えるからです。だから特別に作られた「音楽」というものは普段の生活の中で特別必要はない、と考えます。

現代の生活の中には音楽があふれています。街を歩けばあらゆる店から広告の音楽や流行りの音楽が聞こえてきます。テレビをつけるとコマーシャルや番組のテーマ曲、効果音など、音があふれています。
そのような音の洪水の中で暮らしていて、私は時々その音楽の多さに辟易します。
音楽はもっと静かなところで、特別なものとして奏されるものなのではないでしょうか。

音楽大学では当然のように西洋音楽に基盤を置いた教育がなされています。しかし、西洋音楽がこんなに音楽の世界で力を持ったのは、植民地時代のヨーロッパ勢力による世界支配と結びついているようで、5線上の音楽に対していつも疑問を持ってしまいます。(そのような思想的な面を抜きに聴くととても素敵な音楽がたくさんあるのですが)

話は飛躍しますが、正義は勝者によって作られるものだと思います。音楽大学が基盤とするクラシック音楽、そしてそれをカスタマイズして利用するポピュラー音楽、など、音楽に関する決まりごとはヨーロッパという地域で300年程度の間に作られた理論に則っています。
しかし、音楽とは、ヨーロッパで300年前から行われているものだけを指すのではない、と考えます。クラシック音楽とそこから派生した音楽とは別の場所に置かれた音楽について知りたいです。クラシック音楽は合理的な構造を持ち、論理的な解釈がなされます。しかし、ヨーロッパのクラシック以外の音楽にも、それとは別の構造的特徴やその音楽なりの合理性をもっているはずです。
様々な音楽の持つ価値観や合理性を学んでいけたらなあ、と考えています。

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2005年01月25日 15:21に投稿されたエントリーのページです。

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