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ペット残酷物語

・去年の夏に近所に引っ越してきた家から、複数の犬の鳴き声が聞こえるようになった。それもかなりの数で、一斉に鳴き出すとすさまじい音になる。ただし、犬の姿はまったく見かけない。奇妙な感じを抱きながらも、苦情は言わずに放っておいた。寒くなって窓を開けることもなくなり、鳴き声がそれほど気にならなくなったからだ。

・ところが春になって、少し暖かくなると、また鳴き声が気になり始めた。さらに、異臭もする。風向きによっては我が家の中にもその臭いが侵入しだした。家主は引っ越してきた時に挨拶もしなかったし、滅多に見かけることもない。訪問者もほとんどないし、郵便や宅配が来ても一切出ないようだ。直接苦情を言って聞くような相手ではないと思ったから、町の役場や保健所、そして警察署に出かけて相談をした。で、見回りに来てくれたのだが、どこもどうしようもないという返事だった。ブリーダーなら届け出る必要があるが、確かめるためには承諾を得て家の中を調べなければならない。もちろん、家主はそれを拒否したらしい。

・夏に長期滞在した隣にある別荘の住人が、苦情を言いに行った。いつもレトリバーを連れてくる犬好きで、元の家主の知人として、家を売る際に一緒に立ち会っていたようだ。いろいろ話をして、ブリーダーであることもはっきりした。ラブラドールとレトリバーの成犬が7匹ほどいて、そのほかに子犬がいることもわかった。もちろん、付近に大変な迷惑をかけていることも言ってきたようだが、だからといって立ち退くことも、ブリーディングをやめることもできないという話だった。

・それ以来、鳴き声が少しだけおさまったし、秋になると窓を開けることも減ったから、音も臭いも我慢ならないほどではなくなった。だから、そのままにしているが、一年中家に閉じ込めて、まったく外に出さずに、ただ子どもを産ませられる犬の存在がずっと気になっている。太陽も浴びず、散歩や運動もしないのは、犬にとって心身ともにいいことはない。産まれてくる子どもにだっていいはずはない。もちろん、犬は「いったい何のために生まれてきたのか」などとは思わないし、苦情も言わない。だからこそ、いっそう、人間の身勝手さや残酷さを感じてしまう。

・ペットショップには、いろいろな種類の子犬が売られている。それを見て「かわいい」と言う人たちに違和感をもつことがよくあった。親離れしていない子犬が、小さな檻に閉じ込められっぱなしという状態が気になったからだ。日本人にとってペットを選ぶ第一の条件は「かわいらしさ」にあるようだ。だから子犬の時期が好まれる。しかし、親から早く離せば、親の愛を受けられないし、生きるすべを学ぶ機会も持ちえない。それを人間が自分勝手な愛で穴埋めするから、言うことを聞かない犬に育って手に負えなくなってしまったりする。

・「かわいい」と思う子犬が、どこで、どんな状態で、どんな親から生まれてくるのか。その仕組みの一端を知ってしまうと、とても犬を買う気にはならない。犬たちの鳴き声がする家の前を通り過ぎるたびに、そうつぶやいてしまう。

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2009年12月07日 22:27に投稿されたエントリーのページです。

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