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パイプの煙


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・二年ほど前からパイプでタバコを吸っている。以前に吸っていたことがあるのだが、後に必ずパイプの掃除をするのが面倒で、すぐにやめてしまった。再開したのは、紙巻きたばこをやめようか、と思ったからだった。

・と言って、健康を気にしての禁煙というわけではない。吸う場所が限られてきたし、周囲の冷たい目や忠告も気になっていた。吸いたいと思うときや、吸っておいしいと感じるとき、何となく落ち着いた気分になるときはもちろんある。けれども、多くは習慣的な行為で、時間が来れば吸いたい気がして、慌ただしくスパスパやることも多かった。

・ニコチン依存のせいだろうと考えていたのだが、海外旅行で飛行機に乗って長時間吸わない経験をしたときに、そうではないことに気がついた。吸えないと思えば我慢がきくことがわかったし、それで禁断症状をおこすということもなかったからだ。だったら、いっそやめてしまおうかとも思ったのだが、しかし、吸っておいしいと思うことはあるし、吸いたい気分になることもある。パイプに興味がいったのは、そんな理由からだった。

・パイプはたばこを詰めて吸い始めたら1時間以上はもつ。だから、紙巻きと同じつもりでは吸えないし、途中でやめて、しばらく経ってまた火をつけると、甘さよりは苦みや辛みが気になってしまう。それにせわしなくスパスパやれば、パイプは手で持てないほどに熱くなる。火が消えない程度に時間をおいて、パイプが熱くならないように静かに吸う。それができる時間は、一日のうちでせいぜい2度か3度に限られる。


・タバコはコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち帰って広まったと言われている。それはインディアンと呼ばれたアメリカ先住民たちに古くから使用されてきたもので、もともとは主に宗教儀式の場でパイプで吸われていたものだった。パイプの煙が空に立ち上って、天上の精霊たちと交信する。落ち着いて煙をくゆらせていると、そんな気分の一端に触れたような気がしないでもない。

・パイプはヨーロッパで「プライヤ」と呼ばれるツツジ科の木の根っこを使って作られている。堅くて耐火性があるからだが、それは最初、葉巻や紙巻きタバコが高価で買えなかった労働者階級に広まった。しかし、20世紀以降になると、芸術家や文学者、哲学者、そして政治家が咥える道具としてイメージ化されるようになる。だから人前で咥えたりすれば「何を格好つけて」と言われかねないが、公共の場での喫煙が禁止されたり、はばかられたりする現在では、見かけることはほとんどないと言っていいだろう。

・暇人の嗜好品と言えばそれまでだが、パイプを使い始めてから、そのアクセサリーや小道具のいくつかを自分で作ってみたくなった。灰皿、パイプレスト、タンバー、ナイフ、そして小さなスプーンなどを作ったのだが、木は薪用に干していた桜や山椒、アカガシ、白樺そして楠などである。白樺や楠は柔らかくて削りやすいが、細くすると折れやすくなってしまう。桜やアカガシは堅くて細くしても丈夫だが、その分、削るのに力がいる。そして楠と山椒は削るたびに独特の臭いがする。

・また、楠とアカガシを削った木屑は、ストーブの上の鍋で煮ると、真っ赤な色が出て、それでTシャツの草木染めをしたら淡いピンクになった。燃やしてしまえば一瞬で灰になるほどの大きさの木だが、道具になれば、壊れるまで何年も手もとで使われることになる。薪ストーブの前でパイプをくゆらせながら、ナイフで木片を削っていると、目の前で灰になっていく木と、形をなしてくる木の運命の違いを考えたりもする。

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2010年02月22日 07:38に投稿されたエントリーのページです。

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