« 介護制度について勉強中です | メイン | 父母が老人ホームに »

原発再稼働なんて、とんでもない

・原発がすべて停止してから一月が過ぎた。安全性について徹底的な検証が行われたわけではないのに、政府や関電は再稼働を強行しようとしている。表向きはこの夏の関西地域の電力不足が理由で、再稼働できなければ、計画停電もやむなしといった脅し文句が繰り返されている。しかし、他方で、節電や他電力会社からの供給、あるいは民間からの電気の買い上げ等の策を徹底すれば、決して不足することはないと主張する人もいる。

・夏の電力不足が心配されるのは猛暑になった場合の数日間で、日中の数時間に過ぎない。だから、その時間をどうしのぐかが問題なのだが、関電は電気の工面ではなく、企業の経営ばかりを優先させようとしているし、政府は原発村と財界の意向ばかりに耳を傾けている。野田首相は「日本の経済、社会全体の安定と発展のために、原発は引き続き重要で、安全が確保された原発は、再起動させる必要がある」と言っているが、日本の社会にとって原発がもっとも危険な不安定要素であることや、大飯原発の安全が確保されてなどいない点については、何の説明もしていない。

・考えていること、やろうとしていることを明言せず、うやむやのままに断行する。そんな野田政権の手法はまるでペテン師だが、野田批判の声は強まらない。自民党は対決姿勢を声高に叫ぶが、菅降ろしの時のような勢いはない。消費税にしても、原発存続にしても、自民党の体勢が野田首相と同じだから、反対の声が上げられないのである。

・国会の福島原発事故調査委員会に呼ばれた菅前総理が、原子力村について、異論分子を排除する戦前の軍部と同じような組織で、事故後も全く同じように、原発の存続という方向性を死守しようとしているといった発言をし、その解体がやるべき第一のことだと言った。その報道は小出裕章のコメントをつけて評価的な記事を書いた東京新聞から、「『人災の元凶』に反省なし(産経)」「反省なき菅前首相の脱原発論(読売社説)」までさまざまで、前総理の発言以前に、各新聞社の姿勢がはっきりわかるものだった。

・問題の根本はもちろん、この夏の電力をどうするかといった短期的な所にあるのではない。福島第一原発の危険性は少しも減っていないし、全国各地にある停止した原発には、使用済み核燃料がほぼ満杯状態で保管されている。プルトニウムに再処理して核燃料サイクルを実現させるという計画はとっくに破綻していて、使用済み核燃料の最終処分の仕方もわからないままなのである。そこを不問にして、経済や社会の安定を理由に再稼働をしようとするのは、出かけなければいけないからとブレーキのない自動車に乗るようなもので、それこそ自殺行為としか言いようがないだろう。

・福島第一原発事故について、未だに誰もどこも責任をとっていない。本当なら警察が刑事事件として立件すべきなのだが、警察には、そんな動きは全く見られない。こんな無責任社会の中で、大飯原発の再稼働については、政府の責任で判断すると言っても、そこには何の重みも説得力もない。大飯原発の再稼働に対し孤軍奮闘して反対をしている飯田哲也は野田政権を「再稼働暴走内閣」と名づけている。野田を降ろしてもう一回菅に総理をやらしてほしい。そんな声が「つぶやき」ではなく「さえずり」として大きなものにならないものかと思う。

・再稼働の方針が表明された後、6月1日に首相官邸前で抗議の集会があった。しかし、テレビはそのことを大きく報じていないし、NHKは取材にもこなかったようだ。ブレーキ役を自覚しないメディアに存在価値などないから、受信料を払う必要などないのである。

About

2012年06月04日 06:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「介護制度について勉強中です」です。

次の投稿は「父母が老人ホームに」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type