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デモの勢い

・首相官邸前のデモが6月末から急激に増えて、毎週金曜日の夜には10万人を超える人が参加するようになった。増えたのは大飯原発の再稼働に対する抗議だったが、再稼働が強行されたあとも集まる人は増え続けている。大飯原発再稼働直前の6月29日のデモでは、Ustreamがヘリを飛ばして、上空からデモの様子を2時間ほど生中継をした。集まった人たちの多くはtwitterやfacebookの呼びかけに応じたもので、テレビや新聞は無視し続けてきたから、その中継は余計に印象深かった。

・デモの様子をヘリから伝えたのはタレントの山本太郎だった。そのことを事前に察知した警察の対応なのか、同日に彼の姉がマリファナの不法所持で逮捕されて、メディアが一斉に大きく報道した。大飯原発再稼働直前のデモの日に発表したというのは、明らかに作為的で、デモの勢いを抑えるつもりだったのかもしれないが、何の力にもならなかった。Ustreamの中継にはヘリを使う費用などに多くのカンパが寄せられたようだ。その後のデモでも、いくつものカメラを使った中継が続いているし、大飯原発前の抗議の様子も、再稼働の日に行われた「再稼働反対」の声を夜通し中継し続けた。

・このデモの勢いは7、8日の「NO NUKES2012」(幕張メッセ)の音楽フェス、そして16日の代々木公園での10万人集会と続き、主催者の予想を超えた17万人もの人が集まるほどに増している。炎天下の中を集まり、いくつかの方向に分かれて行進をしたようだ。中には福島や東北、あるいは関西からバスを連ねて参加したグループもあったという。老若男女、小さな子供を連れた家族など、反原発の意思表示をする人の多様さが、この主張の切実さを物語っている。

・メディアもさすがに無視するわけにはいかないと判断したのか、大きく取り上げ始めている。ただし代々木公園に隣接するNHKは相変わらず、小さな扱いのままである。あるいは、朝日新聞は鰻の記事の下に置いていて、一面とは言え、何だこれはという感想を持った。それは、大きな写真を一面トップに載せた東京新聞とは、きわめて対照的だった。

・メディアが取り上げなければ、どんな出来事もなかったかのように扱われる。メディア論ではつい最近まで、それがメディア批判の常套句として使われてきた。ところが、インターネットという新しいメディアが、そんな常識を打ち破った。メディアはそのことに脅威を感じ始めている。

・ツイッターは本来「つぶやき」ではなく「さえずり」だし、フェイスブックの標語は「今何してる」ではなく「今何が起こっている?」だ。そんなグローバル・スタンダードとは違って、日本ではツイッターは独り言をつぶやく場として普及し、フェイスブックは友達作りに便利な場として拡大してきた。その意味では、反原発の声が、二つのソーシャル・メディアを文字通り「社会的」なものにし始めていると言えるのかもしれない。

・政府は原発の再稼働という方針を変えようとしないし、やらせまがいの原発聴取会で将来の方針を決めようとしている。首相はデモについて「大きな音」といって無視しようとしているし、反原発の声が一時の感情的な高まりに過ぎないとでも言いたげな発言をくり返している。日本の現状や未来を経済の観点から考えれば、すべての原発を即廃炉にすることなどはできないという理屈だ。

・脱原発の声は確かに感情的かもしれない。しかしその感情は人間の命や健康、そして環境の汚染を第一に考えるべきという「倫理観」に基づいて生まれたもので、ドイツのメルケル首相が脱原発宣言をしたときの第一の理由に一致している。他方で、経済を第一に考える人たちが主張するのは、おなじ「かんじょう」でも「金勘定」にすぎない。それを声高に言う人やその背後には、既得権や利権故に現状を変えたくないという思惑が見え隠れする。

・だから、このデモの勢いは、政府や国会、そして官庁が方向転換の必要性を実感するまで持続させなければならないと思う。もうすぐ夏休みだから、ぼくも現場に出かけて、その行進の中に入りこみたいと思っている。アジサイには間に合わないがヒマワリかコスモスの頃には、原発ゼロを目指す方針を認めさせたいものである。

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2012年07月23日 06:07に投稿されたエントリーのページです。

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