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「大丈夫です」って何?

・「コーヒー飲む?」って聞いた時に「大丈夫です」という返事が返ってきて、ちょっとむっとして「飲むの、飲まないの?」と聞き返した。ほんの数ヶ月前のことだが、ところがその後、違う人から同じ返事を何度も聞いた。また変なことばがはやり始めたようだ。

・コーヒーについて、「大丈夫です」という返事が意味を持つのは「コーヒー飲める?」と聞かれた時だろう。ところが現実には、飲めないとか、いらないの意味で「大丈夫です」と言う。なぜ、そうなるのか、使う人には自覚があるのだろうかと疑ってしまう。だから、「大丈夫です」と答えてきたら、「それどういう意味?」としつこく問い詰めることにしている。

・もちろん、意味がわからないわけではない。はっきり言わずに、婉曲的に答える。それが相手に対する心遣いだという風潮は、言い方を変えて、もう何年も前から続いている。最初は「語尾上げ」で、断定を避けて判断を相手に委ねる言い方だったと思う。ジェンダー論的な言語学では、英語でも典型的な女ことばとされてきて、批判の矢面に立ってきたが、日本では女も男も「語尾上げ」なんて時期があった。

・次にはやったのは「〜じゃないですか?」「〜でありません?」といった付加疑問や、「とか」「みたいな」で、その後に「かなかな虫」が鳴き始めた。「かなかな」については2年半ほど前に、このコラムでも書いたことがある。付加疑問は断定を避けて相手に判断を委ねる、一種の社交的な言い回しだが、「とか」や「かな」は、相手の反応を意識してと言うよりは、自信のなさの表明に聞こえてしまう。

・他にもあると言うわけではないのに、最後に「とか」を入れる。はっきりしたことなのに、最後に「かな」と言う。こういう言い方がはやるのは、もちろん、自信のなさに共感してというのではないのだと思う。自信過剰な人、強引な奴、そして上から目線の輩(やから)などと思われたくない。そんな人間関係における用心深さが、こんな言い方を次々生んで、あっという間に世間に広まる原因であることは容易に察しがつく。

・ただし[大丈夫です」はいただけない。そこまで意味を曖昧にしたのでは、ことばのやりとりが意味をなさなくなってしまう。「コーヒー飲む?」の返事になっていないのに、[大丈夫です」と言って、何もおかしいと思わない。その感覚に対する違和感は、語尾上げや「とか」や「かな」に感じたものとはちょっと異質な感じがしたからだ。

・「大丈夫」とは語源的には「立派な男」のことを言う。そこから「しっかりした」、そして「間違いない」という意味に転じてきた。そのことばになぜ「ノー、サンキュウ」に似た丁寧な断りの意味が出てくるのだろうか。ことばは変化するものだから、「日本語は大丈夫なの?」と言うつもりはないが、曖昧さもここまでくると、人間不信きわまれりと言いたくなってしまう。もっと素直に、正直に、ことばを使ってつきあいたいものである。

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2013年10月14日 08:48に投稿されたエントリーのページです。

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