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「粛々」という傲慢な態度

・「粛々」ということばは「鞭声粛々夜河を渡る」という詩吟で知られている。頼山陽作で信玄と謙信の川中島の戦いを詠ったもので、「馬を叩く鞭の音も立てず」という意味のようだ。山梨県に住んでいると、たまに聞くフレーズではあった。広辞苑には、(1)つつしむさま、(2)静かにひっそりしたさま、(3)ひきしまったさま、(4)おごそかなさま、とあり、「葬儀は粛々とおこなわれた」などと使われる。あるいは「粛」一つを使ったことばとしては「自粛」「粛正」「粛清」「静粛」「厳粛」などがある。どのことばも冷たいし、息苦しく恐ろしい。

・「粛々」は多くの政治家に多用されてきたようだ。そして安倍首相や菅官房長官はこのことばが特に好きらしい。そこからは「周囲の雑音に惑わされず、決められたことを不動の姿勢で貫く」といった意味が読み取れるが、このことばが飛び出す状況を考えると、たとえば普天間と辺野古基地については、民意などは無視して、決まったことを断行する、という姿勢であることがよくわかる。選挙結果でも、反対運動の盛り上がりからも、沖縄県民の民意が普天間基地の即時廃止と辺野古基地建設反対であることは、すでに明らかである。

・だからこそ翁長知事はそのことを伝えるために何度も上京したのに、政府は無視して会わずに、そのたびに工事を「粛々」として進めるという発言を繰り返してきた。知事が、やっと会えた席で「粛々という言葉には問答無用という姿勢が感じられる。上から目線の粛々という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて怒りは増幅される。絶対に建設することができないという確信を持っている」と強い批判を浴びせたのは当然の姿勢なのである。

・菅官房長官はそれに応えて「粛々」を使わないと言ったのだが、福井地裁で出た「高浜原発再稼働を禁じた仮処分」に対して、封印したはずの「粛々」をまた使って「世界で最も厳しいと言われる規制の結果、大丈夫だと判断された。(再稼働は)粛々と進めていきたい」と発言した。ほかにことばを知らないのだろうかと疑うが、しかし、この発言は法の裁きも無視して再稼働の準備を進めると言っているわけで、三権分立を無視した暴言だと言わざるを得ない。

・民意も法の裁きも無視してやりたいことをやる。「粛々」にはこんな姿勢が露骨に表現されている。これはもう「暴君」の発言と行動だと言わざるを得ない。実際、この政権がやろうとしてることは「集団的自衛権」にしても「秘密保護法」にしても「原発再稼働」にしても、世論は反対意見の方が多いし、売り物のはずの「アベノミクス」だって、収入増を実感できない人が大半なのである。そしてメディアがそれを批判すると、「公正中立」に報道しろと恫喝し、「放送法」を盾に、免許の取り消しをちらつかせる。

・訪米を控えた安倍首相が翁長知事とやっと会った。首相にすれば、会ったという事実だけが目的だったのかもしれないが、知事は、沖縄県民の意思が辺野古反対であることをオバマ大統領に伝えるよう釘を刺した。さて、安倍は何と説明するのだろうか。地元は反対だが政府は工事を「粛々」と進めると言うのだろうか。この場合は上から目線ではなく、「アメポチ」の上目遣いである。

・他方で、高浜原発の再稼働は関西電力が上告したから、その判決が出るまでは「粛々」と準備をすることはできなくなった。原子力規制委員会の基準自体が不十分であるという判決なのだから、高裁だって、逆の判決を出すのは難しいだろう。そもそも、普通に考えれば再稼働などできる状態ではないことは明らかなのである。行政の横暴を司法が断罪する。三権分立がまだ機能していることが証明された出来事で、これこそ、権力に屈せず「粛々」と裁判をおこない判決を下したと言うべきものだろう。

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2015年04月20日 06:09に投稿されたエントリーのページです。

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