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一人になった母のこと

・父が死んで1ヶ月半が経ちました。今月の末には納骨式と49日をして、それで一応、やるべきことが済みます。やれやれという感じですが、一人になった母のことが気になります。老人ホームには出来るだけ行こうと思いましたが、台風による崖崩れでで中央道が通行止めになって、予定が立たないこともありました。前回は3連休の初日に出かけましたが、午後の2時すぎだというのに、中央道の渋滞は解消されず、ずい分時間がかかりました。行っても2時間ほどの滞在ですが、それでも朝出て、帰るのは夕方になります。出来るだけ行こうと思っても、1日仕事になりますから、なかなか大変です。

・母は父が死んだことは理解できるようになりました。一日中部屋で一人でいてすることがないから、どうして過ごしたらいいかわからない。外から見られているように感じるから、カーテンを開けるのが怖い。足が弱ってトイレまで歩くのも心許ない。あなたたちが帰ると、余計にさみしくなってつらい。行けばすぐにこんな話をくり返します。だったら訪ねてこない方がいいのかな、と言うと、首を振って、来てくれるのは嬉しいと言います。しかしすぐに、帰ると後がさみしいんだよね、とくり返します。

・母の認知症は脳溢血がきっかけでした。それによって直近の記憶がなくなってしまったのですが、心配性の性癖が消えて、老人ホームではのんびり、楽しく暮らしてきたのです。老人ホームでは絵画や習字、あるいは粘土といった教室がありますし、コンサートやイベントなどもあります。父と二人でそれらにも積極的に参加をして来ました。父以外には話をしたりする人がいないことが気になっていましたが、一人で入居している人たちには、二人でいる人には近づきにくかったのかもしれません。

・父は今年の初め頃から、ほとんど寝たきりで、出かけていってもいるのかどうかわからないような感じで、母とだけ話して帰ることが多かったです。しかし、そんな状態でも、いるだけで安心できていたようでした。父のベッドはまだ置いたままですが、そこに誰もいないことで、母の心配性が復活し、増幅してしまっているのです。教室やイベントにも出かける気がないようですし、耳が遠いし目が疲れるからとテレビをつけることもありません。母はよくラジオをつけていましたが、それも聞く気はないようです。

・しかし、介護をしている職員さんからは、部屋を出て応接室で入居している人と話をしていることもあると聞きました。父が死んだことで慰めてくれる人もあるようです。それを聞いてちょっと安心しましたが、ここで一人で生きていくんだという気持ちを、どうしたら自覚してもらえるか、なかなか大変だなと感じています。時々家まで連れて帰って、数日一緒に過ごそうかとも思います。しかしそれをやれば、老人ホームには戻りたくないというに決まっています。

・ホームに行くときにはパートナーが古い写真をもっていくことにしています。昔の記憶はすぐに思いだして、しかも鮮明に再現することもできますから、なるべくそれを話題にして、一緒にいる時間を楽しく過ごそうとしています。行けば必ず日記帳を取り出して、僕等が来たことを書かせるようにもしています。おそらく時間が解決してくれるのだろうと思います。不安が消えて落ち着けるよう願うばかりです。

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2019年11月11日 07:28に投稿されたエントリーのページです。

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