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『恋人までの距離 Before Sunrise』、『Picture Bride』

・続けておもしろい恋愛映画を見た。まず『ピクチャー・ブライド』。明治のはじめに横浜で両親と暮らしていた娘は、両親が肺病で死んだことで、もう日本には住めないと聞かされる。叔母は代わりにハワイ行きを勧める。お互いが交換するのは一通の手紙と一枚の写真だけである。で、彼女が花婿に会うと、案の定、写真は20年も前に撮ったものだった。「私のお父さんと変わらない歳の人」。彼女は日本に戻りたいと思う。
・この映画は日系三世のカヨ・マタノ・ハッタが監督をしているが、ベースは彼女の家族の歴史、つまりおじいちゃんとおばあちゃんの話である。愛を前提としない結婚、サトウキビ畑での重労働、一旗揚げようという野心、そして日本人コミュニティ。少しづつ夫に心を開いていく主人公の心の変化を工藤夕貴がうまく演じていた。
・もうひとつは『恋人までの距離』。ブタペストからパリに向かう列車の中でアメリカ人の青年とフランス人の女子大生が出会う。彼はウィーンから飛行機で帰国するのだが、意気投合した彼女は、途中下車して一晩つきあうことにする。列車の中から始まって、ウィーンの街、そのカフェやディスコ、公園を夜通し歩き回る。背景は変わるが、この映画の中心にあるのは最初から最後まで、二人の会話である。
・二人は当然、最初からお互い気に入っている。一目惚れである。けれども、そんなことは一言も言わない。「飛行機が出るまでの間。一緒に話をしよう」「えー。いいわ」という感じでできた距離感がなかなか変わらない。家族のこと、お互いの恋愛経験、彼の仕事と彼女の勉強の話..........。手相占いや街角の吟遊詩人の登場。レストランで電話ゲームをやるシーンがある。二人がそれぞれ帰ったときに最初にする電話を今してみようというのである。親指を耳、小指を口にあてて、それぞれの友だちに電話をする。で、架空の電話の話し相手に、会った瞬間に好きになったと打ち明ける。
・一方に好き嫌いなど抜きにしてまず結婚するところから互いの関係をはじめようとする生き方がある(あった)。そして他方には好きにはなったが互いの状況を考えるとなかなか距離を縮めにくい関係がある。恋愛結婚とは、まさに、自分の意志で相手を決めることの制度化だが、相手が本当に自分の選ぶべきたった一人の相手なのかどうかは、結局のところわからない。
・この2本の映画に描かれた男女の出会いは両極端な設定だが、それぞれに見ていて無理のない自然な世界になっていると思った。「自然さ」といえばもうひとつ。二つの映画は共にアメリカ映画だが、片方はウィーンで登場人物はアメリカ人とフランス人、もう一方はハワイで登場人物は日系の移民と白人、それにハワイのネイティブ。使う言語がさまざまで混乱するのは当然である。そこのところがきわめて自然に描写されていたことに、最近のアメリカ映画の変化を感じた気がした。何しろ一昔前までのアメリカ映画は場所がどこであろうと誰が登場しようと、すべてが英語で完結してしまっていたのだから。 (1997.06.07)

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2006年11月24日 10:34に投稿されたエントリーのページです。

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