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Love and Betrayal: The Mia Farrow Story

・ウッディ・アレンのスキャンダルは僕にはちょっとショックだった。ミア・ファーローの連れ子にセクハラをしたという意味あいで伝えられたからだ。しかし、そんな生々しいスキャンダルが実名で映画になってしまうのには、もっと驚いてしまった。すごいとかひどいと思ったが、たまらなく興味もそそられた。これだからゴシップは廃れることがないのだな。改めて納得した気になった。で、映画はというと、すごく真面目につくってあった。ウッディ役がうまくて、僕は途中から、まるで本人がやっているような錯覚を起こしてしまった。
・ウッディが好きになったのはミアの長女だが、彼女は実子ではなく中国人のハイティーンである。ミアは彼女のほかに人種の異なる養子を何人ももらっている。当然ウッディとミアの生活にはそんな子どもたちの存在が大きな位置を占めるようになる。そして二人は入籍をしないままに何年もすごす。長女とウッディの関係はミアにとってはとんでもないことである。しかしウッディにはあまり罪の意識はない。彼女は娘に「育てた恩を裏切って」と言う。しかし、娘はその義母がハイティーンの時に妻帯者であるフランク・シナトラと不倫をしたことを知っている。だから、「同じことじゃない」と反論する。何より、ミアとウッディは法律的には他人同士なのである。
・ミアとウッディの間には一人女の子ができている。名前は「ディラン」。女の子につけることができる名前だとは知らなかった。ミアはウッディがその娘にイタズラをすることを理由に裁判にうったえた。そこのところは裁判所でも結論は出なかったようだ。ことの次第がわかってくると、ニュースで伝えられた印象とはちょっと違う関係が見えてくる。結婚と離婚をくり返し、必要なら、様々な形で養子をもらう。そんな生き方はアメリカでは決して一部の人だけの特殊な現象ではない。そんな複雑な関係を「家族」というスタイルで維持しようとすれば、関係はますますこんがらがってしまいかねない。僕はこの映画にそんなアメリカ人の生活の一面を見た気がした。スキャンダルを題材にして注目を集めようとした映画であることは間違いないが、僕はそこに、同時に、作り手の誠実さを見た気がした。(97.2.24)

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2006年11月24日 10:29に投稿されたエントリーのページです。

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