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『ボヘミアン・ラプソディー』

queen1.jpg・『華氏119』を見た時に『ボヘミアン・ラプソディー』の予告編をやった。なぜ、今「クイーン」かと思ったが、見たい気にもなった。で、勤労感謝の日に出かけると満席でびっくりしてしまった。何しろこれまで見た映画はどれも、数人の客しかいなかったからだ。祭日とは言え、わけが分からないと思ってネットで調べると、大ヒット中だという。30年も前に活躍したロック・バンドだが、若い人たちにも人気のようだ。なぜ、と思ったら、上映中に一緒に歌ったり足踏みや手拍子を叩く、新しい見方が魅力なのだと朝日新聞の天声人語に書いてあった。天声人語で話題にするぐらいだから、社会現象化しているのかもしれないと思った。

・出直して平日の昼に見たのだが、それでも客席の半分ほどが埋まっていて、ヒットしていることはよくわかった。ただし、客席は最初から最後まで静かなままだったから、一緒に歌ったり足踏みや手拍子をすることはできなかった。年配の人が多かったかもしれないし、やってもいいという許しがなかったせいかもしれない。ひさしぶりにクイーンの歌を聴き直し、YouTubeでもチェックしていたのだが、自分から率先してやる勇気はなかった。

・呼び物は、アフリカの飢餓救済に多くのミュージシャンが立ち上がった「ライブエイド」でのパフォーマンスの再現で、歌や楽器の弾き方はもちろん、コスチュームや舞台上での動きまでもそっくりそのままに演じていることだった。サッカーで有名なロンドンのウェンブリー・スタジアムを観客で一杯にしたのも同じだった。そこで「ボヘミアン・ラプソディー」や「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」、「レイディオ・ガガ」、あるいは「ウィー・ウィル・ロック・ユー」などをたっぷりやったから、観客が参加したのはこの場面だったのかもしれない。

・しかし、物語そのものはフレディ・マーキュリーを中心に、バンドの誕生から、彼がエイズで亡くなるまでを割とシリアスに追ったものだった。フレディはインド系イギリス人で、アフリカで生まれ、少年時代をインドの寄宿制の学校で過ごした後にイギリスに移住している。両親はゾロアスター教の信者だった。厳格な家庭で育ち、学校も技術専門学校やアート・スクールに通ったが、「クイーン」でデビューしてからは、奇抜なスタイルや奇行が目立ち、女性と結婚したが、自分がゲイであることに気づいて、悩み、苦悩することもあった。

・「クイーン」は結束の固い「ファミリー」のようなバンドだったが、それぞれに幸せな家庭を持つメンバーとの間には齟齬が生まれ、孤独を感じることもあった。そんな折にソロとして契約する話が持ちかけられ、バンドを抜ける宣言もして、メンバーとは絶縁状態になった。そして、自分がエイズに感染したことに気づくことになる。まさに波瀾万丈の人生で、移民と人種、エイズやLGBTなど、現在の大問題の多くを抱えながら突っ走った生き方への共鳴も、ヒットの要因なのかなと思った。

・ところでぼくは「クイーン」を好きだったわけではない。同時代にはイギリスでも「U2」やスティング、マーク・ノップラーなどのほうに魅力を感じていた。コスチュームやパフォーマンス、あるいはビデオ・クリップを重視したところに反発を持ったりもした。それを批判したマーク・ノップラーの「マネー・フォー・ナッシング」に共感したりもしていたからだ。ただし、10年ほど前にロンドンで、たまたまミュージカルの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を見て、いい歌があるなと思って、ベスト盤のCDを買ったりもした。ずい分遅くなってから好きになったバンドで、こんな例がたくさんあることを、あらためて実感した。

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2018年12月03日 07:03に投稿されたエントリーのページです。

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