« 社会や政治を変えることは可能なのか | メイン | クリス・アンダーソン『MAKERS』 他 »

「食」の現実

岩村暢子『家族の勝手でしょ!』新潮文庫、『変わる家族、変わる食卓』中公文庫

iwamura1.jpg・「食」についての文献を探していて、ちょっとびっくりするような本を見つけた。現在の多くの家族が囲む食卓がいかに貧しく、でたらめなものか。呆れながら読んだが、だんだん憂鬱になった。飽食やグルメの時代なのに、というよりはだからこその貧しさやでたらめだから、問題は複雑で、改めることは難しいというのがこの本の指摘である。

・食べるものはその種類も、調理の仕方も豊富にある。素材から作ることはもちろん、冷凍や即席のもの、そしてすぐ食べられるできあいのものがスーパーやコンビニで売られている。だからこそ、「食」にかける時間やエネルギー、そして費用が節約されやすくなる。著者が家庭をフィールドワークして集めた「食の軽視」の意見で一番多いのは、「忙しい」「面倒」「大変」、そして「節約」だ。

iwamura2.jpg・「忙しいからできあいのもので」「面倒だから冷凍で」「旅行や遊びに使いたいから食費を節約して」といった発想は、食の軽視そのものだが、問題は手作りを指向する人たちにも及んでいる。誕生日やお客をもてなすときには自家製のケーキを作ったり、パンを焼いたりする人が、日常の食事には無頓着で、そこには楽しくできるものには積極的だが、毎日くり返しする家事としての料理を「面倒」と感じる傾向があるようだ。「気が向けば」「作りたい気分になれば」「何かきっかけがあれば」その気になって作ることもある。著者はこんな発想を「手作り」指向ではなく、「手作りしている私」指向だという。

・食べることは生きるために欠かせないいちばん大事なことである。活動するためのエネルギー源であることはもちろん、絶えず入れかわる身体組織のためにタンパク質やカルシウムやさまざまなビタミンといった栄養素を補給しなければならないからだ。肉、魚、野菜をバランスよく補給することは、身体の維持はもちろん、成長期の子どもにとっては最も大切なことのはずだが、そこに注意を払わなくてもいいという発想が常識化しているようなのだ。

・著者によれば、このような発想は1960年生まれを境にして、それより若い人たちに多いという。だいたい50歳が境目だから、そんな発想で作られた食事で育った人たちが、もう20代の後半になっているということになる。そう言えば、僕にも思い当たることがいくつかある。昼ご飯を抜いたり、ビスケットや菓子パンで済ます学生たちが目につくようになったこと、食べることよりはファッションやケータイにお金を使いたいという発言を耳にしたことなどである。

・そのたびに、食べることを軽視してはいけない。必ずそのツケが中年過ぎにやってくる。そんな説教をすることが面倒になるほど、若い人たちの食の軽視が当たり前になってしまっている。彼や彼女たちが結婚して家庭を持ち、子どもを育てるようになったら、おそらくその食卓は、もっと貧しく、でたらめになることと思う。日本は政治や経済や放射能だけでなく、自らの身体の中から衰退や崩壊が起こっている。そんな危機感を駆り立てられる内容の本である。

About

2012年12月10日 06:46に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「社会や政治を変えることは可能なのか 」です。

次の投稿は「クリス・アンダーソン『MAKERS』 他 」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type