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Patti Smith(大阪厚生年金ホール、97/1/14)

・パティ・スミスの最初のアルバム『ホーシズ』はアメリカ人の友人から結婚祝いにもらったものだった。だから、もう20年も前になる。白いシャツを着たまるで少年のようなパティに奇妙な、そして新鮮な印象を持った。その後も彼女が出すアルバムはすぐに買って聞いてきた。けれども、1988年の『ドリーム・オブ・ライフ』を最後に彼女の新しい歌は聴けなくなった。子供が産まれて子育てに専念する。そんな噂に、思わず「へぇー」と驚いてしまった。何しろ彼女はアメリカン・パンクの女王だったのだから。

・それが、去年復活して『パティ・スミス・ゴーン・アゲイン』を出した。R.E.M.のニュー・アルバムでも一曲歌っていて、ぼくは、何かうれしくなってしまった。だから、コンサートの知らせを聞いてすぐにチケットを手に入れた。楽しみで、久しぶりに首が長くなる思いがした。
・客の入りはやっぱり1階席がかろうじて埋まる程度。しかし、低くボリュームのある彼女の声は良かった。何よりバックの音が抑えられているのがいい。何しろ、ライブに来ると大音響に心臓の鼓動が乱されそうになることがたびたびなのだから。客たちは最初からたちはじめたが、彼女がノセることよりはメッセージを伝えようとしたためか、たったり座ったりの中途半端でとまどっているふうにも見えた。もちろんぼくには好都合だ。もうロックは静かに聴きたい年頃なのだ。

・「ブラック・オイル」がどうのこうのという話をして、聴いたことのない歌を歌いだした。「フィッシャーマン」「肌を真っ黒に汚した女たち」「海が怒っている」といったことばがところどころ聞き取れる。日本海のタンカー座礁のことを歌っているのだ。「若い人たちはなぜ、何もしないの?」。たぶん即興の歌だったのだろう。ほとんどメロディはなく、強いビートにあわせて、まくしたてるように歌った。魔女のような、巫女のような雰囲気を持った彼女が歌うと、妙に説得力がある。だけどやっと体を揺らせるリズムになって喜んでいる若い子たちには、ちゃんと伝わっているのだろうか。コンサートにいてもこんなことを考えてしまうのは、やっぱり教師の習性なのだろうか。

・途中で間違えてはにかんだ顔。「エクスキューズ・ミー」。最近夫を亡くしたりして、彼女は決して幸福そうではないようだ。けれど、ピリピリとした若い頃とはちがって、ずいぶんゆとりのあるパフォーマンスが印象的だった。年をとってロックをやり続けるのはいいもんだな。そんなことを感じながら、ぼくは最後までシートに座って聴き続けた。来月はボブ・ディランとマリアンヌ・フェイスフルのコンサートに行く予定だ。もちろん昔を思い出すために会いたいわけではない。彼や彼女たちの今を知りたいのだ。 (1997.01.15)

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1997年01月15日 09:09に投稿されたエントリーのページです。

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