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Bob Dylan(大阪フェスティバル・ホール、97/2/17)

・ディランのコンサートにつきあうのは3年ぶり、そして5回目になる。実は、行こうかどうしようか迷った。9000円はちょっと高いし、前回はやる気がないのが見え見えでがっかりしただけだったからだ。しかし、コンサート・ホールでは初めてだし、日本に来たら行くのが礼儀ってもんかもしれない。そんな感じだった。もちろん、あまり期待はしていなかった。

・フェスティバル・ホールに行くと入口の前でディランの歌を歌っている若者がいた。集まってくる人たちの世代は幅が広い。白くなった長髪を束ねた人、勤め帰りの中年のサラリーマン、ちょっとこだわりを持っていそうな青年、そして若い女の子たちもちらほら。幅の広さはそんなところでも特徴的だった。何しろ彼は35年も歌い続けていて、なお精力的に活動をしているのだ。で、コンサートはというと、すごくよかった。場所のせいもあるけれど、リラックスして楽しそうにやっているのがよく伝わってきた。

・彼のライブは注意してことばを拾わないと何の曲をやっているのかわからないのが特徴だ。それは今回も同じで、ディランの曲は全部知っていると自信を持っているぼくにも、わからない歌がいくつかあった。それがディランのやり方だといってしまえばそれまでだろう。ファンや社会が作り上げるイメージを次々に壊すことで自分を保ってきたのがディランが残した轍(わだち)なのだから。で、ステージにはやっぱり「伝説のミュージシャン」というチケット販売のコピーなどとは無関係なディランの姿があった。

・ヒットした曲は何であれ、けっして歌詞やメロディだけで記憶されるのではない。だから、ファンは記憶にあるままに寸分違わず再現してくれることを期待する。そしてミュージシャンも、できあがったイメージを壊さずに伝えることに専念する。E.クラプトンが『アンプラグド』で「レイラ」をまったく違う編曲で歌っている。彼はそれが非常に勇気のいる行動であることを、インタビューで話した。そして、イメージの定着した歌をディランのようにまったく違うものに作り変えてみたいと思っていたとも。ぼくはその時、たった1曲でも、大変な勇気がいることなのだとということをあらためて感じた。

・去年セックス・ピストルズが再結成されて日本にもやってきた。髪の毛が薄くなったり、すっかり中年ぶとりした体型とは裏腹に、彼らは昔のままの不良少年を再現して見せた。ぼくはそれをWow wowでちらっと見て、何かとても憂鬱な気分になった。彼らは金儲けのためという以外にステージにたつ意味をもっていない。それでは醜態をさらすだけじゃないかと感じたからだ。

・で、ディランはというと「太ったおなかにときどきギターがのっかった」などという批評を書いた人もいたようだが、ぼくはそんなことは気にならなかった。というよりは、招待券で見るのとは違って、遠くてわからなかったのだ。中年ぶとりはぼくにだって切実だ。だけど、無理して昔のイメージを保たせる努力なんてすることはないだろう。むしろ、現在の自分を自覚したメッセージや表現の仕方をしてほしい。ぼくはそう思う。ロックは何より人生に対する態度を歌う音楽なのだから。

・ディランはハーモニカを一度も吹かなかった。その代わりに弾いたリード・ギターは、間奏もエンディングもちょっと間延びがして必ずしもいいとは言えなかったが、後半の「アイ・シャル・ビー・リリースト」や「マギーズ・ファーム」あたりになると、静かだった客席ものってきて、アンコールに応えて「ライク・ア・ローリング・ストーン」「マイ・バック・ページズ」「雨の日の女」と3曲も歌った。「マイ・バック・ページズ」は好きな曲の一つだが、たぶん、ぼくはこれを生で初めて聴いたと思う。「昔のぼくは思想に囚われ、硬直していて、今のぼくはその時よりもずっと若い」。このリフレインをディランは新鮮なフレーズとして、楽しそうに歌った。ぼくは、それだけで、もう十分満足だった。(1997.02.20)

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1997年02月20日 16:02に投稿されたエントリーのページです。

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