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崔健『紅旗下的蛋』

tsui1.jpeg・昨年の秋頃から崔健のCDを探しているのだが、全然見つからない。で、アメリカ村の中古のCD屋さんまで出かけた。ここはワールド・ミュージックが国ごとに並んでいて、特色のある品揃えをしている。そこで、やっと一枚見つけた。『紅旗下的蛋』で英語の題名は"Balls under the Red Flag"。すでに4年ほど前に出た彼の三枚目のアルバムで映画『北京バスターズ』の中で歌っていた曲も入っている。
・歌詞は当然中国語だが、たとえば、アルバム・タイトルの「紅旗下的蛋」は次のような内容である。


突然の開放だ/実は突然でもないが
さあチャンスの到来だ/だが何をしたらいい
赤旗はまだひるがえり/くるくる向きを変えている
革命はまだ続いていて/老人たちは力を増している

現実は石みたいに硬い/精神はタマゴみたいにもろい
石は硬いけれども/タマゴには命があるのだ
お袋はまだ生きている/親父は旗ふりをやっている
俺たちは何なのだと聞くなら/赤旗の下のタマゴだと
橋爪他訳


tsui2.jpeg・崔健は中国の開放政策が生んだ反逆児だ。共産党による一党独裁体制を崩さずにいかにして資本主義化するか。中国の開放政策はきわめて矛盾に満ちたものだが、彼を生みだし、大きくしたのはまさにその矛盾に他ならない。橋爪大三郎がまとめた『崔健』は、インタビューを中心にした内容だが、崔健はそこで次のようなことを言っている。

人びとははっきりした生活の目的がない。はっきりした価値観もない。しかも、みんなこうした話題を恐れている。こうしたテーマから逃避しているんだ。
芸術を自由にしてやれば、若い人びとが何を考えているかをわかることもできる。若い人びとはいままで、自分を見る窓がなかったんだから。そのせいで彼らは、ますます盲目になり、ますます愚かになり、ますます未来がなんだわからなくなる。

・崔健はロックを自分の存在証明のためにやる。だから、どんなに不自由でも、外国から誘いがあっても中国にとどまり続けるという。「アイデンティティの音楽としてのロック」。ぼくはこれこそ、その源流からはじまって、どんなにサウンドや人や場所が変わっても伏流水のようにして流れ続けるロックの精神だと思う。
・つい最近、彼の新しいアルバムが出たようだ。香港やシンガポール経由で日本にやってくるのだが、熱心なファンが日本語訳をつけてアルバムに同梱したのだそうだ。もちろん注文したのだが、残念ながら、入荷したという連絡はまだ来ていない。

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1999年02月25日 23:41に投稿されたエントリーのページです。

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