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嘉手苅林昌「ジルー」

jiru.jpeg・嘉手苅林昌は沖縄を代表する三絃の弾き語りだった。1920年生まれだが、三絃を手にしたのは7歳だったという。教えてくれたのは歌好きの母親だった。農業の手伝いのために10歳で学校へ行かなくなり、14歳の時に家の金を手に大阪に出た。徴兵、そして招集。クサイ島で負傷し、捕虜となって敗戦。戦後は大阪で闇物資の取引や沖縄一座の地謡をした後沖縄に帰る。1950年に初レコーディング。その後は主に、村の行事や祝いの座で歌い、沖縄中を回る。最初のLPを出したのは1965年。琉球放送のレギュラーや民謡クラブで歌い続ける。1999年、逝去。
・ジルーは嘉手苅林昌の童名で、本土で言えばジロー。年表によれば、死の直前まで歌い続けている。その童名をタイトルにした「ジルー」にはその足跡をたどるように1950年の初レコードから1975年までに録音された歌が20曲収められている。もちろん最初のものはSP盤で後はLP、すべて廃盤になっていたものをCDとして復刻している。
・聴きながらまず思ったのは、これが沖縄の民謡を集めたアルバムであるのに、喜納昌吉や林賢バンドとほとんど同じ感じで聴けたことだ。もちろん、ロックではないから8ビートはないし、英語も混じったりはしない。しかし、この二つの音楽には、確かに切れ目なく歌い継がれてきたものがある。そんな印象を持った。
・理由の一つは、沖縄の歌が歴史や時事的な物語の語り部として生き続けていること。それは、沖縄の自然や神話、あるいは昔話に触れ、戦争について歌う。古い言い伝えが生き生きとよみがえり、悲しい歴史が反芻される。あるいは何より多い恋歌は、どれもが春歌のようで開放的だ。沖縄の若いミュージシャンは、新しいリズムや楽器を取り入れ、時代に合わせたメッセージや物語を歌にするが、歌う姿勢に何ら違いはない。そんな印象が強い。


九年母木ぬ下をて 布巻きちゅる女(ミカンの木の下で布巻きしている女)
あっちぇーひゃー あんし美らさぬひゃー(あっぱれ、あんな美しい人ははじめてじゃ)
………
ちゃーならわん でぃ先じしかきてんだ(どうなろうとまずは行動あるのみ)
一番始みは我んから しかきら(はじめはおいらがナンパしてやる)
初みてどやしがよ 年幾ちなゆが(はじめてだけど彼女年幾つ)
十七、八やらや 我んね三十(十七八頃かな俺は三十)

やれー何やが やなうふじゃー小よ(だったら何なのさ いやなおっさん)
其処うてぃーふぇー じゃーふぇーしいね(此処でなんやかやしてたら)
仕事んならん(仕事できないじゃない)  「九年母木節」


・岡林信康がずいぶん前から、日本の歌は「エンヤトット」でなければだめといった発言をして、新しい歌を作りつづけている。彼なりにがんばっているとは思うが、ぼくは、そこにどうしても不自然さや違和感を持ってしまう。それは、僕らの生活感や日本の歴史や自然に対する意識が「エンヤトット」からはすでにとっくに切り離されてしまっていると思うからだ。その断絶が、日本の民謡を古くさい骨董品のように感じさせている。
・けれども、同時に思うのは、だからこそ、次々にとっかえひっかえ出てくる新しい音楽は、どれもこれもがアイデンティティ不明だということだ。そんなもの必要ないと心底感じているのなら、それはそれでいいが、今の日本人の多くは「アイデンティティ不確か症候群」を心の奥底に抱えてもいる。誰もが感じているのに、それを模索する道は容易には見つからないし、そんな気持ちを表に出す出口もない。
・「ジルー」の歌に感じる現在性は沖縄では当たり前のものだが、本土ではもちえないもの。そんなことをいっそう強く感じさせるアルバムである。

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2000年09月18日 22:47に投稿されたエントリーのページです。

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