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野茂の試合が見たい!!

・プロ野球が開幕して1ケ月が経った。今年はキャンプ前から話題は松坂と野村。巨人と長島さんはいつもながらだが、限られた話題に集中するメディアの悪癖にはうんざりしてしまう。そんなものは無視してメジャー・リーグと行きたかったが、今年はそれも、イチローのマリナーズ・キャンプ参加一色だった。野茂は、吉井は、伊良部は今年はどうなんだろう、と気になったが、そんなことをこまめに教えてくれるスポーツ・ニュースはほとんどなかった。

・2月の朝日新聞の小さなコラムに、日本からの取材がイチローに集中していて、野茂は例年になくのんびりとキャンプができているという話題を読んだ。それはいい、と思ったが、練習試合での投球は不安定のようだった。何より四球が多い。先発をはずされるのではと心配していたら、3月末にいきなり「メッツ解雇」というニュースが飛びこんできた。で「カブスとのマイナー契約」。去年は、中4日のローテーションで投げる野茂と吉井、それに伊良部の衛星中継を見るのに忙しかったのに、今年はかろうじて吉井が先発に残っただけ。その吉井も調子が悪くてローテーションをはずされそうだ。深夜の時には録画をし、大学に行く日はMLBのHPとReal Playerでのラジオ中継のチェックをしていた去年とはまったく違って、今年は何とも寂しいシーズンになってしまった。

・野茂は結局カブスともメジャー契約できず、最新のニュースではブリュワーズと再度マイナー契約を結んだようだ。いったいいつになったらマウンドに立つことができるのか、ぼくは今自分のことのように心配している。何と言ったって、彼は周囲の抵抗や批判を押し切ってメジャーに飛び込んで、新しい世界を見せてくれたのだから。豚饅頭のように太った顔でちゃらんぽらんにやっている(ように見える)伊良部や、野茂の切り開いた道を追いかけた他の選手とはその存在の意味は全然違うのである。それに、活躍していたときにはウンカや蠅のようにつきまとったくせに、今では知らん顔か無責任な中傷記事を書くスポーツ・ジャーナリズムには、あらためてうんざりしてしまう。というよりは、日本にスポーツ・ジャーナリズムなどというものは存在しないのだとあらためて実感させられた。

・ぼくは、今回の経緯は決して野茂の力が落ちたことが主な原因ではないと思う。コントロールが悪いのは昔からで、ボールになる決め球のフォークをバッターが空振りしなくなったのが一番の原因だろう。もちろん、ストレートの威力は年齢からいっても衰えはじめていることはまちがいない。だから野茂の将来は、カウントをとれ、緩急がつけられるボールを武器にすることができるかどうかにかかっていて、ぼくはそれは十分に可能だと感じている。

・確か野茂は今シーズンの契約を3億円近い額で済ましていたはずだが、ブリュワーズではその1割に減らされたようである。ぼくは、その契約のシビアさに、あらためて日本とアメリカの違いを思い知らされた。かつての同僚のピアザは今年からメッツと7年で100億円の契約をした。自分の力や魅力を商品価値としていかに高く評価させるか、それを代理人を介して有利に交渉し、成立させていくか。それは逆に、雇う側からすれば、マイナス材料を理由にどれだけ買いたたけるかということになる。

・野茂は3年間ドジャーズで目を見張るような活躍をした。爪を割ったり体調を崩しても、とにかくローテーションをはずれずに投げた。特に3年目の後半は明らかに変調を感じさせていたのに彼は優勝のためにと投げ続けた。そのひたむきさはアメリカ人にも賞賛されたが、オフに肘の手術をしたことから考えれば、あまりにきまじめにすぎたのではと思う。レギュラー・クラスの選手が半月から1ケ月程度故障者リストに入って休むことは珍しくはない。悪ければ無理をしない。それはたぶん選手に与えられた権利なのだ。そしてチームに迷惑をかけたなどとも感じないだろう。そうしなければ、いつ値を下げられたり、首になったりするかわからない。だから野茂に大事なのは、何より、力を保たせながら、いかに長くメジャー・リーガーでいつづけるか、それを第一に考えるという発想の転換なのである。それからもうひとつ、ことばの問題だ。現在の野茂の境遇に多くのアメリカ人が同情しないのは、彼がアメリカにとけ込んでいないと見られているせいだと思う。日本語でも口数少ない彼には、この方がもっと難しいのかもしれない。

・野茂がカブスを解雇されたとき、近鉄は野茂の復帰には前向きだが代理人交渉はしないと発表した。日本では相変わらず年俸交渉は球団と選手とのあいだでおこなわれる。「悪いようにはしないから、ごねるな」という慣習がまかり通っている。「タテ社会」とか「甘えの構造」として指摘された日本的な人間関係に典型的な特徴だが、それが、一歩国の外に出ればまったく通用しないものであること、閉ざされた世界だからといって当たり前のものではなくなりつつあることを、日本のプロ野球も、それに寄生するスポーツ・ジャーナリズムも全然気づいていない。野茂が苦闘する状況は、明日の日本や日本人にのしかかる問題でもあるのだ。
# とにかく野茂にはカムバックして、来シーズンの契約交渉を自分の思うとおりに運べるよう、がんばってほしいと思う。 (1999.05.06)

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1999年05月06日 22:36に投稿されたエントリーのページです。

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