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身内と世間、イラクの人質事件について

・イラクで誘拐された3人が帰ってきた。命があってよかったと思う。事件の一報がはいってから解放されるまでの経過については、事件そのものはもちろん、それを伝えるメディアのやり方、3人の家族や友人たちの態度や発言、小泉首相や政府関係者の対応の仕方、そしてもちろん、さまざまな人の声などなど、ずいぶん興味深いものがあった。
・事件が伝えられるとすぐに、家族や友人たちがテレビに出はじめた。東京の北海道事務所に置かれた会見場からの中継が各局からひっきりなしに放送された。わずか2日で自衛隊の撤退を求める署名が15万人分も集まった。特に興味深かったのは、3人の親や兄弟の発言だった。「自衛隊はまともなことをしていない。小泉さんは決断すべきだ」「弟は生半可の気持でイラクへ行ったのではない」「撤退を考えない、というのでは助かる見込みがない」。

・こういった発言に対しては、それを支持する以上に、反対する声が多かったようだ。大きな状況を考えない家族のエゴ。勝手な行動をしたのだから、殺されても仕方がない。高遠さんのHPには批判や中傷が集中して、掲示板は1時間で閉鎖されたそうだ。家族の家にも相当数の中傷電話がかかったようで、こういうときに湧き出る匿名の誹謗中傷というのは、インターネットや携帯の普及で、ますます強いものになっているようだ。
・しかし、僕が何よりすごいと思ったのは、メディアに積極的に出て発言する家族や友人たちの行動だった。テレビの取材に応じて、日本の国内に対してというよりは、イラクに向けて、あるいは世界中に向けて、自分の子どもや姉や弟が、イラクでこれまで何をしてきたのか、今回、何をしに行こうとしたのかを訴え、家族や友人がどれほど心配しているかを伝えた。そうすると、そのニュースはまたたく間にイラクに届き、アルジャジーラやそのほかの放送局が取り上げ、また欧米のメディアでも放送された。「娘はイラクを愛していました。娘を解放してください」。おそらく、このような声は映像とともに、誘拐犯にも届いたはずである。

・自衛隊を撤退させないと早々と宣言した政府も、もちろん、積極的に対応した。しかし、官房長官の会見はいつでも、「情報収集につとめている」ばかりで、具体的なものはほとんどなかった。人質を解放するというニュースが報じられたときにも、その理由は3人がイラクのために活動している人たちであること、家族が心配していることであって、政府が交渉した結果ではないことが明らかになった。
・人質が解放されたのは1週間後で、その間、政府がどう動いたのかはいまだによくわからない。犯人を説得して解放に一役買ったのは、イスラム教スンニー派の聖職者クバイシ師で、彼の姿は3人の解放の瞬間はもちろん、フランス人ジャーナリストの解放の場にも現れている。その彼が日本政府に対して不快感をあらわにした。「われわれの努力を日本人の多くが評価してくれている。しかし、日本政府はそうではないようだ。」
・ところが、大臣や自民党、公明党の議員、あるいは外務省の官僚たちは、そんな外交交渉のまずさは棚に上げて、人質にされた人たちの自己責任ばかりを強調して、かかった費用を請求すべきだといった発言を噴出させた。善意の気持ではあっても迷惑な行為、イラク支援は自衛隊の仕事で、もはや民間人の手を出すことではない、といった主張だ。しかし、これは何ともおかしな発言である。

・高遠さんは自衛隊がイラクに行くずっと前からバクダッドのストリート・チルドレンの世話をしていて、今回もその資金を調達するために一時的に日本に帰ってきたにすぎない。彼女はもちろん、自衛隊の支援など望んでいないし、自衛隊がしていることは比較的治安の安定しているサモアで医療と給水の活動をしているだけなのである。高遠さんがやらなければ、バクダッドのストリート・チルドレンの面倒は誰が見るのだろうか。彼女の活動はすでに「善意」などということばでは説明できないものになっているはずなのである。
・あるいはフリー・ジャーナリストの郡山さんも活動を続けるためにイラクに残りたいと考えていた。彼らのような人たちがすべてイラクから退去してしまったら、いったい誰が、イラクの状況を世界に伝えるのだろうか。彼や彼女たちは、危険を十分承知した上で、それでも活動を続けたいと考えている。それに対して、控えた方がいいのではないかと進言することはともかく、無謀だとか自己責任をとらせてやれといった言い方には、了見の狭さを感じざるを得ない。

・このような批判が噴出していることについて、アメリカのパウエル国務長官は、ヒーローである彼らに、日本人は敬意を払うべきだ、という発言をした。これが日本の政府に自衛隊の派遣を要請した当事者の意見であることを考慮すれば、個人の行動に対する考え方の違いはいっそうはっきりする。
・解放された3人を迎えに家族がドバイに迎えに行った。「迷惑をかけたことをお詫びし、心配してくれた人たちにお礼を言えと言ってやります。」日本に戻る前に、政治家や政府の役人はもちろん、無数の人たちに反感を持たれないように、あいさつの準備をというわけだ。これはもちろん、家族の人たちが、自分の発言に対するさまざまな反応から学んだことでもある。日本人の社会は相変わらず「世間」という村社会。お上には従順で、お世話になりましたと素直に感謝をする。そういう態度をとらなければ、たちまち批判の的にされてしまうか、あるいは村八分だ。
・「身内」は「世間」に対する隠れ家だが、「世間」に立ち向かって盾になるほどの強さはない。だから家族は「世間」に対して誠意を込めてお詫びし、感謝するわけだが、今回の事件と被害者家族の行動の仕方には、今までとは違う「身内」のあり方を垣間見た気がした。「身内」が結束して「世間」に訴える。その「世間」とは狭い日本の社会だが、他方でその声はイラクはもちろん、世界中に届き、そしてまた日本の「世間」に帰ってくる。ここからはっきり映し出されるのは、閉鎖的で、横並び的で、しかもお上に従順なきわめて特殊な関係である。たとえば外務省の幹部は「特殊な環境にいて、世間の感覚がまだ分かっていないのではないか」と冷ややかに言い放ったそうである。「世間」が日本に限定された狭い感覚であることを自覚した上での発言なのだろうか。

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2004年04月20日 10:51に投稿されたエントリーのページです。

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