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知人から届いた2冊の本

喜多村百合『インドの発展とジェンダー』(新曜社)
インスー・キム・バーグ他『子ども虐待の解決』(金剛出版)

喜多村百合『インドの発展とジェンダー』(新曜社)

・喜多村百合さんは僕のパートナーの友人で、九州の大学で「文化人類学」を教えている。知りあったのは、もう25年ほど前のことで、数年、親しくつきあったが、人工心臓を研究する彼女のパートナーが九州の大学に就職して、引っ越していった。彼女が大学院で勉強しはじめたと聞いたのは、それから何年も経ってからのことだ。
・そんな彼女から一冊の本が届いた。『インドの発展とジェンダー』という題名で、博士論文を書き直したものだ。彼女が歩いてきた道のりを考えると、インドという遠い地をテーマにしていることもあわせて、感慨深い印象を受ける。自分の人生を変えるのはいくつになっても遅すぎることはない。そんな見本のような人である。
・この本は、インドの人びとの状況を、女性の仕事や家庭生活に焦点をあてて分析している。博士論文だから前半は難しくて硬い文体の理論的考察だが、後半は自営で働く女性たちの組織(SEWA)に所属する人たちのフィールドワークで、なかなかおもしろい。インドの現状がよくわかる話を聞き書きして、うまく整理している。 ・たとえば、インドの都市は「その日暮らし」の雑業層で溢れているという。朝金貸しから小金を借りて商品を仕入れる。それを一日かけて売り、元金と金利を返して残るわずかの金を糧にする露天商。安い手間賃で働く家内職、あるいは日雇いの土木作業員。彼や彼女たちの多くは現在でも、読み書きができず、みずからを「労働者」として自覚することもない。
・「SEWA」はそんな人たちを組織化し、政府を相手に不正業者や警官の賄賂の要求などを取り締まる活動をしている。あるいは加入者から金を預かり構成員に融資する銀行の働きもしている。この組織には、リーダー的なインテリ層もいるが、組織の活動を支えるのは、教育を受けた経験がない、読み書きのできない女たちである。「SEWA」からお金を借りることをきっかけにして、今では貯蓄・融資部門の仕事をする人、そもそも貯蓄・融資部門のアイデアを考え出した人、組織の活動をビデオ撮影するスタッフ………。この本にも登場する古着を扱う女性のライフストーリーを記録した映画は、カンヌの「労働者のための映画祭」でグランプリを受賞したそうだ。 ・「SEWA」はもちろん、農村部にも進出している。「ミルク協同組合」を組織化し現金収入をえる道を開いたが、酪農の仕事をする女たちの話も興味深い。彼女たちにとって組合への参加は、収入の増加だけでなく、村の女たちと親しく接触する機会も増やした。学歴やカーストや宗教の違いをこえて、悩みや問題を話しあう。組合が生活の改善ばかりでなく、自己発見や自己実現の場にもなっているのである。
・このようにして女たちが生活や仕事や家庭、あるいは近隣の関係の改善に目覚めていくと、当然、男たちと衝突する。それで離婚した人もいるが、インビューに応えた女たちの話の中に共通するのは、子どもたちの強力な支援である。
・インドでは子どもたちもまた、その多くが学校に行かずに、家族を養うために路上で働いている。そんな現状を考えると、自分たちの将来はもちろん、国の未来像についても、それを決めるのは、こういう人たちなのだと、つくづく思う。

インスー・キム・バーグ他『子ども虐待の解決』(金剛出版)
・もう一冊は桐田弘江さんから送られたものだ。彼女は3年前に急死した友人の桐田克利さんのパートナーだった。あまりに突然の死で、しばらくは途方に暮れる毎日だったようだが、自分の仕事の世界でしっかり立ち直っている。そんな安心をもたらす一冊である。
・弘江さんは以前から香川県でカウンセラーの仕事をしてきた。僕は四国を車で旅行したときに桐田夫妻を訪ねたが、若いのにずいぶんしっかりしていて、彼女よりは彼の方がずっと子どものように感じてしまった。
・そんな彼女から届いた本は『子ども虐待の解決』で、彼女と数人の仲間で翻訳したものである。家庭内暴力、とりわけ子どもへの親の虐待が、毎日のように新聞やテレビのニュースを賑わしている。ずいぶんひどい仕打ちをするケースが多く、最近の親子関係はどうなってしまったのか、と暗澹たる思いにさせられることが少なくない。だから、そのようなケースに関わって仕事をするカウンセラーは大変だし、いったいどんなノウハウをもって関わるのだろうか、という疑問も感じていた。 ・『子ども虐待の解決』の著者はアメリカの「子ども保護機関」(CPS)に関わって実際に問題解決に当たるセラピストや児童福祉施設で働く人たちである。で、この本は、実際にカウンセリングやセラピーをする人、福祉の仕事をする人が、現実に問題の当事者に関わるときに役立てるための、詳細なアドバイスで構成されている。しかし、読んでみると、そういった特殊なケースばかりでなく、人間関係をスムーズに、信頼しながらするコミュニケーションの方法を書いた本であることがわかる。
・問題の家庭を訪問した時にどんな質問の仕方をすべきか。アドバイスはしごくあたりまえだが、また自覚して配慮することは難しい。「お子さんの頭を叩いたのですか?」ではなく、「お子さんのことでいらいらさせられることがあると思います。そんな時、どのように対処するのですか?」と聞くこと。何をどんなふうに話題にするか。その仕方が、親と相談員の関係を形成するのだから、自分を非難しに、あるいは裁きに来た人だと思われてはダメというわけだ。まさに「印象操作」の技法である。 ・問題の家庭はしばしば危険で汚い地区にある。相談員はそこに出かけた後で、いつもより長い時間シャワーを使い、汚れた感じを洗い流そうとする。しかも、そうすることにある種の罪悪感ももってしまう。さらにこういう自覚は隠されるから、問題として表面に出ることもない。相手を理解しに来たと言いつつ、感情は相手を拒絶してしまう。これは、人間関係を妨げる一番の心の姿勢である。
・相手の話を聞くこと、指示や指導ではなく、問題解決のための協力に来たこと、質問は「なぜ」ではなく「どうやって」を使ってすること、「はい」「いいえ」で応えられる質問は避けること………。なるほど、と思うことばかりである。そんな意味で、この本はまさに、人間関係におけるレトリックの事例集だと言える。ささいな諍いはちょっとした工夫でほとんど回避できるのである。

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2004年06月08日 10:48に投稿されたエントリーのページです。

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