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ポートランド便り

・まだ冬休みではないが、卒論の提出が済んだところでアメリカに行くことにした。と言っても一週間足らずの日程で、滞在したのはポートランドだけである。特に見たいもの、行きたいところがあったわけではない。友人家族が住んでいて、何度も河口湖に訪ねてもらったから、僕らも行こうと思ったのだ。何せ、この時期の飛行機は信じられないくらい安い。成田からの直行便で五万円足らずなのである。北海道に行くのより安い。それなら、短期間であちこち回らなくてももったいないことはない。

portland2.JPG・それでも、せっかく行くのだからとネットで予習を少しやった。ポートランドはオレゴン州で最大の都市で人口は53万人、近郊の町をあわせると200万人近くになる。太平洋に面してはいないが大河のコロンビア川を使って、港や造船業で栄えた町である。市の人口の七割はヨーロッパ系の人たちでアフリカ系とアジア系が6%ずつ。これはオレゴン・トレイルで有名なように東から開拓民が移り住んでできたという歴史のせいなのかもしれない。
・ぼくは前に勤めていた大学の同僚の天野元さんたちの書いた『オレゴン・トレイル物語』を読んで、その開拓民が西を目指した苦難の道に驚いたことがある。財産のすべてを馬車に積んで家族みんなで旅をする。財産や食糧が尽きて餓死した人。水がなくて死んだ人、開拓民同士の争い、そしてもちろんインディアンたちとの戦いに死んだ人の数も多かった。もっとも、オレゴン州には80ほどの部族が住んでいたというが、ネイティブ・アメリカンの人口は、現在1%にすぎない。殺されたのは圧倒的に先住民たちの方が多かったということになる。

portland1.JPG・開拓民は最初は毛皮取引、そしてゴールド・ラッシュで次々と増え、ポートランドは農業や林業によって港湾都市として栄えるが、今世紀にはいると造船業で大きく発展をした。コロンビア川には今でも、大型船がひっきりなしに行き来している。水を満々とたたえた川はゆっくりと流れ、その遙か向こうにセントヘレナとレーニヤの山が見える(→)。今はもちろん、雪をかぶって真っ白だ。この季節は雨が多いのだが、滞在している間はたまたま好天に恵まれた。ただし、気温は寒く、零下になって、日陰では日中も氷が溶けなかった。ちょうど河口湖と同じくらい、という感じだったが、町の案内には零下にはあまりならないと書いてあるから、特別寒かったのかもしれない。

portland3.JPG・ポートランドは北から東にかけて高い山に囲まれている。セントヘレナの東にはMt.アダムス、その南に富士山よりも尖ったMt.フッド(→)、町はコロンビア川とウィラメット川が合流する地点にある。町の西には小高い丘のような山並みがあり、住宅が森に囲まれるように立ち並んでいる。アメリカで一番暮らしやすい町というだけあって、美しくて環境もいい。それほどあちこち歩いたわけではないが、怖いという感じがまったくしないのは、アメリカでは珍しいと言えるかもしれない。ダウンタウンには、Amazonよりも多様な本を並べている大きな本屋さん(Powell)があった。大学もいくつかあって、郊外にあるReed Collegeには真ん中に大きな池があった。生徒数は1300人で生徒10人に教員一人だそうだ。当然授業料は高いのだが、休みに入ったのに図書館には学生がたくさんいた。四年生には自分の机が与えられていて、本やらノートやらが積み重ねてあった。カレッジとはいえキャンパスは広大で巨木がたくさんあって、まん丸に太ったリスが何匹もいた。人慣れして近づいてくるものもある。

portland4.JPG・訪ねた友人宅には息子さんが二人いる。その彼らにNBAの試合に招待された。ポートランド・トレイル・ブレイザーズはかつては強いチームだったが、最近はそうでもない。今シーズンはノースウエスト・ディビジョンで最下位で、観戦した試合もヒューストン・ロケッツに負けてしまった。しかし、 NBAを見たのは初めてで、家族連れが多いことと客を飽きさせないさまざまな工夫に感心してしまった。客は七分ほどの入りで、強かったらチケットは取りにくかったはずだから、ぼくにとっては幸運だったと言えるかもしれない。ブレイザーズには韓国、ロケッツには中国人の選手がいた。日本人初のNBA選手を目指す田伏は、今年ももう一歩のところで及ばず下部リーグのアルバカーキーにいる。2mをこえる選手ばかりの中では子どものように小さいから、コマネズミのように動くプレイは人気が出ると思うのだが、勝つチームの一員としてはなかなか評価されにくいのかもしれない。

atom.jpg・友人宅でもう一人(匹)、仲良くなったアー君(Atom)がいる。黒ラブの雑種だが、びっくりするほど賢い。おとなしく留守番をするし、飼い主のいうことをよく聞く。ぼくは彼と毎朝散歩をした。おとなしくしているのに「散歩」と言うとうれしくてはね回り出す。家の周囲は森林の公園だから、そこを思う存分に走り回る。夜は部屋に入ってきて隣で朝まで寝ていたりする。しかし、しっかり訓練されていて、していいことと悪いことはよくわかっている。こんな犬がいたら、毎朝一緒に散歩に行ったり、山歩きに連れて行ったり、カヤックに乗せたりできていいな、と思ってしまった。ホテルと移動の旅行とはずいぶん違う、アット・ホームな楽しい経験でした。友人たちに感謝!

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2005年12月13日 14:42に投稿されたエントリーのページです。

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