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"LOHAS"なんて流行るわけがない

・8月になってやっと夏らしい暑さになった。湖畔は平日でも合宿らしい学生でにぎわっている。週末ともなると道路も渋滞気味で、高速道路はほとんど動かない状態になってしまうようだ。いつもなら1時間のところが4時間、あるいは5時間もかかる。それで日帰りというと、ほとんど高速道路上で一日過ごすことになる。クーラーをかけっぱなしだから、動かなくてもガソリンは消費する。何しに来たのかとうんざりするばかりだと思うが、週末になると、それがくりかえされている。来週はお盆の帰省もあるから、いったいどんなことになるやら。
・何でみんなが同じ時に一斉に休みを取るのか。こんな時期になるといつも思う。日本の社会はどこまで行っても仕事優先だから、生活は働くためにあるのであって、決してその逆ではない。生活のために働く。遊ぶために働く。そういう生き方がもっとあたりまえになってもいいと思うが、いつまでたってもそうはならない。


・しばらく前から"LOHAS"ということばを見聞きするようになった。もちろん、テレビや雑誌や新聞での話だ。その前には「スローライフ」で、こちらもメディアがはやしたてたことばだったが、最近ではほとんど聞かれない。「ロハス」は"Lifestyle of Health and Sustainability"の略で、直訳すると「健康で持続可能なライフスタイル」となる。何のことやらよくわからないが、自分自身のことから地球規模のことまでを連続させて、健康とそれを持続可能にする仕組みを考えた暮らしを目指そうということらしい。けっこうなポリシーだと思う。しかし、である。

・「ロハス」はなにより経済用語であることがうさんくさい。つまり、このことばには新種のビジネスを開拓するという狙いがなにより強く感じられるのである。ビジネスであれば、関心を集めて売り上げを伸ばすということが第一になる。趣旨に賛同した人がやることは、消費するものをちょっと変えるということだけだ。確かに、農薬をつかわない野菜や、化学合成の飼料をつかわないで育てた牛や豚の肉を僕も食べたいと思う。電気や石油などのエネルギーを浪費しない工夫も大事だし、ゴミや廃棄物のことまで考えた生活サイクルを実現することが必要だと思う。そして、こういった意識で生活するためには、じぶんの力だけではとてもだめで、企業や自治体、あるいは政府や国連機関の力に依存せざるを得ない面がたくさんある。しかし、である。「ロハス」という理念を共有した新ビジネスは新しい経済システムとなって「地球を救うのだろうか」?。

・要するに、ロハスは「より良い社会のためのお買い物」を提案し、そのための商品を開拓しようという運動なのである。しごくもっともらしいが何かおかしい。じぶんの健康を考え、環境の悪化を防ごうと思ったら、まず、できあいの商品を買わないですむ生活スタイルを考えてみるといった発想からスタートすべきではないのだろうか。スローライフを実践することはスローフードを買って食べることではなくて、時間をかけてじぶんでつくることを意味している。一晩かけてシチューをつくることと、有名シェフが時間をかけてつくったシチューのレトルトパックは全然違う。そこのところが、うやむやにされている。だから「スロー」も「ロハス」もインチキくさいのである。


・今の社会で、それなりの快適さと楽しさと安全さを前提にして生きていこうと思えば、それに対してお金を払うことは避けられない。しかし、「ロハス」や「スロー」というなら、そこからまず疑ってかかることが必要で、じぶんでできることはじぶんでやる、という姿勢をもたなければ、立派な趣旨も一過性のブームで消えてしまう。「ロハス」は懸命に宣伝しても今ひとつブームになりきれていないから、そう時間がたたずに消えて、また新しい標語がつくりだされるのだと思う。第一、"LOHAS"は日本人には全然しっくりこないと思う。 "sustainability"なんてことばをいったいどれほどの人が理解できるのだろうか。もっとも「エステ」や「セレブ」や「カリスマ」だってもともとは難しいことばだから、「サステ」などといって流行る可能性はなくはない。

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2006年08月07日 10:21に投稿されたエントリーのページです。

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