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拝啓、国民の皆様

・鳩山首相が退陣しました。在職期間が300日もならない短命で、安部内閣から続いて4人がほぼ1年で交代してきたことになります。それぞれ発足当時は高支持率だったのに、あっという間に愛想尽かされ見限られる。政治家の実力のなさと言えばそれまでですが、支持者の気まぐれにも、いい加減あきれてしまいます。

・鳩山政権が支持を失った理由はまず第一に母親からの献金でした。これは生前贈与にあたるもので、税務署に申告して税金を納めるべきものだったのに、総理はそれをしなかったのです。金をもらっていたことを当の本人がお知らなかったこと、庶民感覚では考えられない多額なお金だったことなどで、強い批判が浴びせられました。

・この一件を擁護する気はありませんが、メディアとそれが後ろ盾にする世論というものに違和感を持ちました。現在、国会議員に占める2世や 3世の割合はかなりのものですが、その人たちは当然、地盤、鞄、看板という三種の神器を受け継いでいるはずで、その鞄(金)を当の議員たちは、どう処理しているのでしょうか。それが問題にならないのは、多くの議員には受け継ぐ際に、法に触れずにうまく処理する仕方があるのかもしれません。であれば、鳩山総理の問題は、ずる賢く立ち回らなかったことにすぎなくなります。

・支持をなくしたもうひとつの理由は普天間基地を「できれば国外、最低でも県外」と言っておきながら、辺野古に移設するという自民党案に戻ってしまったことでした。僕はこの件について、沖縄の人たちの怒りや、一部移設を強いられそうな徳之島の人たちに拒絶はもっともなことだと思います。とりわけ、沖縄の人たちに希望を抱かせておいて失望させた罪については、辞めることで責任を取れるものではないでしょう。

・けれども、米軍基地の問題がこれほど大きくならなければ、沖縄が過重に負担してきた歴史と現状について、国民の多くが改めて考えることもなかったでしょう。これだけ大きな問題として注目されたわけですから、米軍基地の負担を沖縄ばかりに負わせ続けることはできなくなったはずです。基地の分散はもちろんですが、そもそも在日米軍基地がなぜ必要なのか、必要であれば、どんなものをどの程度に置いたらいいのか、そしてそれは沖縄でなければならないのか、といったことについて、国民は人ごとではなく自分の問題として向き合わなければならなくなったと言えるのですが、いったいどのくらいの人が、このような認識をもったのでしょうか。

・沖縄返還にまつわる機密文書の問題について、4月に一つの裁判の判決がありました。基地の返還について、その経費を日本が負担するという密約があって、そのことを当時の毎日新聞記者、西山太吉がスクープした事件です。情報入手の仕方の問題(情を通じた)に矮小化して、当の密約はうやむやになってしまっていたのですが、その密約が確かに存在したこと、その機密文書はアメリカにはあるのに日本の外務省では捨てられてしまっていることなどが明らかになりました。しかし、この事件は、なぜか、大きな問題として取りあげられませんでした。

・沖縄の返還については他にも「核抜き本土並み」という、条件が重視されました。しかし、ここでも、沖縄に核があるのかないのかはずっと確かめられてきませんでした。自民党政府は一貫して、アメリカがないと言えばない、持ちこみたいと言ってこないのだから持ちこんでない、と言う主張を繰りかえしてきました。しかし日本に寄港した空母や潜水艦に核が搭載されていたことや、沖縄に核が常備されていたとする証言は、ライシャワー元駐米大使や米軍関係者によって多く発言されてきました。

・鳩山首相は、基地を国外に移すことが無理である理由を、勉強して、抑止力としての沖縄の米軍基地の重要さを改めて認識したからだと言いました。勉強不足と批判され揶揄されましたが、しかし、アメリカとの話の中で、沖縄にはずっと「核兵器」が常備されてきて、今もあると明かされたとしたらどうでしょうか。公にすれば沖縄の人たちの怒りはさらに大きくなりますし、日米関係にも大きな亀裂が生じてしまうでしょう。だから公言はできないのですが、ここには、アメリカには、在日米軍が仮想敵国としている中国や北朝鮮の軍指導者たちに、沖縄にはやっぱり核があるのだと思い込ませることができたと言える一面が指摘できるかもしれません。これは内田樹が彼のブログに書いた推理です。あくまで推理ですが、沖縄にまつわる問題のなかには、その重要な部分が隠されて曖昧にままに置かれたことがあまりに多いのです。

・鳩山前総理をはじめとして、最近の政治家は「国民の皆様」といった丁重な言葉づかいをします。上から目線を嫌う、最近の風潮を察しての言葉づかいなのかもしれません。しかしそれはまた、「お客様」という商売人の言い方に通じた、仕事上の言葉づかいにすぎないのです。人からの「呼びかけ」のことばには、互いの力関係を規定する意味あいが強く含まれます。ですから、そこにには、政治についてはプロに任せて、国民はお客様でいてくれればいいのだというメッセージが聞きとれます。メディアが政治を批判する根拠にする「世論」は、メディア自体が先導(扇動)して作りあげているものですが、メディアにとって重要なのは発行部数や視聴率であって、問われている問題そのものではないのです。

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2010年06月07日 06:24に投稿されたエントリーのページです。

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