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放射能と食べ物

・食料などの買い物は毎週一回、行きつけのスーパーと地元の野菜を売る店に出かけている。食べ物については我が家(主にパートナー)は自覚的で、ずいぶん前から、生産地や成分表等を確かめて買うことをやってきた。野菜は地産地消が一番だし、季節外れのものはなるべく買わない。こんな原則だから、海外で生産された野菜や果物は滅多に買うことはないし、温室育ちの季節外れの野菜もあまり食べなかった。幸い、山梨県にはおいしい米や牛乳、そして卵などが何種類もある。山国だが、隣の静岡県からは魚も来る。だからスーパーに並んでいる品物のなかから、なるべく地元や周辺のものを選ぶことはそれほど難しいことではなかった。

・とは言え、すべてを地産地消でというわけにはいかないから、生鮮食料品にしても、穀物にしても、全国各地のものを買って食べることはやってきた。大手メーカーのものであっても必ず成分表には目を通して、添加物の少ないもの、原料が国内産であるものを選んだりもしてきた。だから、買い物にはいつでもかなりの時間がかかった。時においしそうなものならそんなこと気にせずに買おうという僕と、添加物が気になるからダメというパートナーとの間で口論になることもあったが、大筋では大体の基準ができていた。

・そんな日常のルーティン(おきまり)が原発事故以降混乱するようになった。放射能はほうれん草等の葉物とキノコ類に吸収されやすい。海産物では海苔や海草類、貝、そして小魚類が危ない。そんなニュースが次々出て、新茶の時期には神奈川、そして静岡からも検出された。当然、福島県はもちろん、栃木や群馬、茨城、そして千葉で生産される農産物や太平洋岸でとれる海産物が買い控えされるようになった。政府はそれを風評被害として安全性をくり返したが、放射能の検出作業は万全と言うにはほど遠い状況だし、安全基準を引き上げたり戻したりと場当たり的だから、実際のところ信用できないというのが大方の人の感覚だろう。

・放射能の被害は内部被爆が深刻で、その多くは食べ物や飲み物から吸収される。ただし、気をつけなければならない程度は年齢に反比例して、幼い子どもや妊娠中の女性に対する影響が強いという。50歳を過ぎたらそれほど怖がる必要はないと言われているから、60を過ぎた僕は、あまり気にする必要はないのかもしれない。と言うより、福島を中心にした農業や漁業を衰退させないために、60歳を過ぎた人は積極的に、その地のものを食べる義務があると言う人もいる。京大の小出裕章さんだ。確かにそうかもしれないと思う。

・食物に含まれている放射能をきちんとはかって、個々の品物に18禁とか30禁、そして50禁、60禁と細かく表示をする。それができるだけ危険を少なくして、福島周辺の農業や漁業をダメにしないようする唯一のやり方だとすれば、そのことは、政府が大原則として政策にして、国民に理解されるよう説明をする必要がある。そこには当然、原発政策や、東電の扱いについて、国民の立場に立った政策が伴わなければならない。

・ところが、野田首相の政策が目指しているのは、原発の再稼働と東電の生き残りで、この点については自民党も変わらない。除染をして避難地域に住民が戻れるようにするといった実現できそうもない話をする一方で、食べ物については、ご都合主義の基準値を設定して、安全であるかのように思わせて消費させてしまおうとしている。安全ですと言っておいて、5年、10年経って被害が現実化したときには、やっぱり「想定外でした」などと言うつもりなのだろう。

・東京のスーパーで買い物をすると、野菜はやっぱり、福島や関東一円を産地にしたものが多い。たぶん安全だろうと思っているのかもしれないが、不安に感じながら、仕方なく買って食べている人も多いのだと思う。そこに感じる空気は、はっきりさせずに曖昧にして、その曖昧さに異議を唱えることをしない風潮だ。放射能は目に見えないし、その被害もはっきりとしているわけではない。だからこそ、はっきりした方針と基準を出して、国民を納得させて信頼関係を築く必要があるのに、政府の姿勢はずっと、ないふりをするか曖昧にお茶を濁すばかりである。

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2011年10月24日 06:30に投稿されたエントリーのページです。

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